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若江寝間の考察  作者: 黒牛魚のごった煮
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社会の環境 他力1と他力2

 雨の中ネルマは傘を差して歩いていた。

 昨日から夜が暖かく、季節は冬の到来を告げていたのにと不思議だったが、朝に雨が降っていたので納得がいった。

 役所の敷地を埋め尽くしている砂利が雨で水没し、まるで一夜にして海が出来た様になっていた。


《もしかして、これって演出のひとつなのかな》


 ネルマは自分の小学校も同じ様に雨が振ると海が出来た様な風景だったのを思い出していた。

 ざらつく何らかの素材で出来た人工物の道を歩いて水を避けつつ、歩く。

 海の様に広がる水の中に人一人歩くのでやっとの通路は通る人が少ない。

 一応6棟に近い方が奥へと進む道で、6棟から遠い方が奥から進んでくる道として、区別されているらしい。

 ネルマは誰も居ない事を良いことに、海に沈んでいない道の真ん中で靴の裏を水面に浸けていた。

 自分の体感が勝つか、自然の驚異である重力が勝つのか、ネルマとしては負ける気は更々無かった。



 今日はどれにしようかなとネルマはホワイトボードを見ながら考えていた。



 人の精神がある程度影響を与えそうな代物がある。

何と言って良いか分からないが、思考能力の無い人というのが居る。

 彼女・彼達は、大体に於いて、処世術と学問の区別がつけれていない。

 学術的な結論とは何であるのかという問いかけの時に、結論としてはイニシアティブを執る人達がAと言っているのだからAなんだ。

 と宣い、Aであると素直に受け止められる自分は頭が良いとか、言ってたりする。

 Aという結論に至る時に論理矛盾があるじゃないかと問い掛けても、鼻で嗤う・同じ発言を繰り返す・論破しようと躍起になる。

 学術的な見解というものは、論破とは別次元にある。と言うことすら分かっていない。

 学術的な結論として、追い求めるものは、基本的に自然本意的な代物に根差した、論理的な証明に因ってもたらされる叡智の集合体なのだけれど、彼女・彼等は学者先生同士のパワーバランスやら世界的な運動の中で起こる政治的な趨勢から導き出される





 さて、重要なことは、楔からの脱却である。


 人の生きている頃を年表的に分別すると、乳幼児期幼少期少年期青少年期青年壮年期以上に別れる。


 人は自身の体験と体験からの安全性を元に、間接的に物事を推察していく。


 パスカルの犬的な状態もこの時に発生するとかしないとか。



 先ず、腹が空くやら、排泄がしたいとか、何処かが痛いとか、そんな理由で泣く。


 そして、自分の腹が空いた等々

 乳幼児の時に某かの解決がされる。その時に直接的な解決を基本として脳が因果を認識する。


 ネルマはボードに、原因・結果と書き、その間に経過と書いた。


 そして、脳はある程度の認識をする。

 結果から結果を導き出した原因、つまり、インプットを認識する。

 そして、脳は間接的な類推による因果を無意識に知識として収集する。

 それが、懐きとして出たり、親に該当する存在への真似事として出たりする。


 親に騙されない限りその、間接証拠が成長するにしたがって、思考する時の障害として出る。………と言う仮説が成り立つ。


 そして、ここで、分岐する。

 乳幼児に見た親という虚像を追い求めるか、虚像が有ることを前提として、実像を掴む為の自分自身の技量を上げるか。


 そして、技量の上げ方が中身があるものなのか、それとも只、気分的な物なのか。


 なら、八通り位に別れるかな。やっぱり、四通りかな。



 後は、学問へ進むか、処世術へと舵を切るのか。



 パソコンを叩く手を止める。


 何時ものように、御菓子と御茶の用意をする。

 お菓子を食べながら、本当にと思った。

 酒を飲むようになってから、御菓子が本当に嗜好品になってしまった。



 これに関連する事だろうか。

 社会のバックアップがあってこその教育である。

 子供の成績を単純に上げようとすれば、勉強に資金提供をすれば点数は上がる。

 子供の能力は親に依る影響を受けやすい。

 つまりは、親次第だったりする。

 他の影響も大きいが。


 子供がどれだけ頑張っても、身の回りの環境が違えば、子供の潜在能力に対する顕在化の比率が変化する。

 例えば、個人Aにとっては未知であり、個人Bにとっては自明の物である代物xがある。

 それを個人Aが知るには、自身で知る他に、個人Bに教えて貰うやり方がある。




 では、その個人Bを2つに分ける。個人Aにとって、強制力があるバージョンと、強制力が無いバージョン。

 それらを各々、前者を他者M、後者を他者Nとする。

 すると、大雑把に分けて、3通りとする。

 個人の能力のみの顕在化

 個人の能力と、他者Mからの支援がある。

 個人の能力と、他者Mと他者Nの支援がある。

 個人の能力と、他者Nの支援がある。

 これ等の、


 あれ?よ…んとお……り?


 ネルマはホワイトボードの3通りとするの3の部分をティッシュで消し、4と書き直した。


 これ等の4通りから、……に対して、次の実験をしてみると仮定する。



 それぞれのグループを作り、否、2つのグループを作る。

 それぞれの千人規模。

 それらを街中に放ち、五時間或いは、一時間放置する。


 ………………。



 そして、参加者には報せずに、ある特典Δ(デルタ)を用意しておき、特典Δを見つけた人は絶対に3等親以外の他者に告げてはならないと決める。

 そして、参加者は必ずそれを守るという人為的な性質が有るものとし、

 又、2000分の25の確率で特典Δに行き着くものとする。

 更に、参加者の子供が、次回半分以下参加をして、特典Δを得た人の子供は必ずグループΣに分けられる。


 そして、そのゲームを何度と無く行った時、グループΣと、グループβの中で特典Δへ行き着く参加者は各々のグループの分母に対して同程度の分子であると言えるか?

 つまり、確率が同じであると言えるのか?と言うことである。


 若し、同じでないと言う認識を持てるのであれば、親によって子供の教育水準が左右される捉え方に対する反対意見は無くなる筈である。


 教育に他者に寄るサポートは必須である。出来れば公的な。



 ホワイトボードには、書ききれない量の文字があった。




 これ、整理するのかなぁ


 ネルマはホワイトボードを前に溜め息をついた。












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