【コミカライズ】婚約破棄された令嬢は、婚約者を奪った妹に現実を見せつける
7/30、コミックシーモア様にて、『ハッピーエンド確定!? 溺愛が止まりません! 愛され令嬢アンソロジーコミック』の中にコミカライズとして掲載していただきました!
リンクは活動報告に貼りましたので、よろしくお願いいたします(⌒∇⌒)
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婚約破棄ものです。これにて完結です。
2/12 友人にイラストを描いていただきました! いえーいv
「カンティレーナ、あなたとの婚約を解消しても良いだろうか」
マエスト王国の第1王子サメンテは、王宮の東屋に呼び出した、婚約者であるレガート侯爵家カンティレーナ令嬢に、そう切り出した。
「……サメンテさま、今、なんと?」
「あなたとの婚約を解消したいと、言った」
「聞き間違いではなかったようですね。理由をお聞きしても?」
この東屋には二人と、二人の従者、それに護衛が少し離れたところにいるだけで、他人に聞かれることがない場所とはいえ、こんなところで話す内容ではない。
それゆえに一度聞きなおしたカンティレーナだったが、間違いではないと確認して、持っていたカップをソーサーに戻しながら聞いた。
「実は、あなたの妹が」
「ラクリマンドですか?」
「そうだ。彼女が、自分の方が私の婚約者にふさわしいと直訴してきたのだ」
「はあ」
「最初は全く相手にしなかったのだが、先日30回目の直訴を受けて、その情熱に打たれた。それであなたさえよければ、考慮してみようかと」
カンティレーナは、つと目線を落とし、膝の上の扇を開いて、口元に持ってきた。
「妹ですか……。あの子にサメンテ様の婚約者が務まりますでしょうか」
「本人はやる気だよ。決意を聞いてみるかい?」
サメンテが従者に手で合図をすると、どこにいたのか、カンティレーナの妹の、ラクリマンドがサメンテの後方から現れた。
カンティレーナとサメンテは今年で19歳。
カンティレーナは流れるようなストレートのダークグレーの髪を、今日はハーフアップにしているだけで、後ろに流している。装いも落ち着いたネイビーブルーで、その暗い青を強調するように効果的にちりばめられた小さな宝石たちのついたシンプルなAラインドレスを着用している。
それに対して後ろから出てきた2歳年下のラクリマンドは、髪の色こそカンティレーナと似た色だが、こちらはつややかなダークブルーの毛先を巻き、ハーフアップに上げている。
ドレスは明るい青で、レースを効果的に使った、腰の括れを強調したプリンセスラインだ。
姉妹だけあって、顔はよく似ている。カンティレーナの方がしっかりして見え、ラクリマンドはかわいい系かもしれない、という位の違いだ。
「殿下」
「ああ。ラクリマンド、こちらに」
サメンテは立ち上がり、彼女に向かって手を差し伸べ、ラクリマンドは微笑んでその手を取った。そしてサメンテのエスコートで、彼の隣の席に腰掛ける。それを見守ってからサメンテも腰掛けた。
すぐに控えていた侍女がラクリマンドの分の紅茶を入れる。それを優雅に一口頂いたラクリマンドがカンティレーナに話しかけた。
「お姉さま。私、お姉さまよりも殿下のお嫁さんに向いていると思うの」
「どうしてか聞いてもいいかしら?」
「もちろんですとも。私はお姉さまより2歳年下だけれど、家の女家庭教師もお姉さまと遜色ないと太鼓判を押してくださいましたわ。それどころか、踊りや楽器は私の方が上手いと言っていただいてますし、何よりもサメンテ様をお姉さまよりも愛していますから」
「どれを基準にそんな事を言っているのか分からないけれど、私よりも愛しているというのは、どういう事かしら?」
「だってお姉さま、毎日忙しいとサメンテさまとデートの一つもしないじゃないですか」
「それは、わたくしだけではなく、殿下もお忙しいから、お時間が合わないのよ」
「私とは何度もデートをしてくださいましたわ。お姉さま、時間は合わせるものではなく、作るものなのよ?」
「そう言われても……」
カンティレーナがサメンテを見ると、穏やかに茶を飲んでいた。その目線が重なる。
「殿下、妹とデート、なさったのですか?」
「あれをデートと言って良いのか分からないが」
「あれは紛れもなくデートですわ!」
フンスと鼻息も荒く、ラクリマンドが割って入る。
