第14話:竹取物語
「ツピピピッー!」
「うるさっ?!」
洞穴で迎えた二日目。頭上で鳴り響くピーツの鳴き声で目を覚ます。両手で耳を塞いでも、手の甲を嘴で摘まんで起こしてくるので、何とも面倒な存在だ。
オレは一仕事終えたぞって感じの鳴き声だが、昨日は一体どこに行っていたのだろう。てっきり道案内でもしてくれるのかと思っていたのだが、出発と共に飛び去ったピーツは、結局姿を見せないままに一日を終えた。
「おはようございまーす!」
「あっ、おはよう」
ピーツを追っ払っていると、千鶴が洞穴に入ってきた。既に起きて支度を始めていたらしい。メイドに起こされる朝、悪いわけがない。
「よく眠れましたか?」
「おかげさまで」
小さな入り口から差し込んでくる日の光に、目を細めながら辺りを見回す。寝起きで頭の動きが鈍い所為か、思考は何重にも膜で包まれた様に曇っている。蕾の花びらを一枚ずつ剥すように、俺は昨日の事を少しずつ思い出していった。
歪に削られた薄墨の岩窟、緑のコケが覆う木製ベッド。
焚火を囲い、星を見ながら二人で食べた異世界の食材。
マンドレイクの鳴き声に、大燕の巣の収穫。
初日から色々とあったが楽しかった。あんなに充実した日を過ごしたのは、いつ振りだろう。高校に入ってからは特に、適当に過ごしているとは言え何だかんだ勉強は忙しく、何かに心躍らせる体験は少なくなったような気がする。
小さい頃は毎日が冒険みたいで、新しい発見と刺激に満ち溢れていたのに、大きくなるにつれて、自分で見つけるよりも本や教科書なんかで知識を得ることの方が多くなった。
果てしなく広いはずの世界が、まるで掌に収まるようなサイズ感に思え、味気ない物のように感じてしまうのはきっと、いつでもどこであらゆる情報を気軽に得られるようになった所為だろう。
ここに来るまで、そんな事を考えていたが、世界はやっぱり広かった。この宇宙には俺の知らない世界があって、知らない生物がいて、調べれば何でもわかる気になっていたが、まだまだ世界は未知と不思議に溢れている。
「どうかしました?」
「いや、よく眠れたなと思って」
「このコケたちが絶妙に体温調節をしてくれるから、意外と快適なんです」
コケの上に寝ると聞き、体が痛くならないかと心配していたのだが全くの杞憂だった。
起き上がった俺は、外に出て背伸びをした。既に太陽は顔を出して暫く経っているようで、腕時計を見ると八時を過ぎたところだ。
雲は少なく雨の心配はしなくても良さそうだが、山は天気が変わりやすいというからどうなのだろう。
「朝食にしましょうか」
「用意してくれたの?」
「はい!」
「ありがとう」
洞窟の外では昨日のご飯の残りを使って、千鶴がおにぎりを作ってくれていた。中にはアイスプラントをまぶした焼き魚が入っている。
「ちょっとしょっぱいかもしれません」
「全然、丁度いいよ!」
「良かった」
千鶴も一緒に朝食を取るが、ちょっと距離がある。
「ん、どうかした?」
「あのー、私、昨日の夜のことをよく覚えていなくって」
昨夜はやっぱり、熟れすぎたカーキーのアルコールにやられて酔っぱらっていたようだ。しかし、俺も食べたが全く影響はなかったので、千鶴は相当弱いらしい。
「何か変なことをしませんでしたか?」
「いや、普通だったけど」
「それなら良いんですけど……」
近くの学校から逃げ出してきた学生だと勘違いしていた事は、わざわざ教えなくてもいいだろう。俺にとっても、忘れていてくれた方が面倒が少ない。
お腹を満たした後は、次の採取で必要な道具だけをまとめて出発することにした。狙っている素材は崖登りをした先にあるとのことで、荷物は極力軽くして身動きがしやすい装備を抱える。夕方までには、ここに帰ってくる予定だ。
「よし、出発しましょう。でもその前に、まずは水を確保しに行きます」
「川までも戻るの?」
「いいえ。昨日の内にピーツが見つけてくれた場所があるんです」
