『悪霊の家・3』
「危ないッ!!」
リザを咄嗟に突き飛ばしたレイスだったが、自分もそこから退避するには時間が足りなかった。
勢いよく飛んできたクローゼットの体当たりをモロに身体に受け、一直線に壁に叩きつけられる。
「がっはっ!!」
痛みはない、ただ車に撥ねられたような衝撃だけは本物だった。息が止まり、ざらついた不快感が腹部に走る。加えてレイスの身体はクローゼットとの衝突に怯んでしまったのか、足がガクつき思うように立ち上がれなかった。視界の枠は真っ赤に染まり、瀕死のダメージを受けた事を表している。
レイスが体勢を立て直す暇も与えず、次は本棚が空中に浮かび上がった。
(まずい……ッ!ポルターガイストの次の攻撃が来るッ!!)
超常存在の手による“見えない力”で暴れる家具たち。チェシャの資料にあった通りの現象が目の前で巻き起こっている。
せめて転がって避けようと身構えた所に、翻ったコートが目に飛び込んで来た。
「やってくれたな、この野郎ぉおおおッ!!」
レイスの前に守るように立ちふさがったリザが、両手の拳銃の引き金を弾く。
弾幕を浴びた本達は次々に撃ち落とされ、本棚も木片を散らして崩壊していった。
だがまだ攻勢が止む気配はない。ハサミや文房具といった直接的な凶器までもが浮遊し、椅子や机も弓に番えられた矢のように発射準備に入る。
ここまで攻撃的とは恐れ入る。本気でこちらを殺す気だ。
「っ……援護する!」
「ああ!壁を背にして動くなッ!迎撃に徹しろ!!」
レイスは座り込んだ姿勢のまま、肩と両手でしっかりとM4A1をホールドしながら銃口を向け、トリガーを引き絞った。
花弁のように広がった橙色のマズルフラッシュと共に、マッハ3で飛翔する5.56mm弾の嵐が椅子や机を粉砕する。
肩に掛かる反動はけして弱いものではないが、しっかりと構えれば制御できないほどではなかった。
「うっらぁあああああッ!!」
基本に忠実に撃つレイスに対して、リザの射撃は激しい舞いのようだった。
差し向ける二つの銃口をめまぐるしく入れ替えながら、円を描くような動きで目標への最短ルートの照準を行っている。しかも目で見えていないはずの死角からの攻撃ですら、瞬間的に銃を向けて撃ち落とすなんて芸当も見せてくれた。
一体どんな反射神経をしていればこんな動きが出来るのかレイスには到底、理解が及ばなかった。
ただ、リザのおかげでポルターガイストのラッシュを凌げているのは事実として間違いない。極力、彼女の攻撃の邪魔にならないよう、遠間の目標だけに絞ってレイスは射撃を続けた。
「リロード!カバー!」
「オッケー、ベイベー」
リザが弾切れのM93Rから弾倉を捨て、左右の弾倉帯から次弾を装填する。その間にレイスは彼女に差し迫るガラクタを迎え撃った。レイスの弾が切れた時は、同じように声を掛けてその逆を行う。急ごしらえの連携だが上手く回っているとレイスは思った。
―――どれだけそうしていたか判然としないが……最後に飛んできたクマのぬいぐるみの頭を吹き飛ばすと、部屋は静かになっていた。
「はぁ……はぁ……、終わった?」
「みてぇ、だな」
部屋の中は惨憺たる有様だ。
壁には弾痕が蜂の巣のように開いているし、飛び散った木片や空薬莢がそこら中に散らばっている。ここを掃除しろと言われれば、余裕で3時間以上は掛かるだろう。むしろリフォーム業者が必要なレベルだ。
あ~~……と長い息を吐いてレイスは肩の力を抜いた。乗り切った安堵感と、緊張して張りつめた糸が緩んだ反動でぐったり手足を投げ出し壁に背を預ける事しか出来ない。視界は依然として外周が赤いまま、FPSゲームのような自動回復という便利機能は付いてないようだ。回復アイテムが存在するのだから当然とも言える。
「怪我は?」
「喰らってる……、でもファーストエイドがあるから……」
「待ってろ、あたしがやる」
リザは銃をホルスターに仕舞い、レイスを少しどかして背中のリュックを漁った。程なくして、白い十字が描かれた小さな赤いバッグを取り出した。彼女が中身を開くと、真っ白な包帯が入っていた。
リザはその包帯を手に持つと、レイスの腕にくるくると巻いていく。
「それ巻けば治るのか?」
位置的にはボディとか背中にダメージが入っているはずだが、そういうのは関係ないらしい。
「時間の掛かる応急処置だけどな。次は緊急医療スプレーの1本でも入れとけよ?それなら速い」
「なるほど、覚えておく」
ゲーム的な目で見れば、このファーストエイドは使用から回復まで10秒くらい時間を要する回復アイテムのようだ。戦闘中ならまず使えないと思った方がいいだろう。
対してリザの言う“緊急医療スプレー”は名称から察するに、戦闘中でも素早く使用できる回復アイテムだと思われる。そこそこいいお値段がするアイテムだろうなとレイスは考えた。
包帯が巻き終わると外周の赤色が緑に一瞬だけ変わり、正常な視界に戻った。時間は掛るが、これ一発で完全回復はしてくれるようだ。
「……もう大丈夫だ、助かったよリザ」
もちろん、怪我を負って治療してもらうという美味しいシチュエーションだったので、レイスもロールプレイに気合いを入れる。表情や雰囲気も意識してを言葉を選ぶが、これがなかなかクセになる。
「……おい、あたしのセリフを取るなよ」
「セリフ?」
「まぁ、なんだ……その、さっきはよくやったってだけだぜ」