「お忙しい殿下ですもの、執務室で一緒にお茶を飲んだり、この東屋でおしゃべりをしたりでしたけれど、お姉さまのように婚約者の義務でお茶しているのではないもの。あれはデートよ」
「……そう」
確かに婚約者としての義務で、週に1度程度、こうやってお茶の時間が設けられており、そこでしか二人は直接会話を交わすことはない。
カンティレーナが黙ってしまうと、サメンテが口を開いた。
「カンティレーナ嬢、あなたはずっと忙しかっただろう? ここで少し、ゆっくりしてみたらどうだろうか」
「……もう、王妃教育は必要ないとおっしゃるのですか?」
思わず縋るような声になっていたが、サメンテは全く気に留めず、頷いた。
「ああ。必要ないだろう」
「代わりにラクリマンドが、王妃教育を受けるというのですか?」
「本人がやりたがっているんだ、やらせてやっても良いと、私は考えている」
「そんな簡単に決めていいことではないと思うのですが……」
「正直に言うとだな」
サメンテは真剣な目でカンティレーナを見つめた。
「王妃教育は、受けたいものが受ければいいのだ。渋々受けるよりは、やりたくて仕方がない人が受けた方が良い」
「そ、そんな……」
「ですよね!」
思わず声が震えるカンティレーナを横目に、ラクリマンドは歓声を上げた。
サメンテはそんなラクリマンドを見て、フッ、と笑った。
「いいんじゃないか? こんなにやる気があるんだ。その方がカンティレーナも楽になるだろう」
「……殿下……」
「うふふ、殿下、ありがとうございますぅ~!」
俯いて震えるカンティレーナと、キラキラした目でサメンテを見つめて両手を顔のまえで握っているラクリマンドという対照的な二人と同じテーブルで、サメンテは初めて体勢を崩した。
椅子に斜めに座って足を組み、片ひじをテーブルに乗せてその手を側頭部に当てる。このように崩れた姿勢を、この皇太子が人前ですることはほとんどない。
そのまま視線をカンティレーナに向けて言った。
「そういう事だ。カンティレーナ嬢。婚約を解消してくれ。そしてラクリマンドとの婚約を前提に動いていきたい」
「ありがとうございます殿下! 大好き!!」
「おいおい、飛びつかないでくれ。ひとまえだし、まだ婚約などしていないのだから」
「お姉さまと婚約を破棄したのですから、良いではありませんか! というか、すぐに婚約してくださいな!」
「そうはいかないよ。色々手続きがあるし、何よりもあなたが王妃教育に耐えられなければ、婚約しても意味がないのだから」
「大丈夫です! お姉さまが出来たのですから、私にも出来ます!」
「そうだと良いのだけれど。まあともかく、まずは婚約解消の手続きに3か月はかかる。そのあと、新しく婚約するための手続きに3か月程度はかかるのだ。その間の半年、王妃教育にいそしんでくれるね?」
「そんなにかかるんですか? ……はあい、分かりました」
「聞き分けてくれて嬉しいよ。それじゃあ、早速明日の朝から城に来て教育を受けてくれ。担当の者には伝えておくから。あとの事は宮廷家庭教師のグラーチレに聞いてくれ。ああ、カンティレーナ、ラクリマンドをグラーチレに引き合わせてくれ。それがすんだら、君は下がっていいから」
「……はい」
涙ながらに小さな声で答えたカンティレーナは、涙を見せないようにうつむいたまま立ち上がり、後ろを向いてそっとハンカチで目頭を押さえた。そうして、綺麗な綺麗なカーテシーを披露してから、ラクリマンドに付いて来るように、と声を掛けた。
ラクリマンドは喜び勇んで、ピョンと立ち上がり、カーテシーをサメンテに披露してから、カンティレーナに付いて行った。
人気のない王城の廊下を歩いている時、ラクリマンドはカンティレーナの隣に並んで、その顔を覗き込んだ。
「ごめんね~お姉さま。サメンテ様をとっちゃって」
「……」
「だってぇ、お姉さまって、固すぎるんだもの。だからサメンテ様が私の方が可愛くていいな、って思っちゃったのよ?」
「……」
「恨むなら自分を恨んでよね、その無表情で面白味もな~んにもない、自分に!」
イヒヒ、と笑って、また斜め後ろに戻る。
二人はもちろん血のつながった姉妹だ。両親は同じように二人に接し、同じように育てた。幼少時、ラクリマンドはカンティレーナの後ろをついて歩きまわり、彼女がやる事は何でもやりたがった。まだ早いと言われた勉強も、姉の側から離れず、家庭教師の言う事をどんどんと吸収していった。