なるほど、ピーツは重要なミッションを遂行していたらしい。着いて来いと言わんばかりに鳴き声を上げたピーツは、獣道を外れて笹や竹が生えているエリアの方へと足を踏み入れていった。
周りには目印になりそうな大きな木は生えていないため、ピーツや千鶴と離れたらたちまち迷子になってしまうだろう。
頭上を飛ぶピーツは小さいので、ひとまず千鶴を見失わないように、黒いメイド服を視界の端に留めながら歩いた。
暫くすると、発色の良い緑色の景色の中には、微風に揺れる笹の葉の騒めきだけが響くようになり、まるで時の流れが異なっているかのような、神聖な雰囲気に満ち始めた。
いつの間にか知らぬ間に禁足地にでも迷い込んでしまったかのようで、恐懼の念にかられていると千鶴が指を差した。
「見えてきましたよ!」
「わぁ、もしかして湧き水?」
「そうなんです。一年毎に場所が変わる不思議な泉です」
急に視界が開けたかと思うと、目の前に小さな泉が現れた。キラキラと光を反射する静かな水面は、透明なガラスのように透き通っている。透明度は非常に高く、沸々と砂を巻き上げながら水が湧き出てくる様子を見ることが出来た。
「凄いね、ここ」
「ちょうど前の泉がなくなるタイミングだったので、ピーツに探してもらっていたんです」
水の中を覗くと多種多様な水生生物が生息していた。テナガエビやサワガニ、サンショウウオなど綺麗な水を好む生物とそれを狙う魚たち、さらにそれらを捕食する中型生物といった具合に、食物連鎖のダイナミクスが繰り広げられている。
「神谷さん、ここでちょっと待機しててください!」
「えっ、どこかいくの?」
「ちょうど収集したい素材がすぐ近くにあるんですよ」
荷物を降ろし準備運動をしていた千鶴は、背伸びをしながら木の上を指さした。視線を移すと、元の世界でも見たことのあるハニカム構造の建造物が、木の枝にぶら下がっている。
「ハチの巣?!」
「ちょっと採ってきますね」
「えっ、あれを?!」
防護服も着ていないのにどうするのだろう。俺の心配を余所に、千鶴はトンッと軽やかに飛び上がった。枝から枝へとジャンプし、あっという間に見上げるほどの高さまで登って行く。
黒のメイド服も相まって、忍者みたいだ。実は強いという話も、嘘ではないのかもしれない。すぐに蜂の巣と同じ高さまで行き、俺に手を振っている。
「いきますよー!」
「オッ、オーラーイ!?」
腰に差していたナイフを取り出した千鶴は、蜂の巣を少しだけ切り取った。その瞬間、住居を壊された住民たちが怒りの猛抗議を始める。
千鶴は手待ちの瓶に蜂蜜を詰めると直ぐに隣の木へと避難する。随分と手際の良い作業で、やり慣れているようだ。
「神谷さーん!」
「どうしたー?」
「蜂がそっちに行きましたっ!」
「はぇっ?!」
巣の周りで蠢いていた黒い塊が、気づけばこちらに向かってきている。空気を叩く低い羽音を響かせ、流動性のある物体のように形を変えながら襲い掛かってきた。
「何でこっちなんだよ!」
「逃げてくださーい!」
言われなくても走って逃げたが、どうやら逆に刺激してしまったらしい。完全にターゲットを俺に絞った蜂たちは、一矢報いろうと執拗に追いかけてくる。
「冤罪だぁ! 俺は何もしてないぞっ!」
「神谷さんっ、水の中に潜って!」
「うぉおおおおお!」
頭上から聞こえる千鶴の指示に、俺は迷わず泉に飛び込んだ。激しく水飛沫を上げながら、清涼な水の中へ潜水する。流石に水中までは追ってこられないだろう。
泉底から水面の様子を伺うと、俺が浮上してくるのを待っているようで、ちょうど真上を旋回しながら飛び回っている。対岸まで潜水して移動しているが、そろそろ息が保たない。
いよいよ限界を迎え、水面に浮上しようとした時、蜂たちは漸く諦めて去っていった。
「ぶはぁっ!」
「大丈夫でしたかっ?!」
「はぁ、はぁ。なんとかねっ……」
