『悪霊の家・5』
先手を取ったのはリザだった。
戦いの時だと声高らかに咆哮を上げたM93Rの弾幕が、次々にコービットの身体に突き刺さる。拳銃弾という威力の低さはその圧倒的な手数でカバーする。しかし、絶え間ない三点バーストの嵐を喰らいながらも、コービットは猛獣のように突進を仕掛けてきた。
「―――チッ!!」
寸での所で横っ飛びに転がって、コービットのすくいあげる様な爪の一撃を回避する。爪が通り過ぎた地面は溝が出来る程に深く抉られ、当たれば無事では済まないと強く主張していた。
回避している内にリロードを終えていたリザは、ステップを踏んで距離を離しつつ攻撃を加えていく。
「見た目より硬いぞ!!爪もけっこうな威力だぜ!!」
「みたい、だなッ!!」
レイスも見ているだけではない。既に撃ち切ったM4A1の弾倉を放り捨て、腰のポーチから引き出した予備弾倉を叩き込んでボルトを引く。ジャキンと小気味のいい金属音を聞いて弾が再装填されたのを確認し、すぐさまトリガーを引いて追撃を放つ。
だがコービットは耐久力もさることながら、とにかく素早い。両手をついた姿勢のまま、カサカサと地面や壁を這って移動する様は動物というより蟲に近かった。
追いすがる弾丸の連撃も、なかなか命中打に持っていく事が出来ない。
加えてこのゲームはリロードモーションにアシストが付かない。弾倉を入れ替える動作を全て自力でやらなければならない制約があるのだが、ポルターガイストの襲撃で少しは慣れたとはいえ、まだまだレイスは手間取る事が多かった。
一連の焦りから弾数の管理も疎かになり、不意の弾切れがさらに彼から余裕を奪っていく。
「くそっ!!」
ガチンッ!とボルトが止まった弾切れの合図に、レイスは正面から視線を外して弾倉の入ったポーチを見やる。もしも銃撃系のVRゲームに慣れていたなら、ポーチを見ずに予備弾倉を取り出す事も可能だっただろうが、今のレイスには望めないプレイヤースキルだ。
その視線が切れた一瞬を突くように、コービットはレイスへ飛び掛かった。
「レイスッ!!」
「なっ!!ぐ、おぉッ!?」
ギリギリの所でM4A1を盾にし、振り抜かれた爪を受け止める。レイスが知ってか知らずか、掃除人の武器には耐久力などの破損に関わるステータスは存在していない。結果としてM4A1が破壊される事なく、しっかりと攻撃を防ぐことは出来たものの……その勢いだけは殺し切れず、レイスは壁端までゆうに5メートルはぶっ飛ばされた。
「だぁあああああッ!?ぐっ、は!!」
強かに地面を叩きつけられ、勢いよく転がって止まった。
さっきから攻撃を食らってばっかりだと、赤色が濃い視界に歯噛みする。またも体力がピンチまで追い込まれてしまった。
「何回目だよ……。疫病神でも憑いてるのか……、ッ!?」
すぐに復帰しなくてはと顔を上げると、すでに爪を振りかぶったコービットが目の前にいて―――。
「させるかァアアアアッ!!!」
横合いからミサイルのような速度でリザが飛び込んできた。
跳躍の姿勢からの突き出した飛び蹴りは、まるで杭打ち機を直接ブチ込んだような鈍い音を立てて、コービットの側頭部に炸裂した。
「―――虞ヶィ偈ア亜ァアア唖吾亞ァッ!!!」
初めてコービットが悲鳴を上げて怯んだ。
蓄積したダメージに合わせて、コンバットブーツを使ったキックが相当なパワーだったのだろう。コービットがたたらを踏んで数歩下がった内に、レイスはなんとか体勢を立て直した。
「悪い、リザッ!!」
「おう、シャキッとしろ」
すぐそばに着地したリザから、ポイッとスプレー缶を投げ渡された。薄緑のラベルに白の十字が刻まれた、例の医療用緊急スプレーだ。キャップを片手の親指でカポッと外し、自分の身体に向かって吹きつける。外周の赤色部分が緑に変わり、治療効果が発揮されたエフェクトが入った。やがて正常な視界に戻り、衝撃を喰らって身体にずっしりと来ていた不快感も消えた。
ファーストエイドなんて目じゃない程の回復速度だ。これは確かに3本か、5本くらいは装備に欲しい。
「―――戯ィ仇ググヶ唖ァ」
嬲るだけの獲物ではなく、自身を害する可能性のある敵と認識したのだろう。
コービットはココココッと喉にかかるような擦れた声色を漏らし、腰を落とした迎撃態勢でこちらを観察してくる。
「レイス、作戦は?」
「えぇ……今、それ聞く?」
そういうのは突入前に決める物だ。
すっかり参謀役を充てられてしまったようで、レイスは頭が痛い思いだった。しかし、現状の打開策を考えない訳にはいかないので、自分のこめかみを指で叩きながらレイスはじっくりとコービットの行動を反芻する。
思い返せば、何故かレイスの攻撃は真っ先に回避し、リザの攻撃の一部は無視して被弾していた気がする。その差は果たして拳銃とアサルトライフルの違いだけだろうか?と疑問が浮かんだ。改めて行動パターンを記憶から呼び起こし、その事実から推理の糸を手繰り寄せる。
(もしかして……)
―――ふと思い至った。
試しに、下げていた銃口を不意打ち気味にコービットに向ける。しかし、あえてトリガーは引かずに様子を観察した。予想通り、コービットは素早くその銃口の先から逃れ、苛立ったような声を漏らした。
(こいつ……光が嫌いなのか?)