妹の特性だろうか、姉が上手くできずに苦労している事を、要領よくこなしていく。家庭教師のイラリタは、そんなラクリマンドを見て、両親にきちんとした教育を早く受けさせた方が良いと助言し、イラリタの親戚の女性、インティモがラクリマンドの家庭教師を務めるようになった。
良くも悪くも、この家庭教師のインティモもイラリタに敵愾心を燃やし、ラクリマンドをカンティレーナ以上のレディにするために、煽てなだめすかして教育を施していった。
その結果、二人は優秀な生徒と評判になり、10歳の時にその噂から王族の目にとまり、面談の結果、カンティレーナがサメンテの婚約者にと望まれたのだ。
だがラクリマンドは面白くなかった。年下の自分の方が優秀なのに、何故自分ではなく、要領の悪い姉が選ばれたのかと。
そして姉にお妃教育が始まると、当時8歳のラクリマンドはインティモに頼んで、自宅で王妃教育を模したものを取り入れてもらった。
ラクリマンドはそれに真剣に取り組んだ。嫌いな文学も読み、その言い回しを覚えた。外国語も頑張ったし、算術が必要だと聞けば今までの基本から応用に挑戦した。ただただ姉の方が難しい事を習っている、というのが気に入らなかっただけだが、その一心で頑張った。
ダンスも今まで以上に頑張ったし、ピアノの練習も増やした。家族が驚くほど真剣に、彼女は勉強に打ち込んだのだ。
それから9年。14歳から貴族屋敷でのダンスやお茶会に参加をし、そこで見事な演奏やマナー、ダンスを披露してきた。周りとくらべてもラクリマンドは非常に優秀だった。
姉はそういった集まりにもほとんど参加せずにいた。デビュタント後は、年に一度は王宮で行われるダンスパーティには参加し、サメンテと踊っていたが、ラクリマンドから見れば絶対に自分の方が上手く踊れている、と思えるレベルだった。
さらには姉は年々その表情が消え、能面のような表情になっていった。夜しか家にいないし、夕食を共にする機会も週に1~2度になっていったが、その時ですらニコリともしない。誕生日にお祝いをしようとしても、疲れているから休む、と食事が終わるとそそくさと部屋に戻ってしまった。
もちろんプレゼントのお礼は言われたが、そんなに疲れる事ってある? とラクリマンドは憤慨した。姉が優秀ではないから、王妃教育に付いていけないのか、さぼっているのではないかとも思った。
そんな時、年々年頃らしい元気さを失っていく姉を、エスコートするサメンテもまた、無表情で見ていることに気が付いた。
二人は愛し合ってなどいない。そんな愛のない二人が将来の王と王妃って、どうなの?
ラクリマンドは、自分なら忙しいサメンテをいたわりつつ、笑顔で支えていく自信があった。それだけの教育は受けてきた。城での王妃教育程度で音を上げている姉とは違う。自分の方がやっぱり、サメンテに、王妃にふさわしい。
そう考えたラクリマンドは、カンティレーナの身内の特権を利用して、城の図書館へ入れてもらう事に成功した。初めて入った城の図書館の大きさと蔵書の数に圧倒されたが、目当ては本ではない。適当につかみだした本をしばらくは机で読んだが、難しすぎて何の本だかも分からないくらいだった。
そして姉から聞き出していた、サメンテの昼食時間に合わせて図書館を出て、職務室の近くで様子を窺った。
昼食時間を大幅に過ぎてから、サメンテが護衛と共に部屋を出てきた。食事に向かうのだ。そこでラクリマンドはまずは廊下の端に寄って、無言でカーテシーを披露した。
だが普通そんなところに令嬢はいない。それに気が付いたサメンテが、声を掛けてくれた。
「もしかして、ラクリマンド嬢かな?」
「はい」
「顔を上げてくれ。そんなところでどうしたのだ? カンティレーナならここにはいないのだが」
「姉にお願いして、お城の図書館に入れてもらいました。朝から本を読んでいたのですが、お昼には家に帰る予定で、でも道に迷ってしまいまして」
「そうだったのか。ここは複雑に出来ているからね。護衛に道を案内させよう」
「ありがとうございます」
ここでタイミングよく、ラクリマンドの腹が鳴った。グゥゥゥゥという大き目の音が、人気のない廊下に響く。ラクリマンドは赤面し、顔を覆った。それにサメンテは礼儀正しく無視しつつも言った。
「もしよかったら、私と昼食を一緒にどうかな。あまり時間がないのでゆっくりは食べられないけれど」
「……お邪魔でなければ、ぜひお願いいたします」
普通に考えても、王太子に誘われて断ることなど出来ない。ラクリマンドは二つ返事で了承した。
もともと作戦だった。昼時にうろうろし、運よく会えれば、言葉を交わせれば。