先回りしていた千鶴に引きずられ、ずるずると陸に上がった俺は、仰向けになって息を整えた。
「完全に目が覚めたわ」
「刺されなくて良かったです」
万が一刺されていたら、患部がパンパンに腫れ上がるらしい。そこまでは一緒だが、異世界の生物というのは恐ろしい存在で、そのまま腫れが全身に広がると風船のように膨らんで空に浮かぶらしい。
「えっ、何それ?!」
「毒が身体を分解して、ガスが発生するんです。もちろんすぐに処置すれば大丈夫ですよ」
あくまでも放置していた場合の話らしいが、怖すぎるだろ。知らずのうちに刺されていたら一発でアウトじゃないか。
それから千鶴は、再びピーツの案内で竹林を歩いていく。手に入れた蜂の巣には、泉の周りに群生している竹の花の蜜が集められているらしい。
案内されて辿り着いた場所には、花を咲かせた竹が密集している。百年に一度しか見ることできない竹の花は、稲穂のように細長く、派手さはないが控えめで素朴な美しさがあった。
「初めて見た。綺麗だね!」
「百年に一度って言っても、竹林の中のどこかのポイントのどこかでは毎年咲いているんですけどね」
「花が咲いた竹の近くに、この泉が湧くってわけか」 「そうなんです」
蜂蜜を手に入れるにはまず、花を咲かせた竹林を見つけることから始まるため、下手をすれば相当時間がかかる作業になる。しかし今回は、すぐに蜂の巣を見つける事ができてラッキーだった。
俺が襲われている間に、ちゃっかりミツバチに目印を付けていた千鶴は、その後をピーツに追わせて花を咲かせた竹林の場所を把握していた。貴重な機会だから、俺に花を見せようと思ったらしい。
「山に入ってからは、ピーツに泉の場所を探してもらってたんです」
「だから姿が見えなかったのか」
「そうなんです」
千鶴はピーツを呼び戻すと、蜂蜜のおこぼれを上げながら苦労を労わっている。
「あのさ」
「ん?」
「ちょっと気になったんだけどさ、あそこになんか光ってる竹がない?」
と俺は指を差す。竹林の少し奥に、もと光る竹なむ一筋ありけるだった。
「わわわわ、凄いですよこれ!」
「なになに?」
珍しく慌てた様子の千鶴は、光っている竹の下へと忍び足で駆けていった。
日中ではわかりにくい照度だが、地面から1メートルほどの高さにある節間から暖かな光がこぼしている竹が一本あり、周りを淡く照らしている。
音を立てないようにと人差し指を唇に当てながら、千鶴が説明する。
「この中に、かぐや姫がいます」
「えっ、かぐや姫ってあの?!」
「そうです」
ゆっくりと鉈を取り出した千鶴は、その一本を俺に手渡しながら素早く指示をする。
「光が消えないうちに刈りますよ」
「刈るってこれを?」
「はい!」
鉈を構えた千鶴は、光を放つ節間を傷つけないように、下側の節から少し離れたポイントへ素早く振り下ろした。しかし、インパクトの瞬間、光は一瞬にして消えると、すぐ隣の竹に移っていた。
「ッ?!」
「あっ、惜しいっ! 失敗しました」
「瞬間移動っ?!」
「そっち行きましたよ!」
「えっ、えっ!」
竹を指さして素振りをする千鶴。俺がやれということなのだろう。ええい、ままよと鉈を振り被った瞬間、かぐや姫はその気配を察知したのか、光は別の竹に移動した。
「かぐや姫を捕まえるにはちょっと厄介なところがあって、確定させるのが難しんですよ」
「モグラたたきみたいってこと?」
「そんな感じです!」
と言いながら千鶴は次の竹を狙う。しかし、その動きを読んでいたとばかりに節の中の光は、次々と別の竹の中へ移動していく。あちらこちらで点滅するので、追いかけるのも一苦労だ。
「おりゃっ!!」
「よいしょっ!」
「うらっ!」
「はっ!」
光っては竹を打ち、逃げられては竹を打ち、二人で二十本ぐらいは切り倒したところで、このままでは埒が明かないと、額に浮かんだ汗を拭いながら千鶴が言った。
「神谷さんっ、私が仕掛けますから、神谷さんは目の前の竹だけに集中してください」
