第16話:遠吠えと狼煙
「アオォーーン!!」
「ッ?!」
どこからともなく、サイレンのように響く遠吠え。その高い鳴き声に、ハッと身震いするように辺りを警戒したスカルベアーは、すぐに背中を向けて走り去っていった。
助かったというよりも、嫌な予感がする。
ピーツは酷く興奮した様子で、先を急ぐように急かしてきた。どうやら今度こそ、本当に獣たちの縄張りに侵入してしまったらしい。
一先ず俺たちは、スカルベアーとは反対方向に移動を始めた。
「ピピピッ!」
「一難去ってまた一難か……!」
「アオォーーン!!」
鳴き声からして、恐らく狼のような生物が生息している土地なのだろう。侵入者の情報を共有しているのか、最初の遠吠えに呼応するように四方から鳴き声が聞こえ始めた。
どうやら追いかけられる対象が、攻撃力の熊からスピードの狼へと替わってしまったらしい。
この世界の狼がどんな姿をしているかはわからないが、恐らく足の速さに関しては逆立ちしても勝ち目がないことは明白だ。スカルベアーに狙われるよりも窮地に陥ったといっても過言ではない。
「ピツピー!」
身体の小さなピーツはいよいよ疲れてきたのか、一定距離を飛んでは枝にとまって休憩することが多くなっている。この状況で道標が動けなくなるのはマズい。それなら一層のこと、俺も木の上に逃げてやり過ごすべきか?
「疲れたか?」
「ピピー」
このまま移動し続けていても、遠吠えの持ち主がいつ藪の中から飛び出してくるかわからない。闇雲に動き回って自分の居場所を知らせるよりも、じっと身を隠してやり過ごした方が良いのでは?
俺はすぐに、背が高くて登りやすそうな木へと手を伸ばした。スカルベアーは木登りが得意であり、どちらかというと足が遅いため、俺たちは走って逃げることを選択した。次の相手が狼ならば、今度こそ木の上に逃げることは正解かもしれない。
寄生植物に注意しながら樹木のてっぺんまで登っていく。鬱蒼とした枝葉に隠れて、俺の姿は地面からは見えづらくなっているだろう。
遠吠えが遠ざかるまでここで一休みすることにして、上がり切った心拍数を抑えていく。全身に汗をかいていたが、速乾性に優れたジャージはすぐに水分を蒸発させ、快適さを保っている。水筒の水をピーツにも分け、体力が回復するのを待つ。
「ピピピッ」
「そうだな」
あとははぐれてしまった千鶴とどうやって合流するかだが、周囲には同じような高さの木が密集しており、辺りの様子を確認することは難しい。
これでは自分がどちらから来たのか、さっぱりわからない。となると、ピーツに探しに行ってもらうしか手はないか。
「アオォーーーン!」
「アオーーーン!」
耳を済ませてみても、聞こえてくるのは狼たちの遠吠えばかりだ。それでも、どうやら巣籠作戦が功を奏したようで、徐々に遠ざかっている。スカルベアーの方を追っていったのかもしれない。
枝に跨った俺は、何か役に立ちそうなものはないかと、リュックの中を確認した。
「おっ、これは使えるかも?」
手で抱えきれなくなった時にリュックに詰め込んでいた竹筒が数本と、爆弾植物の木の実が残っている。ナイフを使って竹の節に穴を開けた俺は、千鶴に倣って手製の打ち上げ花火を作った。
遠吠えが止んで暫くした後、導火線に火をつけて開口部を上空へと向ける。耳をつんざくような爆発音が掌で轟き、その衝撃に思わず竹筒を手放してしまった。それでも、狙い通りに白線が一直線に登っていく。
千鶴がこの音に気づいて、空に昇った狼煙を見つけてくれると良いんだが。
願いが天に届いたのか、風に吹かれた白煙が空に溶けてしまう前に、どこからか誰かが俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
「神谷さーんっ!」
「千鶴っ?!」
その呼びかけに辺りを見回すと、遠くにある木々が左右に揺れているのが見えた。忍者のように木から木へと移動している千鶴が、俺の方へと向かってきている。狼煙を見つけてくれたらしい。近くにとまっていたピーツも嬉しそうに飛び出していった。
「神谷さんっ」
「なーに?!」
千鶴は必死に手を上下に動かしている。俺も「ここにいるよ」とアピールするために振り返したのだが、何やら様子が変だ。何かを叫んでいるようだが、まだ遠くて聞き取れない。
「どうしたー?!」
「急いで……してください!」
「なーにっ?!」
「早く降りてっ! 早く地面に降りてください!?」
「えっ、何で?」
声の届く距離までやってきた千鶴は、焦った様子で話し始める。
「孤狼が近くにいます!」
「遠吠えのことでしょ? ローンウルフっていうんだ」
ウルフというあたり、やはり狼の縄張りにでも入っていたようだ。断続的に聞こえている遠吠えは、恐らく侵入者に対する警告だったのだろう。スカルベアーが一目散に逃げ出したのは、相手に有意な土地での戦いは不利だと判断したからか。
「狼男って言えばわかりますか?」
「まあ、なんとなく」
俺のいた世界では、満月を見ると変身する伝説上の生物として知られている。まさかこの異世界には実在するとでもいうのだろうか。
「それがどうかしたの?」
「そいつが来るんですよ」
「ツピツピーッ!」
千鶴の話では、四方から聞こえていた遠吠えは、獲物を狩場へと誘き出すための罠だという。