全くの見知らぬ令嬢ならば無視されただろうが、ラクリマンドは何度かカンティレーナと共にサメンテに会った事があったから、会えれば声を掛けてくれる確率は高かった。
腹を鳴らすために朝も抜いてきた。まさに完璧なタイミングで鳴ってくれたのも、自分に運があるからだ。
この後からラクリマンドはちょくちょくこの部屋周辺に昼時やお茶の時間に出没し、そのたびにサメンテに誘われて、お茶や昼を一緒にいただいた。
そんな生活を一年ほど過ごした。満を持してサメンテに、自分を妃にしてくれないかと申し出た。
最初は全く相手にされなかったが、それでも一緒にお茶をすることを拒否されなかったので、そのたびに申し出続けた。自分の長所をこれでもかとぶつけたし、流行の本の内容も暗唱して見せたし、刺繍をしたハンカチを渡したりもした。
そうして先日、30回目の逆プロポーズに、ようやくサメンテが乗ってくれたのだ。
ラクリマンドはカンティレーナに連れられて、彼女が教育を受けている部屋で、宮廷家庭教師のグラーチレとの初対面をした。
彼女は絵にかいたような女性家庭教師だった。背は高めで、黒い黒髪は一つにまとめて結い上げ、黒い眼鏡を着用し、カンティレーナ以上に無表情だった。
にこやかにカーテシーをするラクリマンドを紺色のシンプルラインのドレスのグラーチレは無表情で見つめた。
「お話は殿下から聞いております。明日からあなたに王妃教育をせよと」
「はい、どうぞよろしくお願いいたします」
「明日の授業は9時からです。算術と文学、歴史と……そうですね、午後はお茶会の作法と刺繍にしましょうか。本はこれらです。予習をしておいてください」
「はい!」
分厚い本が近くの机に3冊、載せられていた。題名から明日の授業で使うものとわかる。
後で従者に言って家まで持っていってもらわなくては。
「今日の本はそれだけですが、また明日以降必要な教科書を渡します。時間のある時に予習をしておいてください」
「分かりました」
「では明朝9時に」
そう言うとグラーチレはこちらも見事なカーテシーを披露し、部屋を出て行った。
残された二人は、部屋の隅に控えていた従者を呼んで、本を持ってもらい、カンティレーナと共に帰宅するのだった。
***
翌朝、ラクリマンドは約束の時間の15分前に、昨日教わった部屋に入った。15分前なら十分だろう。初回から褒められちゃうわ、と思いながらドアを開けると、そこには既にグラーチレが居り、ギロリとラクリマンドを睨みつけた。
「おはよう、グラーチレ。今日からよろしくね」
「おはようございます、ラクリマンド様。よろしくお願いいたします。が、今何時だと思っていらっしゃるのですか?」
「え? 約束の9時の、15分前ですよね?」
「カンティレーナ様に助言を仰がなかったのですか?」
聞くわけがない。あんな負け女に、勝った自分が何を聞くことがあるというのか。大体あの女は家に着くなりさっさと部屋に閉じこもったし、今朝だって起きてこなかった。まあ振られたのだから仕方がないだろうけれど。
「で、でも9時からなのでしょう? 15分前なら十分に早いでしょう?」
「いいですか!?」
グラーチレは低い声ではっきりと言った。
「当日の予定は前の晩に伝えてはいますが、それが変更になることも多々あります。ですから毎朝、必ず予定のすり合わせを行います。伝達事項があることもあります。またそれぞれの先生がいらっしゃるまでに、今日の授業の用意をして、先生を出迎えるのです。15分で足りるとでも?」
「え? グラーチレが教えてくれるのではないの?」
「わたくしは主に、立ち居振る舞いとダンス、お茶会のマナーをお教えします。それぞれの授業は専門の先生がいらっしゃいます」
「そ、そうだったの、知らなかったわ。お姉さまったら、今まで何も教えてくださらないんだもの」
「お妃教育の内容をべらべらとしゃべられては困ります。ラクリマンド様も、カンティレーナ様以外にはお話しになりませんよう」
「わ、分かったわ」
「ここでのすべての会話、授業内容には守秘義務が生じます。今日は算術を習った、程度ならば許されますが、その内容や教師の名を漏らすことは許されません」
「え、そうなの?」
グラーチレの眼鏡がギロリと光る。
「授業内容のノートも持ち帰ることは許されません。ただし教科書は持ち帰れますので、予習復習は必ず家でしてください」
「は、はい」
「それとその服装!」
