猫について
今回、真面目な話です。
猫好きな方は閲覧注意。
残酷な描写は一切ありませんが、胸糞悪くなる可能性があります。
また、生理的嫌悪感を催す表現がございます。
読んでいて気分が悪くなるかもしれません。
ご了承の上、お読みください。
たらこは介護の仕事をしています。
おもに在宅での介護です。
在宅というのは、おうちに住む人の介護を行う仕事。
たらこは自分で病院へ行けない人を送り届けたり、おうちを訪問してお世話をしたり、デイサービスの仕事をしたりと、複数の業務を掛け持ちしている立場です。
なので、いろんなおうちに伺う機会があります。
細かい内容はお話しできないのですけど、今回はそのお仕事の時に見た普通とは違う環境のお住まいについて、ちょっとだけ触れたいと思います。
在宅介護のサービスを利用する方の中には、独居(ひとりでおうちに住む)の人がいます。
一人身のまま年を取ったり、家族と疎遠になったりと、様々な理由で一人暮らしているお年寄りがいるのです。
年をとると、普通にできていたことがある日、突然できなくなります。
先日、ツイッターをまとめた情報サイトで、コンロの汚れが拭けなくなるという話を聞きました。
IHの上に着いた汚れなんて、毎回綺麗にすればいいじゃねぇかと思うかもしれませんが、体調を崩したり気力がなくなったりすると、それが出来なくなるのです。
できなくなる。
一口にそう言っても想像できないかもしれませんね。
皆様、腕立て伏せは何回できますか?
あるいは何キロ連続して走り続けられますか?
若いころ運動部に所属していた人なら、ある程度はできるかもしれませんね。
でも若いころのようにといっても無理でしょう?
それと同じです。
我々が普段、当たり前のように行っている日常動作は、ある日突然できなくなる日がやってきます。
具体例を挙げるとすると、階段の上り下りですね。
これ……本当に突然できなくなるんですよ。
二階があっても一階のみで生活するお年寄りなんてざらにいます。
彼らは普段から二階を利用していたはずなんですけど、一階に降りて登れなくなってしまい、二度と二階が使えなくなってしまうのです。
それどころか、玄関の段差や、ちょっとした凹凸ですら、生活に支障をきたす要因となりえます。
そうなると、だんだんと引きこもりがちになり、ゆったりと何もできないまま絶えて行きます。
家の中でずーっと横になって、テレビを見たりラジオを聴いたりして、食事と排せつの世話をしてもらって、たまーにデイサービスへ行ったりして……。
そんな生活サイクルが出来上がってしまうのです。
気づいたときには、もう遅い。
本当に手遅れなのです。
サービスに上手くたどり着けた人はいいですけど、「どうしてこんなになるまで放っておいた!」みたいな状況になることも、ままあります。
家族や親せきが傍に住んでいる時はいいのですけど……完全に孤立していると、なかなか行政に気づいてもらえないものなのです。
とまぁ、前置きの話はこれくらいにして、そういう風に自分のことが自分でできなくなり、介護を受ける身になった人のお話。
詳細を語ることはできません。
一般的にこういうケースもあるよという話として聞いてください。
ゴミ屋敷……って、見たことありますか?
皆さんが想像するのは、家主がゴミを集めるケースでしょうけども、たらこが見て来たケースは違います。
家主が出したごみが少しずつ家にたまり、家の中がゴミ溜めになってしまうのです。
先にお話しした通り、当たり前にできていたことが出来なくなる時が来ます。
ごみを捨てられなくなった家は必然的にゴミ屋敷になります。
買い物はできるの?
と疑問に思う人もいるかもしれません。
……できるんですよ、なぜか。
場合にもよるのですが、誰かが弁当を買ってきてくれたり、近所の商店が物を届けてくれたりと、必要なものを手に入れることはできたりします。
ですが……生活ごみを捨てるのは別のタスクらしく、できなくなるのが買い物よりも早い段階で来るような気がします。
これはまぁ……人にもよると思うのですが。
実際に、近所のスーパーに煙草や酒は買いに行くのに、ごみは全く捨てられないという人がいました。
家事を一手に引き受けていた母親が要介護状態になり、残された息子や夫は家事を何もできず、弁当などを買ってゴミはそのまま家に放置……というケースもありました。
様々なケースがあるのですけども、サービスが開始した時点で酷い状態にある家は多いです。
そんな家に……もし……猫がいたら。
地獄のような環境になってしまいます。
ゴミ屋敷に猫がいると、空気が変わります。
ただのゴミ溜めが、無間地獄に変わります。
猫がいるかいないか。
この差は本当に大きいです。
たらこの場合、ゴミ屋敷は何とか入っていけるのですが……。
猫がいるとヤヴァイってなります。
多分アレルギーの関係だと思うのですけど(ちなみに猫アレルギーは持っていない)空気そのものがヤヴァイんです。
息が出来なくなります。
おそらく、身体に着いたダニか何かが原因でしょうが、確かめようがないです。
とにかく我慢して仕事をするしかありません。
ゴミ屋敷に住む猫たちは、あの愛くるしい姿からは想像もできないほど、変わり果てた姿をしています。
健康状態も、栄養状態も悪いのでしょう。