「おっけい、わかった!」
千鶴がひたすら追いかけ回し、俺はただ一本だけに集中することにした。ランダムに点滅を繰り返り、まるで挑発しているかのような光の動きを視界の端で追いながら、俺はターゲットの竹に光が灯る一瞬に全集中をした。
抜刀の構えでタイミングを見計らい、その時をひたすら待つ。そして節間が淡く光を放った瞬間、俺は渾身の一撃をくりだした。
「はっ!!!」
スパンッと気持ちの良い音がして、目の前の竹は一発で切断された。切断面に沿って滑り落ちた竹が、地面に倒れて音を立てる。見ると、逃げ場を失った光が、竹の中を上下に走り回っている。
「やりましたね、神谷さんっ!!」
「よっしゃ!」
「あとは徐々に短くしていくだけですよ!」
まるでストッパーキューブリッジというゲームでもしているかのように、俺たちは光が動ける可動範囲を狭めていった。
タイミングを見計らう繊細な作業の末に、光が留まる節間だけを一節だけ残すことに成功した。続いて千鶴は、節から上下に余裕を持たせていた場所に穴を開けると、紐を通していく。
そうした苦労の末に出来上がったのが、簡易的なランタンだった。
「これで灯りの問題は解決ですね」
「何か思ってたのと違うんだけど!」
多分、中にいるかぐや姫も同じツッコみをしていると思う。まさかこんな使われ方をするとは思ってもいなかっただろう。
「切って対面するんじゃないの?」
「どうしてですか?」
「いや、どうしてって言われても」
「確かに、中にいるのは絶世の美女ではあるんですけど、自意識過剰で我儘なめんどくさい奴なんですよ。私を囲っておきたいのなら仏の御石の鉢を持ってこいとか、火鼠の皮衣を持ってこいとか無理難題を並べて」
そういえば、竹取物語ってそんな話だったような気が。話を聞くと、千鶴も数年前に光る竹を見つけたことがあるらしい。
その時は、中から出てきたかぐや姫に龍の首の玉を要求されのだが、七日以内に用意することが出来なかったため、そのまま光となって消えてしまったそうだ。
かぐや姫は花を咲かせた竹林の中で一本だけに現れ、しかも一日で消えてしまう存在らしい。今回見つけた時には既に発光のピークが過ぎており、もう少し遅かったら消えていたという。
「あっ、そう言えば、燕の子安貝は丁度手に入れてますね」
「燕の子安貝……、もしかしてあの時の?」
「はい!」
大燕の巣を解体していた時、千鶴に「珍しいからお守りとして重宝されるんですよ」と手渡されたものがある。只の貝殻だと思っていたが、相当なレアなアイテムだったらしい。
食べられてしまった動物たちの骨に交じって、シャコガイみたいなビッグサイズの貝殻も散乱していた。あまりにもデカいので、その場で簡単に加工して欠片を貰ったのだが、これがそれだったようだ。
因みに、千鶴が耳につけている鳥笛もこの貝殻を加工して作ったものらしい。
「なんか反応してない?」
「もしかしたら子安貝を要求してくるかもしれませんね!」
かぐや姫が何を要求してくるかは、竹を開けてみるまではわからない。そのため、取り敢えず逃げられないように捕獲を優先した。
試しに、ポケットに仕舞っていた貝殻を取り出して近づけてみると、それに反応したのか竹の光が輝きを増していく。意図せず、光量を調整する方法も編み出してしまった。
「ますます便利になりましたね。やっぱり、開けるのは拠点に帰ってからにしましょう!」
「それはまあ任せるんだけどさ、こんな扱いでいいのかな?」
「いいんですよ。世の中、思い通りにはいかないってことを教えないと」
と千鶴は俺にランタンと化した光る竹を手渡す。幸先が良いですねと笑いながら、千鶴は荷物をまとめると次の素材確保に向けて動き始めた。
ランタン(かぐや姫の入った竹)を隙掛けにした俺は、この異世界と俺のいた世界に不思議な繋がりを感じながらその後を追っていく。