今日のラクリマンドは気合を入れて着飾ってきた。プリンセスラインのドレスはいつもの事だが、パニエをいつもより膨らませたし、レースもふんだんに使っている。髪もいつも以上に時間を掛けて結ってもらった。
姉のカンティレーナはいつも質素なドレスで、髪もいい所がハーフアップだ。そんな服装でよくも王太子の婚約者だと名乗れるものだと思っていたから、華やかで、かつ勉強の邪魔はしない服装をしてきたつもりだが、もっと派手でよかったのだろうか。
「そんな恰好で授業が受けられるとお思いですか!」
「はい?」
「髪もそんな風に結い上げて! そんな時間があるのなら、予習に掛けなさい!」
「ちゃんと読みました! それにこのドレスは授業の邪魔になるとは思えません!」
そう反論すると、グラーチレは深いため息をつき、頭を振った。
何なのこの人! とラクリマンドが腹を立てていると、グラーチレはきっぱりと言った。
「もう時間です。少なくとも初回なんですからもっと早く来るべきでした。そろそろ算術の先生がいらっしゃいます。ダメ出しはあとにして、授業の用意を」
いやあんたがぐちぐち言うから時間が無くなっているんだろうが、と心の中で憤慨しながらも、ラクリマンドは自信満々に教科書を広げた。
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「……もうだめ……」
「情けない、まだ1日目が終わっただけですよ!」
3つの講義は、それぞれ1時間ずつだった。初回だからと実力試しのテストから入り、目の前で採点され、説明を受けた。
だがレベルが違った。本を読んで予習はしたが、わからない事だらけで、でも教えてもらえるのだからいいかと軽く考えていた。それにテストの内容などほとんどわからなかった。算術も最初の方しか解けなかった。それぞれの講師はラクリマンドを呆れた目で見て、頭を振りながら部屋を出て行った。
ぐったりしながら昼食を頂き、午後にはグラーチレと共にお茶を頂き、その後でハンカチに刺繍を差した。それだけで立てないほどに疲労していた。
ドレスの下のコルセットがきつかった。同じ姿勢で長時間座っているなんて、想定していなかった。お腹がきつすぎて段々と頭も回らなくなる。なるほど姉が楽なドレスを着ていたわけだと、納得した。
髪の毛も、あちこち止めてあるピンが痛い。頭が重い。姿勢を保つだけでも一苦労だ。
「だって、授業中だってグラーチレが姿勢だとか座り方だとか、注意してくるし、ご飯だって一口食べるごとに注意してくるし!!」
「当然です。講義中に姿勢を崩すことなど許されません! 刺繍だってなんですかあの出来は! 子供の方がもっと上手に刺しますよ!」
「うう……!」
自分では自信満々だった刺繍だが、グラーチレが出した「花を刺す」というお題で一緒に刺し始めた。だがラクリマンドがハンカチの角に小さな花を半分も刺せないうちにグラーチレはそれは見事な薔薇をハンカチ一面に刺し終わっていた。それと比べたら、自分の小さな花の出来栄えは比べ物にならないくらいにみすぼらしく。
「それだって背中が曲がっているとか、頭が下がっているとか、グラーチレがうるさいから!」
「私があなたのような姿勢で刺していましたか?」
「そ、それは……」
「すべての始まりは姿勢から! あなたは基本が出来ていません!」
「そ、そんなあ……!」
***
「お、お姉さま、ごめんなさいぃぃぃぃ。私にはサメンテ様の婚約者は無理ですぅぅぅぅぅ!!」
「あらあ、まだ婚約解消の手続きも済んでいないのに、もう諦めるの?」
3か月後。げっそりとやつれ、目の下には大きなクマができているラクリマンドが、屋敷のカンティレーナの部屋を泣きながら訪れた。
カンティレーナは、血色の良い頬で、部屋の窓際で優雅にお茶をしていた。
「なんなの、あの王妃教育。無理すぎるでしょ!!」
「そうかしら」
「本当にごめんなさい。私が無知でした」
「そんな事を言わずに、もう少し頑張ってごらんなさい。もう少しでわたくしとサメンテ様の婚約解消の手続きが終わるわ。そうしたら、あなたが正式に婚約者になれるのだから」
「勘弁してくださいいいいいい!!」
ラクリマンドはカンティレーナの前にうずくまった。
「もう無理! 絶対無理! あんなの無理!!」
「大丈夫よ、わたくしが出来たのだから」
「お姉さまが凄すぎるのよ! 私には無理!」
「もう少ししたら、きっと慣れるわ」
「慣れる前に死ぬ!」
「安心なさい、人間、そんなに簡単に死なないから」
「むりぃぃぃぃぃ! 本当にごめんなさい! 許してください!!」