毛が抜けていたり、足が無かったり、目がつぶれていたり、腫瘍のようなものを抱えていたりと、ゴミ屋敷の中で蠢く彼らは、猫とは違う生き物のように思えます。
これ……書いてるだけで息が詰まるんですよ。
それほどまでに劣悪な環境の記憶が脳裏に焼き付いています。
あのような地獄で家主が普通に生活していると思うと、気が遠くなります。
少しの時間、入るだけでも苦しくて死にそうなのに……あそこで暮らすなんて考えたくもありません。
しかし、疑問なのは……どうして猫なのかということです。
犬や鳥だったこともあるっちゃぁ、あるのですが……猫である場合が圧倒的に多いです。
これは仮説なのですけど……おそらく猫は他の動物と違って、そう言った家に住む人と巡り会う可能性が高いのだと思います。
犬が首輪もつけずうろついていたら、十中八九保健所に連れていかれると思うのです。
野生化したら猫よりもずっと危険な存在ですから。
しかし猫は……ある程度は許容されている気がします。
街の中でうろつく猫の姿を見つける機会は、犬よりもずっと多い。
彼らには彼らの社会があります。
生存本能に基づく争いが繰り広げられ、縄張り争いも同種の間で起こるわけです。
戦いに敗れた弱い個体は、住み慣れた土地を離れて居場所を探さねばなりません。
帰る家がない彼らにとって、人間が支配するこの世界は居心地が悪いことでしょう。
ですが……中には食料を提供してくれる人間もいます。
そう言った人間を見つけると、足しげく通うわけです。
日々の糧を与えてくれる存在は、まるで神にも等しいでしょう。
そう、猫は頭が良い。
ちゃんとどこの家のどの人間が餌をくれるか覚えているのです。
そんなわけで、生活能力のない人の元へ猫がたどり着いてしまい、その家主が餌を与え始めてしまったら、最悪な関係がスタートします。
誰にもかまってもらえず一人ぼっちの老人。
自分の世話すらできないのに、なぜか猫の世話はしたがります。
ペットフードも自宅に常備。
必ず毎日欠かさずに餌を与えます。
にもかかわらず、トイレのしつけは全くできない。
自宅には常に尿と糞の匂いが漂う。
酷い時は家主自身のそれも混じったりします。
一刻も早くそんな関係は断ち切ってしまうべきですが、我々には何もできません。
家主の行動を全て抑制できないからです。
介護度が進行して自力で買い物が出来なくなったら、環境は改善するかもしれません。
ですが……ある程度、自由が利く人は、猫の世話を優先しようとします。
キャットフードはぜったいに手放せないのです。
仮にキャットフードが手に入らなくなったとしても、自分が食べる分を猫に分け与えることもあります。
何が何でも彼らに離れて欲しくないのでしょう。
こうして、最低最悪の共依存関係が構築され、たどり着くのは地獄のハーレム。
オス猫が複数のメス猫をはべらして、大量に子供を産ませます。
もう……その先は想像したくありません。
とある猫屋敷と化した家の話をしましょう。
幸いにもその家は環境がある程度整っていたのですが、訪問するたびに大量の猫がいるのを見かけました。
何十匹にも及ぶ子猫が餌に群がり、親猫たちがあたりをうろついているのです。
あんな数の猫を一度に見たのは、あの時の記憶が最後です。
しばらくして家主が亡くなり、その家は空き家になりました。
少し後にその前を通るとすっかり更地になっています。
数え切れないほどたくさんいた猫たちは、いったいどこへ行ったのでしょう。
たらこには分かりません。
人間は他人から関心が寄せられなくなると、壊れます。
ですので、あらゆる手段を尽くして、自分に関心を向けさせようとします。
暴走した結果、破滅的な結果に至ったケースを、たらこは何件か見てきました。
そう言ったケースと比べると、猫に依存するのはまだマシなのかもしれません。
ですが……結局のところ。
人間の身勝手な行いによって多くの命が危険にさらされるわけです。
要介護状態になった人に、猫の引き取り手を探す余力なんてないでしょう。
ただ無作為に餌を与えて彼らの関心を自分へと向けさせるだけ。
社会から関心をむけられなくなった孤独な人たちは、猫によって孤独感の埋め合わせようとする場合があります。
一度、関係が築かれてしまったら、それを修正するのは困難です。
孤独な人間が存在する限り、街をさまよう猫と出会う可能性は存在するのです。
両者が出会うのは必然なのかもしれません。
たらこは街で猫を見かけると、ぼんやりとその愛くるしい姿を眺めます。
そっと遠くから……彼らの領域に立ち入らぬように注意して、見るだけ。
中にはじっとこちらを見て、熱心に見つめてくる猫もいます。
足元へ来て甘い声を上げる猫もいたりします。
たらこはそれ以上、彼らに触れません。
そっとその場を離れて、立ち去ります。
もし彼らに何かおいしいものを与えれば、友好的な関係が築けるかもしれません。
自宅に招けば楽しい時間が過ごせるかもしれません。
でも……それだけはやってはいけないのです。
責任のとれない者に、彼らと関わる資格などない。
命は尊い。 誰かが言った。
尊い命だからこそ、手を触れてはならない。
触れた先にあるのは大いなる責任。
覚えておいて欲しい。
どんなに愛おしくても、手を触れてはならない時がやって来ると。
ある日、突然。
何の前触れもなく。
人は動物を飼う資格を失うのだ。