第17話:そして始まるダンジョン探索
ピーツの案内で鬱蒼とした森を抜けると、地面に大きな口がぽっかりと空いているような洞窟が現れた。中に入ってしまえば、ローンウルフに四方から襲われる状況を背後の一方向のみに絞ることができるだろう。しかし、それとはまた別の問題も発生しないだろうか。
「もしかして、この洞窟の中に?」
「その通りです」
「道はわかるんだよね……?」
「いいえ。入ったことはないので、未知ですね……」
「……道だけにって?」
「あはは、まだダジャレに反応するだけの余裕はあるようですね」
役目を終えたピーツは、千鶴の肩にとまるとすぐにまた飛び去って行った。暫く森で身を隠して休むのだろう。となれば、もはや選択肢は残されていない。
「でもさ、洞窟の中にも何か住んでたりするんでしょ?」
「そうですね。スカルベアーやローンウルフよりも質が悪いのが潜んでいるかもしれません」
「いやいやいや……」
「やっぱり止めきますか? でも、このままじゃ確実にやられますよ」
背後の森からは、ローンウルフたちの遠吠えが響いてくる。やはり血の臭いは完全に誤魔化せなかったようだ。激しい息遣いまで聞こえてくるほどに、脅威はすぐ傍まで近づいていた。
「行くも地獄、残るも地獄か……」
「覚悟は出来ましたか?」
「もう、どうにでもなれって感じ」
洞窟の入り口を囲む岩壁は無数の苔に覆われ、人が入ったような痕跡はない。ゴォーっと低い音が響いており、何もかも吸い込んでしまいそうな独特の雰囲気を醸し出している。
一度中に入ってしまえば、もう二度と外には出られないのではないだろうか。異世界と言えばダンジョン探索だが、これはあまりに急過ぎじゃないか?
「いよいよダンジョン探索が始まるわけだ」
「中は真っ暗なんで、明かりが必要ですね」
「それじゃあ……」
たすき掛けしていた竹の筒に手を伸ばした。かぐや姫が閉じ込められている天然のランタンを使う時が来たようだ。落ちていた枯れ木の枝を手に取った俺は、ランタンをその先にぶら下げると千鶴に手渡した。
「予めこうなることがわかってたみたいですね」
「むしろランタンなんかにしたからじゃないの?」
「因果ってやつですか?」
俺が身に着けている武器になりそうな装備は、サンドボードとフィンガーリングだ。ダンジョン探索を始める初心者の装備としては何とも心もとないが、パーティーが優秀だから何とかなるだろう。
「それじゃ、行きますよ」
「うん……」
迫りくる遠吠えに背中を押される様に、俺たちは洞窟の中へと足を踏み入れた。反響する足音がその深さ伝える。その直径は3メートルほどあり、二人が並んで歩くには十分な広さだった。
しかし、空気の流れは悪いのか、じっとりと湿気を含んだ空気が重く漂っており、腐敗したような生臭さが鼻を突く。これだけ異臭で満ちていれば、千鶴の血の臭いも紛れるだろう。
「やっぱり気味が悪いね」
「わくわくしませんか?」
「えっ、嘘でしょ?!」
振り返って入り口が小さくなるのを見る度に、不安に押しつぶされそうになる。楽しそうに進む千鶴からはぐれない様に、左手で背中の荷物を掴みながら歩いた。
「ちょこちょこと生物の気配は有りますが、スカルベアーとかローンウルフみたいな大型の気配は特になさそうです」
「それは良かった、……のか?」
かぐや姫のランタンが照らす範囲は半径五メートル程で、灯りとしては申し分ない光量だ。洞窟の空間はほぼ一定の大きさで続いており、車一台が余裕で通れるぐらいは広さはある。足元は非常に悪く、ドロドロとした地面に何度も足を滑らせそうになった。
「後ろの狼たちはどうなんだろう?」
「どうでしょうね。別の生物の生息域にみすみす飛び込んでくるとは考えにくいですが……」
「いずれにせよ、進むしかないか」
「そうですね」
洞窟に潜入して五分程歩いただろうか。これまでうねうねと曲がっているだけだった道の先が、Yの字で二手に分かれている。
「どうしましょうか。二手に分かれてみます?」
「えええっ!?」
「あははは、冗談ですよー」
こういう時、どちらを選択するのが良いのだろうか。俺は入山する前に読みふけった初めての登山という書籍の一ページを思い出していた。道に迷った時はという項目の中に、迷路攻略として有名な方法の一つである「左手の法則」についての紹介があった。
迷路が単純な構造であれば、常に左手を壁に当てながら進むことで迷路の出口までたどり着くことができるというものだが、複雑であったり、ループがあったりする場合には、必ずしも成功するとは限らない。それに、来た道を往復することになるので、後ろを追ってきたローンウルフと遭遇する可能性もある。
それならば、深さ優先探索(DFS)を試すか。スタート地点から可能な限り深く進み、行き止まりに達したらバックトラックして別の経路を試みる方法だが、そもそも別の出口があるかも怪しい。
俺が頭を悩ませていると、しびれを切らせた千鶴が提案してくる。
「ジャンケンでもします? 神谷さんが勝ったら右で、私が勝ったら左みたいな」
「そんな運任せじゃなくて、きちんと考えようよ」
「そんなにビクビクしても仕方ないじゃないですか。少しは楽しむ余裕も必要ですよ」
「俺はこんな所で死にたくないだけだよ。そもそも千鶴は、これまで洞窟を探検したことはあるの?」
「何回かはありますけど、どれもすでに探検されたもので道はわかっていましたからね。どこもご丁寧に看板の案内付きでしたよ」