ラクリマンドはうずくまったまま、号泣し始めた。カンティレーナは困ったように微笑んでいる。
王妃教育は予想以上の厳しさだった。週6日、朝9時から夕方6時まで、昼食、軽食休憩はあるものの、みっちりと講義とマナーを叩き込まれた。
すべてにおいて自信を持っていたが、それはあくまで「普通の貴族」のレベルでしかなかった。大体、一介の家庭教師が王妃教育の内容を詳しく知っているはずがなかった。それらは男性が通う大学レベルだったのだ。残念ながら雇っていた女性家庭教師はそこまでの知識はなかった。
だからラクリマンドは貴族の女性としては難しい内容を学んではいたのだが、王妃教育にはまったく敵わなかったのだ。
カンティレーナはそれを10年間、同じ厳しさでコツコツと続けていたのだ。
ラクリマンドは、こんな事も知らなかったのかと講師陣に白い目を向けられ、レベルを落としてもらった講義の内容をノートに書き留めながら、覚えるべき内容がどこなのか、教科書に書いていない事は、全ての授業が終わった後に、必死にノートを見て覚え、帰宅と同時に自分のノートに思い起こしながら書きつけ、それを覚えた。
講義中に急いで書けば、字が汚いとグラーチレの指導が入る。廊下を歩くだけで指導が入る。昼食でスプーンを持っただけで指導が入る。食べ方にも、食べる早さにまで全て指導が入った。
ダンスではただ踊るのではなく、そこが外交の場なのだと教わった。ダンスの相手と話をしながら踊らなければならないが、見た目で話し合っているとわかってはいけない。分からないように話をしながらも、上品かつ優雅に踊らなければならない。
ステップ一つを踏むごとに、顔と手の場所のチェックを受け、目線の動かし方まで全て意味があるのだと教わった。こんな事をやっていたら、それは優雅に踊るなんて無理だ。ただただ楽しく踊っていた自分とは違うのだ、とかつての姉の動きを思い出した。
文学は、古典文学を裏の意味まで考えながら、外交の場で使えるように、フレーズと作者と作品名を覚えさせられた。
算術はただ、足したり引いたりだけでなく、多くの数を掛けたり割ったり、よくわからない数式に当てはめて計算したり、表を書いたり。正解した時の喜びは大きいが、覚える数式が多すぎる!
なぜ弟は兄が出かけた10分後に家を出るのか。一緒に家を出てくれれば、どの時点で追いつくなんて、計算しなくて済むのに!
朝8時には城に入って、帰りは夜の7時に帰れれば早い方だった。残しておいて貰った食事を何とか詰め込んで、夜中までかかって復習と予習をして、ベッドに倒れ込んだらもう朝だ。
姉が髪も結わないし、楽なドレスを着ているなんて笑っていたが、髪を結う時間が有ったら寝ていたい。ドレスを着るのにコルセットを着ける時間がもったいない。そもそもコルセットなどしたら、腹がきつくて勉強に集中出来ない。化粧している時間があったら、教科書が少しでも読める。
乗馬で叱責され、その後に足が筋肉痛でも高いヒールで優雅に歩かないと、グラーチレの叱責が飛ぶ。
寝不足でうっかり講義中に焦点が合わなくなろうものなら、講師は無慈悲に教科書を閉じて部屋を出て行く。
お茶の時間など地獄だった。ただ茶を飲むだけでも叱責だらけなのに、その際にグラーチレから出されるお題に素早く答えなければならない。時事問題から文学だけでなく、国内貴族のすべての名前と階級、役職まで。
一度城に来ていたカンティレーナを、グラーチレがお茶に同席するように頼んで、3人でお茶を飲んだことがある。その際のカンティレーナの所作の美しさにラクリマンドは衝撃を受けた。グラーチレの質問にも、間髪を容れずに答えている。
これが、王妃教育というものか。
これが、皇太子の婚約者というものなのか。
皇太子とデートなんて出来る時間があるわけがなかった。今になれば、自分と一緒にお茶を飲んでくれたのは、婚約者の身内だからの超、特別対応だったとわかる。まあ本当に息抜きをしたかったのだろうけれど。
こうして姉に降参するまで、サメンテとは3回ほどお茶の時間を共にしたが、会話らしい会話など出来なかった。
疲れすぎていた。サメンテとの茶会にはグラーチレが同席しないので、気を抜いてお茶を飲める。それに、頭を使う会話をしたくなんてない。
結果、30分ほどのお茶の時間、二人はただ黙々と茶を飲み、軽食を食べるだけだった。
何と言う事はない、姉の時よりも酷いお茶会だった。
それでもラクリマンドは頑張った。もう少しで3か月になろうというところまで頑張った。絶対に姉には負けたくない、その一心で頑張った。
