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第九話:呉服屋のメイド


 次に目が覚めたとき、そこは質素ながらも妙に落ち着ける部屋の中だった。仰向けで見上げた木目の天井には和風な電球がつるされ、暖色の光が優しく室内を照らしている。掛けられたら布団はふわふわで心地良く、全てが夢だったのではないかと錯覚するほど日常感に満ちていた。言うなれば、田舎の祖父母宅のような。


「どこだここ……?」


 左手を持ち上げて見ると、白い包帯が巻かれていた。それどころか、全身がぐるぐる巻きでミイラみたいになっている。蛇に噛まれた患部は熱を持ち腫れているようで、握り拳を作ると少し突っ張った感じがした。目眩や吐き気といった症状は殆どないが、全身が筋肉痛に悲鳴をあげている。


「くっ、痛ててて……」


 ゆっくりと上半身を起こした俺は、改めて部屋を見回した。十畳程の部屋には上等なタンスが俺をコの字で囲むように据え付けられ、足元の障子は閉められている。


 淡々と時を刻む振り子時計は、十一時五十九分を示していた。そして、長針と短針が重なった瞬間、ゴーンと十二時を知らせる鐘の音が鳴り響く。ふと見た腕時計のデジタル表記も同じ時刻を差していた。


 時計の円盤はよく知った十二時間表記で、この世界も俺がいた世界と同じ二十四時間で一日が進んでいるようだ。


 そんなことを考えていると、その向こうに歩き回る人の気配がした。気合いを入れて布団から這い出した俺は、筋肉痛に耐えながらのそのそと障子に近づいた。隙間を少し開け、外を覗こうとした時、勢い良く障子が開けられた。


「うぉっ?!」


 驚いて布団にひっくり返った俺に、嗄れた女性の声が降ってくる。


「おや、お目覚めになられましたか?」

「……はい」


 廊下には上品な着物に身を包む老婆が立っていた。年齢は80歳くらいだろうか。磨かれた仕草は隅々まで美しく、まるで旅館の女将さんみたいだ。若い時はさぞかしモテたのだろう。老いてもなお気品のある端正な容姿は、綺麗な人が綺麗に年を重ねたらこんな風になると模範回答のようだ。


「あの、俺はどのくらい?」

「3日ほどですかね」

「3日も?!」


 寝ていたと言うよりも気を失っていたという方が近いかもしれない。ちなみに俺の睡眠時間の最長記録は23時間だ。自己ベストを大幅に越えるニューレコードの達成を喜ぶかのように、お腹がギュルギュルと捻れたような音を出した。

 

「えぇ、ですからお腹が空いているでしょう? 食事にしましょうか」

「食事……」


 お婆さんに案内された座敷では、既に老爺が食事をしている。あらゆる物事を優しく包んでくれそうな笑顔で、その朗らかな雰囲気はお婆さんとはまた違った印象を与える。


「おや、漸く目覚めなさったか」

「はい」

「体調はどうですか?」

「おかげさまで……」


 その声は河川敷で処置を受けたときに聞いた覚えがあった。お爺さんが俺を助けてくれたのだろう。


「助けていただき、ありがとうございました」

「いやいや、大したことはしとらんよ。まずは食事をして精を付けてくださいな」

「はい、頂きます」


 促されて席に座ると、お婆さんが用意してくれた赤い漆器には、様々な料理が盛り付けられていく。いわゆる精進料理というやつに近い。どれも質素で味気なさそうだが、空腹という最高のスパイスを得た今なら、何を食べても感動する旨さだろう。よだれを垂らさんばかりの俺に、お婆さんが箸を勧めた。


「お口に合うかわかりませんが……」

「いただきます!」


 まずは汁物から。味噌と豆腐に少しの葉物というシンプルな内容だが、その旨味は温かさと共に五臓六腑へ染み渡っていく。やっぱり日本人には味噌汁だ。


「あぁ」と声を漏らす俺に、老夫婦も嬉しそうな表情で食事を始めた。包帯まみれて箸が扱いつらいが、止まることはない。


 魚や肉といった動物性タンパク質はなかったが、白米に漬け物、煮物に和え物は、疲れ果てた身体を優しく労ってくれる。海外で和食が恋しくなるのはこんな感じなのだろうかと、異世界で感じている。


「おかわりもありますから」

「ありがとうございます!」


 料理も食器も家具も、明らかに日本的であることから、この世界がよくありがちな西洋風の異世界ではないという事がわかる。やはりタイムスリップという線もまだ捨てられないか? それとも並行世界か。