声から遠ざかる方へと移動したくなる獲物の心理を突いたローンウルフの狩猟方法であり、声が聞こえないということは気配を消して近づいてきていることを意味する。
俺はまんまと、狼たちが遠ざかったと判断してしまった。
「え、やばくない?!」
「こんな所にいたら、すぐにやられてしまいますよ」
しかも俺は、ご丁寧に狼煙を上げて自らの居場所を知らせてしまっている。狼煙がまさに、その文字通りに狼を呼ぶ煙となってしまった。
さらに最悪な情報として、やつらは狼男とも言うだけあって、四足歩行よりも二足歩行の方が得意とのことだった。それはつまり、普通に木登りをしてくることを意味する。
うん、急いで降りよう。
俺がいる木の高さは、30メートルほどだった。登るのは簡単だったが、降りるのは少し時間がかかりそうだ。そうしている間にも、ローンウルフたちは確実に近づいてくる。
「それじゃあ、そこの時計みたいな花を咲かせた蔓植物が見えますか?」」
「こっ、これ?」
「はい、それです!」
千鶴が指さす方には、どこかで見た事があるような花が咲いていた。直径は掌と変わらないぐらいでこの世界では一般的なサイズだが、特徴的なのはその形状であり、まるで精巧な時計の文字盤を思わせる。
白色や帯紫色の花弁が、緑色を帯びた萼片とともに優雅に広がり、中心部には鮮やかな紫色の模様が浮かび上がっていた。
「それ、届きますか?」
「手を伸ばせば届くけど……」
「ちょっと採ってもらえますか?」
またしても何かに使うのだろうか。
手を伸ばしてその花に触れた瞬間、その裏に隠れていた黄緑色の蔓が素早く伸びてくると、「支えを見つけた!」とでも言わんばかりに、俺の腕へ瞬時に巻きついてきた。
巻きひげ状の蔓はバネのように伸び縮みし、まるで蛇にでも締め付けられているかのようだ。
「うへっ?!」
「神谷さん、そのまま飛び降りて!」
「えぇっ?!」
右腕を固定されながら、俺は地面を見下ろした。この蔓を命綱の替わりにしろということなのだろう。
「いや、でも」
「大丈夫です! すぐに助けますから」
俺が戸惑っている間にも、蔓はじわじわと肘から二の腕へと巻き上がってきている。このままでは上半身を締められることになりそうだ。
首まで来たら窒息してもおかしくないため、俺に残された道は一つしかない。
「もう、決断が遅いっ!」
「ちょっと?!」
覚悟を決めるよりも先に千鶴に突き飛ばされた俺は、バンジージャンプのように木の枝から飛び降りた。
「うわあああぁぁ……ぁぁああ?」
あっという間に地面が近づいてくるかと思いきや、腕に絡まっている強靭な鞭の驚くべき柔軟性によって、落下速度は極限まで抑えられた。
想像以上にゆっくりと地面に足を付けることが出来た俺は、思わず感嘆の声をこぼす。
「おおおおぉぉぉ」
「今切りますね!」
俺よりも先に地面に降りていた千鶴が、右腕に絡まった蔓にナイフを入れる。その瞬間、重しになっていた俺がいなくなったことで、テンションから解放された蔓は勢いよく上に戻っていった。
「ねっ、大丈夫だったでしょ?」
「最初から言ってよ。びっくりするじゃん」
「すみません、時間がなかったんで」
一先ず合流できて良かったが、千鶴はスカルベアーとの戦いで左腕に怪我をしている様だった。包帯を巻いて簡易的に処置をしているが、血が滲んで痛そうだ。
「怪我の状態は?」
「そんなに深い傷ではないんですけど、ローンウルフと闘うのはちょっと厳しいですね。それに……」
狼煙を目印にやってきたローンウルフは、辺りの木々に付いた千鶴の血の匂いを覚えて、真っすぐに後を追ってくるだろうとのことだった。狼男と言えど、手負いの獲物を見逃すほど、人間性のある生物ではない。
「スカルベアーみたいに、走って逃げるのもきついとなると……」
「安全そうな場所に逃げ込んだ方がいいですね」
千鶴はそう言うと、ピーツに指笛で指示をした。短い会話をした後、ピーツは勢いよく空に飛びあがるとすぐに見えなくなった。
「神谷さん、竹筒と爆弾植物の実はありますか?」
「うん、威嚇装置をつくるの?」
「いや、奴らの動きに合わせて撃つのは難しいので、ちょっと別の使い方をします」
千鶴はそう言うと、腕に巻いていた包帯をゆっくりと解いた。二の腕が肩から肘にかけて爪で引っ掻かれており、痛々しい傷が露わになる。
「止血してた包帯を辺りに飛散させて、時間稼ぎをします」
「わかった」
「準備してもらえますか?」
「任せて!」
俺が竹を格好している間に、千鶴はマンドレイクの入った瓶を取り出すと、中を満たしているモウセンゴケの粘液を手に取り、患部に塗っていく。
速乾性があるので、緊急時の生体接着剤として使われることもあるらしい。傷口に染みるのか、千鶴は泣きそうな表情で痛みに耐えている。
その上から包帯をきつく縛って応急処置は完了だが、これだけで本当に大丈夫なのだろうか。
「できたよ」
「ありがとうございます」
血に染まった包帯を竹筒に詰め終えたタイミングで、ピーツが戻ってくる。どうやら逃げ込めそうな場所を見つけたらしい。
「それじゃあ行きますよ」
「うん」
避難場所とは違う方角に向けて、俺たちは打ち上げ花火を打ち上げた。血の匂いが辺りに広がり、少しはローンウルフたちを攪乱させることができるだろう。
スターターピストルのように鳴り響いた発射音を合図に、俺たちは一気に駆け出した。