だが、王妃とのお茶会でその心が砕かれた。
別に王妃が意地悪をしたとかではない。ただにこやかに一緒に茶を飲んだだけだが、姉以上に優雅で無駄のない動きに、存在感の違いを見せつけられた。ああ、自分はここまで到達するのは無理だ、と悟ってしまったのだ。
もしかしたら10年前、姉ではなく自分が選ばれていれば。10年かけて学んでいれば、もしかしたら姉に近い到達点までは来られたかもしれない。
だが10年前にこの厳しい教育を受けたら、自分は1週間と耐えられなかっただろう。
10年間、カンティレーナはラクリマンドが起きるよりも早く家を出て、ラクリマンドが夕食後にのんびりしている時間にようやく戻っていた。登城は週に6日だが、開いている1日も復習に費やしていたから、自分と遊んだことなどない。
その間自分は友達の貴族の家でお茶会をし、今となっては気楽すぎる会話をしていたのだ。
自分の無知さに泣けてくる。
ラクリマンドがうずくまったままわんわん泣いていると、カンティレーナがそっと肩に手を置き、起こしてくれた。
「もういいの? 頑張らないの?」
「頑張れない。もう無理。私には無理! ごめんなさいお姉さま、私の幼稚な考えで、殿下との婚約を破棄させてしまって! どう謝っていいか分からないけれど、本当にごめんなさい!」
「何がどう無理だったか、教えてもらえるかしら?」
えぐえぐと泣きながら、上半身を起こして座り込んだラクリマンドは、子供っぽく流れる涙を手で拭いながら言った。
「講義があんなに難しい内容だとは思わなかった。基本的なレベルが全く違っていた」
「先日講義内容を少し見せてもらったけれど、私が始めた頃もあのくらいの内容だったわよ」
「それも先生方から聞いたわ。お姉さまが始めた頃のレベルだから、10年頑張ればお姉さまのレベルに到達するって。でも、それじゃあいつまで経ってもお姉さまに追いつけないじゃない! 追い越せないじゃない!」
「そうね。でも追いつけなくても越せなくてもいいじゃない。サメンテ様を支えることが出来ればいいのだから」
「無理! 支えるのも無理だし、こんなに自由のない生活なんて、無理! 3か月、まったく休めない生活だったし、これを今後もするなんて、無理よぉぉぉぉおおお!」
うわーんと泣くラクリマンドに、カンティレーナは苦笑するしかなかった。
泣きながらラクリマンドは訴える。
「王妃様に1日のスケジュールを聞いたわ。王妃教育が終われば講義はなくなるものの、その時間に今度は仕事が入ってくるって。外交にも出かけるし、あちこち訪問もするし、そのための知識を蓄えるための講義も入ってくるって。結局自由時間なんて全くないのよ! そんなの、私には無理!」
「そう無理無理言わないで、私は今までずっとやってきたのよ?」
「今さらお姉さまの凄さに気が付いたわ! 簡単にやっているように見えただけで、本当はものすごい事をなさっていたんだって。それを簡単に考えすぎていて、お姉さまの邪魔をするような事をして、本当にごめんなさい!! 私には荷が重すぎました!」
「それは、ラクリマンドはもうサメンテ様と婚約をしたくない、という事かしら」
「はいぃ!!」
心の底から、自分の軽率な行動を後悔した。10年間、こんなに頑張っていた姉の努力を、自分の思い上がりで無に帰させてしまったのだ。
王太子との縁談を解消された姉に、新しい婚姻が結べるわけがない。
自分はまだ、正式に婚約をしていないから何とかなるが、その事実すら今のラクリマンドには耐えられないほどの罪の重さを感じている。
王太子との婚姻など無理だ。だけど自分から望んでおきながら、やっぱりやめますとも言えない。
詰んだ。自分の人生、詰んだ。
自死でもするしかないが、そんな事をしたら今度はサメンテが悪く思われてしまう。
自死も出来ない。このまま婚約も出来ない。したところで足手まといにしかならないのが分かっている。周りが許すわけがないし、許されたとしても自分で自分が許せない。
詰んだ。
ラクリマンドは、泣くしかなかった。
「それならもう、サメンテ様に近付こうとはしないわね?」
「申し訳なくて出来ません」
「デートもしないのかしら?」
「申し訳なくて、できません!」
「それなら、もうサメンテ様と私を引き裂こうとかしないわよね?」
「もちろんです! くだらない嫉妬心で、許されない事をしました……」
「そう、分かってくれたのね」
カンティレーナは、ハンカチでラクリマンドの頬をぬぐった。