「どうかされましたか?」

「いや、凄く美味しいなと」


 箸を止めて少し物思いに耽っていた俺に、お婆さんが声をかけてくる。


 今はここがどこかなんてどうでも良いじゃないか。目の前の食事に集中しないと失礼だ。ひとまず、きちんと言葉の通じる人たちと出会えたことに感謝して、お腹を満たそう。

 

 二杯目のおかわりを食べていると、急ぎ足で廊下を歩く音が聞こえた。小動物が小走りするような軽快なステップで、タッタッタッと迷いなく近づいくる。足音は勢い余ったのか部屋の前を通り過ぎ、直ぐにバックして戻ってくる。


「まったく騒がしい……」とお婆さんがため息をついた。どうやら、いつもの事らしい。


 それからゆっくり襖が開いたかと思うと、見知った女性が顔を覗かせた。そんな事はお構いなしに白米をかき込んでいる俺の姿に、隙間の奥に見える目は柔らかな微笑みを浮かべた。


「良かった、お目覚めになられたのですね!」

「君も元気そうで」


 慎ましく部屋の中に入ってきたのは、溺れているところを助けた女の子だった。まぁ、結果的には俺も彼女に救われることになったのだが、お互い元気そうでなによりだ。


「私は千鶴と申します。先日は助けていただき、本当にありがとうございました」と恭しく頭を下げる千鶴に、俺は慌てて姿勢を正した。


「いやいや、こちらこそ。神谷といいます。助けていただいた上に看病までしていただき」

「神谷さん。いえ、そんなお気になさらず。元はといえば、そのお怪我は私に元凶があるのですから、当然のことをしているまでです」

「いやいや、本当に俺の方こそ、千鶴さんたちに出会わなければ今頃路頭に迷って死んでいたかもしれないので」


 と、互いに謙遜している俺たちにお婆さんが合いの手を入れる。


「まあまあ、二人ともこうして無事で何より」

「そうですね」

「千鶴もご苦労様。昼食にしなさい」

「はい!」


 席に着いた千鶴を、よく見ると黒いメイド服を着用していた。出会った時とはまた違うデザインだ。一仕事終えてきたのか、額にうっすらと汗をかいている。誰かに仕えているのか尋ねたが、そうではないらしい。となると、何かのコスプレだろうか。


「この服は完全に私の趣味でして」

「そうなんだ」

「この子は裁縫が得意でね。自分の服は全部自分で作っとる」とお爺さんは布を縫う真似する。


「えっ。それじゃ、そのメイド服も?」

「はい、恥ずかしながら」


 彼女の腕は相当なのだろう。部位によって材質を使い分けているのか、素人が作った薄っぺらいコスプレ感がなく普段使いを意識されている。細部まで拘られたデザインは、上品さを感じさせつつも機能性を損なっていない。先日着ていた衣装も、自作とのことだった。


「自分で作れるって凄いな」

「作るのはいいんですけど、試着してくれる人が近くにはいなくて。でも飾っておくのも服が可哀想だから、自分で着てるんです。でも、まじまじと見られるのはちょっと恥ずかしいですね」


 おっと、これはいけない。ついつい魅入ってしまっていたようだ。俯きながら見せる控え目な笑顔と、ほんのり桃色に染まる頬に浮かんだえくぼ。あどけなさが残るその表情は、俺よりも年下なのだろうと思わせた。


「全部独学なの?」

「いえ、普段は祖父母のお店を手伝いをしてるので、そこで裁縫技術を学びながら」

「ってことはやっぱりこの家は……」

「はい、私たちは代々、この地で呉服屋を営んでおります」


 千鶴たちは生地の調達からデザイン、仕立てまで全てを自分たちで行う服飾のプロフェッショナルだった。元々は中古の服を扱う店舗だったが、その時代のニーズに合わせてサービスを少しずつ変え、現在ではオーダーメイドの洋服販売をメインとしている。


「着物が主流だった頃は、何よりも煌びやかな意匠が求められましたが、今は機能性重視ですからねぇ」


 如何に軽く、如何に丈夫で、如何に動きやすいか。デザインは凝った物ではなく、シンプルで使いやすいもの。求められていることは十分理解できるが、作り手としては幾分つまらない時代になってしまったと、お爺さんは昔を回顧する。


 大量生産で大量消費の時代を生き残るには、ブランド力が大事になる。千鶴には暇さえあれば布に触れ、裁縫技術を磨くように指導してきたという。その甲斐があってか、ここら一帯では最も技術がある洋服店として認知されており、注文が止まない人気店らしい。