「看板か……」
当然ながらそんなものは見当たらず、誰かが入ったような形跡もなかった。どちらの道も同じような大きさで、その先がどうなっているから全く分からない。できれば地上に出たいとなると、多少でも上り坂になっている方を選んだ方がいいのではないだろか。
「それにしてもこの臭い」
「もう鼻が慣れたのか、私はあまり気にはなりませんけど」
洞窟の奥へ進むにつれて、何やら甘ったるい臭いが強くなっていた。発生源はなんだろうか。千鶴からランタンを受け取り、足元を照らしてみると油が張った様に所々虹色に光っている。
「これが発生源?」
「妙に足元がぬかるんでるなーとは思いませんでした?」
「それ思ったけど……、まさか」
自分の発想に慄いた俺は、思わず天を煽った。そして、天井に巣食う黒い生物の姿を目撃し、その数にランタンを落としそうになる。
「うわっ?!」
「今はお昼寝中なんですかねー?」
「てか、デカくない?!」
隙間なく天井を覆っているコウモリはソフトボール程の大きさで、丸まって天井にぶら下がっている姿は、大きな黒い水風船が幾つも待ち受けているようだった。時折、もぞもぞと身体を動かしており、その様子は黒い波がうねっているように見えた。
「目が大きくて、結構可愛い見た目してますよ?」
「いやいや、見た目じゃなくて。この地面って……」
改めて足元を良く見る。その泥は土っぽいというよりもどこか有機的で、発酵が進んでいるのか、ブクブクとガスを発生していた。瞬時に鳥肌が全身に走る。
「おえぇぇ……」
「大丈夫ですか?」
「今すぐ引き返したい!!」
「あははは、こんなのまだ優しい方ですよ。私が前に入ったことがある場所は」
「いやいや、いい、言わないで! この先の不安が余計に大きくなるだけだ」
果物を主食としているため、襲ってくることはないと千鶴は言っているが、この大きさの個体がぶつかってきたらそれなりのダメージを受けそうだ。
そもそも果実を食べる種族なら、木の上に生息しているものじゃないのか?
オオコウモリは視覚と嗅覚を使って食べ物を探すように進化したことで、果実や花の蜜が主食になったと図鑑には書いてあったはずだ。
超音波が使えないのに、暗い洞窟の中にいるのは少し変じゃないか?
「彼らは紫外線を見るんですよ」
「紫外線?」
俺の疑問を読み取ったように、千鶴は答えた。ここの地層は特殊な岩石によって構成されており、紫外線を発しているという。その証拠に、と千鶴は俺の方を指さした。
「気づいてましたか? 神谷さん、ピカピカですよ?」
「なっ、なんだこれ?!」
よく見ると、俺の身体は淡い光に包まれている。いや、ジャージの袖を捲って見てみると、腕全体が蛍のような光を発している。足や腹部を確認しても、染色された皮膚がもれなく蛍光していた。
「もしかしてあの染料って」
「そうなんですよ。蛍光塗料の一種でして」
「めっちゃ目立つじゃん!」
「綺麗ですよ、神谷さん。かつてなく輝いてます!」
これでランプ要らずですねと笑う千鳥は、この洞窟に入ってからというもの、どうも様子がおかしい。まさか、この発酵した泥の放つアルコール成分にやられているんじゃないだろうか。
「足がぐちゅぐちゅする」
「我慢してください」
「吐きそうなんだけど」
千鶴が用意してくれた運動靴を履いているが、通気性の良い素材で作られているためか、まるでそこに布などないかの様に、水分が一瞬で浸透してくる。しっとりと靴下に染み込むと、足を踏みしめる度に不快な音を立てた。
泥道を歩いているような感覚はまだ我慢できるのだが、この道はコウモリの排泄物が蓄積して出来ているのだ。未知の病原菌の巣窟になっていないか心配になるのは、なんでも消毒除菌する現代病ゆえだろうか。
「果実を主食としているからそんなに汚くはないですよ」
「それなら大丈夫だね、……とはならないよ!」
内容物の違いで排泄物を寛容に受け入れられるほど、俺の神経は図太くなかった。いつ降ってくるかわからない爆弾を警戒しながら、俺たちは一歩一歩進んでいく。
「まさかこんなトラップが待ち受けているなんて。まずは精神的に追い詰めてくるタイプのダンジョンか……」
「神谷さんも楽しんできましたね」
「自分を必死に騙しているだけだよ!」
ダンジョンに入ってから一時間近くが経過した。分れ道がくる度に、俺たちはコウモリがいなさそうな道を選んで進んだ。しかし、一向に外へ出るような気配はなかった。それでも、コウモリが棲み処としているエリアからは離れたようで、道は随分歩きやすくなっている。
しかしながら、いつまでも光が見えないのは何とも心細い。閉所恐怖症ではないが、このまま暗い洞窟から出られないのではないかと思うと、頭がおかしくなりそうだ。
「少し休憩しましょうか」
「そうだね」
十字路の中央でリュックを下した千鶴は、傷口に当てていた包帯の交換を始めた。生体接着剤の効果は想像以上に凄く、切り傷からの出血は完全に止まっている。撥水性にも優れているようで、衛生的にも安心だ。
「お腹も空いてきましたね」
「ゆっくりしている余裕はあるかな」
「確認しますね」
と新しい包帯を巻き終えた千鶴は、地面に耳を近づけた。
「何かわかった?」
「そうですね……」
顔を上げた千鶴は、険しい表情で続ける。
「良いニュースと悪いニュースがあります」