クローゼットが飛んできた時に突き飛ばしたアレかとレイスは思い至る。
「バカ言え、その後に飛び出してきてポルターガイストから守ってくれたじゃないか。比率で言えば7:3くらいで俺が助かってる。どうだ、俺の勝ちだ」
「ハッ、なんだよそりゃ」
眉間に寄りまくってたシワがほどけ、リザが初めて柔らかい笑みを見せる。見た目相応の可愛らしくドキリとさせるような表情だった。
ロールプレイか彼女の素なのか数瞬、迷ったがこれに関しては何も言うまいとレイスは片手を上げてごまかしながら、強引に立ち上がる。
「と、とにかく、このまま一気に本丸まで行くぞ、リザ!」
「おい、気を付けろよ?悪霊野郎がどこで見てるかわかんないんだから、不用心に行くと……」
―――バキッ。
「……ん?」
嫌な音がしたとレイスが足元を見た時にはもう遅かった。乾いた木が連鎖的に崩壊する音と同時に、レイスが立っていた床板がすっぽりと階下に抜け落ちる。
「どわぁああああああああッ!!??」
ロールプレイ抜きで叫び声が出た。
破片と共に自由落下の浮遊感を数秒味わい、叩きつけられる衝撃(二度目)を全身に感じながら床に転がる。幸い、タンスの角や尖った燭台といったダイレクトにダメージを与えてくるオブジェクトは落下地点には設置されていなかったようで、二階から一階に落ちた時の怪我くらいで済んだ。
僅かに視界が赤く染まったが、先ほどよりは全然軽い。
「おぉい!?大丈夫かッ!?コントみたいな落ち方したぞ!?」
「だ、誰が一発屋の若手芸人だ、くそ……」
「いや、言ってねぇよ!」
仰向けに寝転がり、今しがた落ちてきた天井の大穴を眺める。下を覗き込んできたリザの心配そうな顔が見えたので、ひとまず自分の無事をボケと共に報告しておく。
どうやらここはリザがスルーした1階の部屋の様だ。位置関係から考えて、玄関から入ってすぐ左手の場所になるだろう。
室内の雰囲気としては書斎という言葉が適切だ。2階の部屋よりも多くの本棚が壁に並び、そのどれもに洋書がギッシリと詰まっていた。窓側には筆記用の大きめの机と、揺れる安楽椅子が備え付けてある。レイスの庶民観で言えば、海外ドラマのちょっと古い洋館とかでよく見るタイプの部屋だ。
「降りるぞ、……よっと」
身体を起こし、また同じ腕に包帯を巻いて回復するレイスの横に、天井の穴から飛び降りて来たリザが猫のようにストンと着地した。同じ高さでもちゃんとした着地を決めればダメージ判定は発生しないようだ。どうにもレイスは落下時の打ち所が悪かったらしい。
「計らずも階段分ショートカットじゃねーか?絶叫したかいあったかもな」
「歩く距離で言えばトントンだろ……、あとさっきのは忘れてくれ」
ちなみに回復してる時間を考えれば軽くロスだ。
無事だったのをいいことに、リザがケラケラと笑いながらからかってくるのをレイスはうっとおしそうに遮る。
「そういえば、前回でここ含めて他の部屋は全部、調べたんだよな?何かめぼしい物はなかったか?」
「いや特には。まぁ、お前みたいにしっかりは調べてないから、もしかしたらまだ何か見落としてるかもしれないけど」
「ふぅむ」
というのも、さっきからレイスは壁に打ち付けられた小さな木の板が気になっていた。巧妙に本棚同士の間に隠されており、パッと見ただけでは気付きにくい。たまたま落ちた場所から発見できたのは幸運だったかもしれない。
近づいてよく観察してみると、板の向こう側にスペースが空いている事がわかった。言うなれば壁に埋め込まれた棚を板で塞いであるような感じだ。
「……何かあるな」
「あ?マジでか?」
廊下に出ようとしていたリザが引き返してくる。
レイスは腰からナイフを取り出し、板と壁の間にゴリ押すように差しこんでぐっと力を入れる。テコの原理の要領でしばらくグイグイとナイフを動かして板を固定する釘を緩ませ、そのまま手前に引っ張ると手を突っ込めるくらいには板が外れた。
レイスが木の板を手で掴み、一気にひっぺがすと―――隠されていた一冊の本が姿を現した。
「……なんだよ、結局は本かよ。隠し金庫でもあれば景気が良かったのによ」
「装丁が荒いし、手作りの日記か何かみたいだな。どうしてこんな板で隠してたんだ?」
露骨にガッカリするリザを尻目に、レイスは興味深そうに本を手に取った。ただの飾りではない、れっきとしたテキストアイテムだ。触れれば、ちゃんとページをめくる事ができる。
「リザ、ちょっとこれ読んでみるからしばらく護衛を頼む」
「え~?もうダイヤル錠の答えはわかってんだろ?ならそっちが先でもいいだろ」
「まぁ、待ってくれ。もしかしたらその先に関する重要なヒントが書いてあるかもしれない」
メタ的な読みをするなら、黒幕はこの本を見つけて欲しかったように思う。
わざわざ1階に叩き落として来たものの、ダメージはカス当たりだったし追い打ちをかけるようなトラップも攻撃も無かった。分断して各個撃破も出来るような展開だったにも関わらず、そういった手出しもしてこない。
全滅させるつもりがないなら、何か別の意図があるのか?とレイスが考えていた所にこの本を見つけたのだ。
「できれば……罠は勘弁だぞ」
誘導に誘導を重ねて、本命のこの本で致命の一撃……なんてパターンも考えられる。実際、2階での攻防では明らかに命を取りに来ていたし油断ならない。
レイスは意を決して古びて黄ばんだページに指をかけ、ゆっくりと開いた。