「私なんてまだまだです。お婆ちゃんなんて、勉強の為に人様の衣服を強奪するような暴挙に及んでいたとか」

「あはっはっはっ。懐かしいねぇ」


 とお婆さんは悪戯な笑みを浮かべる。今でこそ上品で温厚そうな雰囲気だが、昔はブイブイ言わせていたらしい。その名残なのか、よく見ると綺麗な白髪に差し色のように紫色のインナーカラーが入り、骸骨を模しピアスをしている。指先を飾るネイルは艶やかな黒で、年齢にしては攻めたファッションだ。


 お婆さんが幾年になっても自分のセンスを大事にする洒落た人であるのに対して、お爺さんは日向のように穏やかな表情で話を聞いている。何でも笑って許してくれそうな雰囲気を醸し出しており、お婆さんの無茶に呆れながらも何十年も付き合ってきたことが伺い知れる。きっと相性が良いのだろう。


「お爺さんと出会ったのもその頃ですかねぇ」

「ねぇ、二人の出会いってどんなだったの?」と千鶴は興味津々と言った様子で尋ねた。恋愛話が気になるのはいかにも年頃の女の子って感じで安心する。


「それはもう、最悪の出会いだった」とお婆さんとお爺さんは口添えて言った。おしどり夫婦にも大変な歴史があるらしい。


……


 二人の思い出話を聞きながら食事を済ませた後、千鶴と後片付けをすることになった。怪我人の客人はゆっくり休むようにと言われたが、流石に寝過ぎも体に良くない。


 とは言え、満足に体を動かせないので、殆ど見ているだけになる。手際の良い千鶴の助手をしながら話をしていると、話題は自然とあの夜のことになる。


「ところでさ、千鶴はあの時、どうして森の中にいたの?」

「えっと、染色をしてまして」

「染色……、あの布を染めるやつ?」

「はい。染め物を洗うためには綺麗な水が必要なので少し山奥の方に……」

「確かにあの川の水は凄く澄んでて綺麗だったもんね。


 川の水で洗っていた布が流れそうになり、慌てて手を伸ばしたところ足を滑らせ、川に落ちてしまったらしい。自慢のメイド服も、この時ばかりは邪魔になり、動きが制限されて慌てているうちに、どんどん下流へと流されていったそうだ。濁流に飲み込まれる中、もう駄目かもしれないと意識を失いかけた時、悲鳴を聞きつけた俺が登場したということだった。


「メイド服も濡れると想像以上に重くって。実際に体験しないとわからない事ってあるんですね」


 と目を輝かせる千鶴。まだまだ改良の余地があると今回の事件を前向きにとらえる彼女は、とことんプロフェッショナルだ。次回作はスカート部分が浮き輪のように膨らんで水に浮かぶ仕様を考えているらしい。


「腕の傷は、大丈夫?」


 食器を洗うために袖を捲った千鶴の腕には、痛々しい痣が浮かんでいるのが見えた。


「これぐらい全然平気ですよ!」と千鶴は健気な笑顔を見せた。恐らく、タイツで隠した脚にも同様の痣ができているはずだ。


 上手く泳げなかったのは濡れた服が重かったのもあるが、実は大蛇が彼女を川底へ連れ去ろうとしていた所為でもあることは別に伝えなくても良いだろう。


「でも、わざわざ日が暮れてから行かなくてもよかったんじゃない?」

「実は特殊な染料を使った布でして、極力光に当てないようにする必要があったんですけど……」と言葉小さく答える千鶴。


「何でそんなに申し訳無さそうなの?」

「あの、その特殊な染料というのが……」と千鶴は俺の体を指差した。

「実は光に当てると過剰に反応してしまいまして」

「ん? どういう事?」

「すみません。まさかあの時間帯に下流で泳いでいる人がいるなんて。そもそもあの川で泳ぐということが……」と千鶴は説明を始める。


 端的に言えば、俺はあの日、千鶴が洗い流した染色液が高濃度で含まれてる川で水浴びをしてしまっていたらしい。液が付くだけなら問題は少ないが、光に当たるともう駄目だという。


「じゃあこれって……!」


 洗面台の鏡を前に、俺は顔を覆っていた包帯を解く。全身に重傷を負った事の処置だと思っていたが、この肌色を隠す為でもってあったらしい。唐辛子のような赤色に染まった男が、驚愕の表情を見せている。


「これ、いつか落ちるんだよね?!」


 千鶴が見ているのも構わず、俺は全身の包帯を急いで解き確認する。


「はい、皮膚の表面が染色されているだけなので。でも、しばらくはそのままだと思います」と千鶴は背中を向けて答える。


「しばらくってどの位?」

「1ヶ月は優にかかるかと……」

「1ヶ月っ?!」

「あっ、でも落とす方法はありますので」


 と千鶴は食器を洗っていたスポンジを手に持って言った。



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