レイスのM4A1に取り付けられたフラッシュライトは、照射範囲を絞って光量を上げた、敵に目つぶしの効果を発揮するステータスをしている。対してリザが肩に付けているライトは、広範囲を照らしてなるべく暗闇での死角を無くす能力を備えていた。
光量を散らしたリザのライトはまだ耐えられるが、レイス程の集中した光になると避けたい。そういう事かもしれないとレイスは仮説を立てた。
「リザ、作戦だ」
「おう」
レイスが指示したのは至って単純な内容だった。
リザは小声で話すレイスの一言一句にしっかりと頷きながら確認し、聞き終わるともう耳慣れた「ハッ」というあくどい笑みを浮かべた。
「いいじゃねえか、そいつで行こうぜ」
「頼むぞヒーロー、主役はアンタだ」
「任せろサイドキック。あたしの出番まで上手く繋げよ?」
言われるまでもない。
レイスはM4A1をぶっぱなし、戦いの火蓋を再び切って落とした。どういう理由かは不明だが、さっきよりも萎びた身体にダメージが通りやすくなったように思える。リザの武芸じみたキックのおかげで、ゲームでいう第二段階に入ったのかもしれない。
コービットは相変わらず、ライトの直射を避けながらこちらへの攻撃の機を窺っていた。レイスは部屋の角まで下がりながら、射撃と同時にライトを向けてコービットの動きを牽制し続ける。いくら相手が速くても、この限られた角度からならばそう簡単に近づかせはしない。
(このまま引き付けて、あとはリザに……)
そう思っていたのも束の間、暗闇にヒュンッという風切り音が走った。何の音だと少し見回した矢先、鈍色に光る浮遊するナイフがレイスめがけてカッ飛んできた。
「ここでポルターガイストか!!」
2階の部屋でも起こしていたのだから、確かにこの攻撃は想定して然るべきだった。
不意打ちに焦るレイスは慌てて身を捩ってナイフをかわした。目標を見失ったナイフはそのまま、刃の中ほどまでコンクリートに沈む勢いで壁に突き刺さる。銃で受け止めていたらただでは済まなかっただろう。
しかし無理な避け方をしたせいでレイスは姿勢を立て直す間もなく床に倒れ込み、不覚にもその衝撃でM4A1が手から離れてしまった。
「しまった……ッ!?」
床を転がったM4A1は手を伸ばせば届く距離を大きく越えてしまっている。
手をついて身体を起こした時にはもう、視界の端に奇声を上げながら突っ込んでくるコービットの姿が見えていた。
想定外の事態にはなったが―――奇しくも狙い通りの展開にはなった。
レイスはその幸運に感謝しつつ、至近距離まで迫ったコービットの顔面めがけ、腰から抜いたXDMのフラッシュライトを突き出した。
「―――蛾ィ仇ググヶ唖ァッ!!!?」
常人なら目に焼き付いてしばらくは視界不良になるであろうライトの閃光が、避ける間もなくコービットの眼球と皮膚に直撃した。苦痛の声を漏らしながら手で顔を覆い、暴れるように引き下がったその決定的な隙をリザ・パラベラムは見逃しはしなかった。
「いっくぜぇッ!!」
コービットの足の間をスライディングで滑り込んで来たリザは、口でピンを抜き、最後の安全装置であるレバーを解除した。
もちろん、彼女の手の中にあるのは1つの強力な爆弾だ。
180デジベルの爆発音と共に、300メートル先の闇を切り裂く100万カンデラの光を解き放つ非致死性兵器。
―――すなわち、スタングレネード。
元々はレイスが囮となってヘイトを稼ぎ、隙をわざと晒した所でサイドアームのライトで怯ませて、動きを止める作戦だった。そこに手渡したスタングレネードをリザが投げ込めば、ダメージがあるかはさておいて弱体化くらいまでは出来るのではないだろうかという考えだったが……。
何を思ったのか、リザはコービットの足元から高く跳躍すると、またも勢いよく振り上げた蹴りで顔を覆っていた怪物の手を弾き飛ばした。ほぼ垂直に伸びる様なハイキックだ。身体の柔らかさは、さながら体操選手並みだろう。
そんな感想をレイスが抱いている内に、空中でくるりと回って体勢を変えたリザは―――ピンと安全装置が抜けたスタングレネードをコービットの口と思われる空洞めがけ、下に落ちる重力と自身の体重を乗せて思いっきり叩きつけた。
口の中に深くめり込んだスタングレネードの姿に思わずレイスは「うわぁ……」という感想を呟く。
「―――よく味わえよ、化物野郎ッ!!」
手を離して落下するリザが高らかに勝利宣言をすると同時に、花火のような炸裂音が響き渡り、視界は見える範囲一杯まで眩い白に染まった。