泣きすぎて目が腫れぼったいが、そのハンカチの見事な刺繍が目に入る。
グラーチレよりも繊細かつ素晴らしい出来のハンカチが。
ああ、こんな所でも姉には敵わなかったんだ。ラクリマンドの目にまた涙が溜まる。
「それならいいわ。それが分かってくれたなら、教えてあげる」
「……なにをですか?」
ラクリマンドは座ったままのカンティレーナを見上げた。
カンティレーナはにこりとほほ笑んだ。
「私はいまも、サメンテ様の婚約者のままよ」
「……え?」
「婚約解消なんて、していないの」
「え、と、どういうこと……?」
ラクリマンドの逆プロポーズにおどろいたサメンテは、カンティレーナに早々に相談していた。そのうちに諦めると思っていた逆プロポーズは、しかし次第にひどくなってきていた。
もちろんカンティレーナは家でラクリマンドを諫めていたし、両親も注意をしたが、ラクリマンドは全く聞く耳を持たない。
そんな折、ちょうどカンティレーナの王妃教育が終了した。これ以上講義を受ける必要が無くなった。代わりに実務が始まるのだが、その切り替えには多少時間もかかるし、今まで休みなく頑張った分、長期の休みが用意されていた。
だからその間、ラクリマンドに王妃教育を体験してもらったらどうだろう。そうサメンテが提案してきたのだ。
未来の王妃という立場だけに憧れているのなら、1週間と持たないはずだ。万一にも半年以上教育に付いて来るようなら、カンティレーナの補佐にすればいい。
少しでもあの王妃教育を受ければ、カンティレーナの大変さを実感できるから。
「まあまず無理だね。もっても3か月じゃないかな」
「3か月という根拠はなんですの?」
「私にアプローチしてきたのが半年だから、その半分くらいは持つんじゃないかなって」
「なるほど」
ふふふ、と二人は笑う。
サメンテも大変な帝王教育を受けてきている。時間に余裕がないのは サメンテも一緒だ。
だが帝王教育さえ終われば、少なくとも夕方からは自由時間だし、週に1日は休みが取れる。年に3回の長期休暇も。
二人は10年間、一緒に頑張ろうと励まし合って乗り越えてきた。その絆は他人が考えるよりもずっと強い。
多少の邪魔が入ろうとも、惑わされることなどないほどに。
婚約解消騒ぎは、あまりにうるさいラクリマンドを排除するための手段であり、今後も一切邪魔をさせず、なおかつ少しは役立つようになるだろうと、意趣返しも込めて、二人が考え出した逆襲だった。
「でも本当に3か月、耐えるとは思いませんでしたわ」
「予想以上に根性があったよね。あの根性を他に回してくれたら、良い部下になりそうなんだけどな」
「ダメですわよ、うちの跡取りとして頑張ってもらうのですから」
「そうだったね。でもあの様子なら優秀な女侯爵にもなれそうだ」
ふふふ、とほほ笑みながらお茶を飲む。
もともと婚約など解消していないから、ラクリマンドが身動きできない間に、二人は時間を見付けて今までできなかったデートをしていた。
二人とも他人の前では表情を変えないようにしていたのと、忙しさのあまり感情の起伏も少なくなっていたから、周りからは表情がないように見えていた。しかし時間に余裕も出来たし、ラクリマンドの騒動のお陰もあって、共通の楽しみもみつけ、その表情も解れてきていた。
なにせカンティレーナは10年ぶりに寝たいだけ寝られたのだ。今まで疲れ切って家に帰っているのにちょくちょくラクリマンドが邪魔をしてきたが、それも一切ない。
快適な3か月だった。
婚約解消自体がお芝居だから、誰もこれで傷が付く事はない。レガート侯爵夫妻には話してあるが、他の家は知らない。
王妃教育で協力してくれたものたちにも、これは期間限定でラクリマンドに体験させるだけだと説明してある。
ただし本気でついてこられるようなら、カンティレーナの補佐にしたいから、本気で教えて欲しいとも頼んであった。
だから途中で投げ出しても、最悪失笑されるだけで、ラクリマンドにも影響はない。
国を背負うものとして、これからも表情を表に出すことはできないが、二人でいる時ならば。
長い間、共に苦労し励まし合ってきた絆の前でなら、どんな表情も出せるから。
サメンテは手を伸ばして、テーブルの上のカンティレーナの指を握った。
「今後も末永くよろしく、私の婚約者さん」
「ええ、宜しくお願いいたします、私の殿下」
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