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『オブジェクトナンバー“0021”・9』

 照明も乏しく薄暗い。

 滴り落ちる水滴と鉄錆の廊下はそれだけで陰鬱さと恐怖心を煽って来る。

 その錆は湿気による腐食もさることながら、明らかに飛び散った血液が原因と思える赤黒い染みもあった。

 逃げられないし、逃がさない。そんな意思を感じる反転した世界だった。


 レイスは一階層で拾ってきたフラッシュライトを点灯させた。

 廊下に人影は見えず、ヒタヒタと落ちる水滴が照らされる程度だった。

 ひとまずは大丈夫そうだ。


「……、これは一体?」


「明らかにヤババですね~」


 ユージーンは目を見開いて驚き、アルミアも少し声に真剣さが混じる。


「クソ、おいレイス。 エレベーター完全に止まっちまったぞ、スイッチもまるで反応しねぇ」


「マジか……」


 しばらく文字盤を触っていたリザはお手上げだとばかりにため息をついた。

 レイスはキャロラインの方へ視線を向ける。彼女はすっかり血の気が引いて真っ青になりながら小刻みに震えていた。


「そんな……そんな……、どうして。 アレは【レベル.1】から出てこれないはずなのに……」


 何か知っていると確信したレイスは彼女の前に立った。


「キャロラインさん、詳しく教えて下さい。 これは何が起こってるんですか?」


 彼女は下唇を噛みながら二度三度頷き、小さな口を重苦しく開いた。


「間違いなく……、オブジェクトナンバー0021の仕業です……。 アレは、空間を自在に組み替える(・・・・・)能力を持っています……。 ここはもうどこの階層かも想像が付きません……」


「……、ジェイス。 これは本当か?」


「ああ……。 昔のホラー映画で、廃墟の精神病院に取材で入ったはいいけど、そのあと入り口の先がまた病院内部になっていて出られなくなったって奴あっただろ? そういう感じの事象干渉を引き起こしてくる。 つっても……こんな見た目までこだわってくるたぁ知らなかったけどな……」


「そうなのか? 何度かチャレンジしてるんじゃ……」


「来るまでに失敗しててな、こうして実際にエンジョイしてるとこに遭遇したのは初めてだ」


「なので私らも驚いてますです」


 ジェイスとシェルの表情もけして明るくはない表情だ。


 あのロールシャッハテストの覆面をかぶった黒スーツの巨人もどきがコレを引き起こし、今もどこかに潜んでいると考えると確かに恐ろしい。

 こんな薄暗い鉄錆びの廃研究所でアレに正面から当たったら心臓止まるくらいビビるなと、レイスも眉間にシワを寄せた。

 絶対怖い。間違いなく怖い。


「でもこのままエレベーターに居てもしかたないっすよ?」


「ごもっともなんだよなぁ……」


 帰路は無く、危険が待ち受ける獣道が眼前に広がるのみ。

 この8人に選択の余地はない。


「キョウカは先頭だ、次いでアルミアさん。 リザと俺は中央でキャロラインさんに、ジェイスとシェルの護衛。 最後尾はユージーンさんお願いします」


「了解、いつも通りだね?」


「うっす! 僭越ながら先鋒やらせてもらうっす!」


 即座に隊列を組み、レイスは動体探知機を取り出した。

 今のところは味方の青点しか反応は無い。効果範囲はけして広い方では無いので過信しないよう心得ながら、レイスは前進の指示を出した。


 ―――慎重に軋む廊下を進み、いくつかの部屋を確認していく。

 多少なりとも“アルファ”の面影は残っていたものの、キャロラインが言うには見かけだけ似せているだけでこんな間取りはどの階層にも無いという話だった。


 つまりキャロラインマップは完全に無力化され、彼女はただのオブジェクトへのヒント係になったというわけだ。それでも十二分に強力なNPCだけど。


 ジェイスとシェルのための武器は相変わらず見つからない。

 せめて鉄パイプの一本でもその辺に転がってないか期待したが、壁や天井に這いまわっているパイプ類はちゃんとした不壊オブジェクトだった。


「なんか静かっすねぇ……」


 そうキョウカがぼそっと呟いた瞬間、レイスの動体探知機から『ピピッ』と音が鳴った。

 全員が動体探知機を見て―――それからキョウカを見た。


「ちょ! えぇ!? ウチのせいじゃないでしょ今のはッ!?」


「……キョウカ、世の中にはフラグっていうものがあってな?」


「いやいやいや! それにしたって回収速すぎっすよ!! 完全に狙ってたタイミングじゃないですか!!」


「ったく、キョウカの獲物を呼び寄せる機運は相変わらず一級品だぜ」


「ええ、でもこのフロアの相手がわかるんですからよしとしましょ~」


「だーかーらー!!」


 戯れる女子組を尻目に、レイスは動体探知機を反応した方向に向ける。

 スピードはさほど早くなく、こちらを補足している様子もなかった。

 フロアのあちこちをウロウロしているだけの様子に、しばしレイスは悩んだ。


「様子を見に行くべきでしょうか? やろうと思えば会わずに進めそうではありますが……」


「会わないように進めるなら、それがいいと思います……」


 そう口火を切ったのはキャロラインだった。

 青ざめた顔はそのまま、落ち着きなく廊下のあちこちに視線を向けている。


「それはたぶん“0021・A”実体だと思いますから……」


「0021・A実体?」


 またも飛び出してきた新たなキーワードにレイス達は疑問符を浮かべる。


「はい、―――オブジェクトナンバー0021は特定の有機個体を捕獲すると、どこかから自身も身に着けている覆面を取り出して、その顔に被せるんです」


「特定の有機個体っていうと……」


「もちろん、人間です……」


 その一言で、周囲の熱がスッと引くような嫌な感覚を覚えた。


「覆面を着けられた個体はそのまま、猛烈な激痛と共に覆面が顔面に固着します。 そして人間的な意識はすべて失われ、0021・A実体が完成します。0021・A実体は、母体の0021がやったような増殖行為を率先して行おうとする、極めて危険な存在になります」


「……なるほど」


「肉体の強化こそある程度はされますが、現代兵装による処置は十分に可能です。ただ……、こうなってしまっては数がどれだけいるか……」


 そこそこの筋力を持ち、銃撃で普通に倒せて、足が遅く、捕まると仲間にされる危険な敵か、とレイスはキャロラインの説明を反芻した。


「ゾンビだな」


「ゾンビじゃねえか」


「ゾンビっすね」


「ゾンビですね~」


「ゾンビだね……」


 ―――みんなの心は一つだった。


「ゾンビなら突っ切っても大丈夫か」


「だな、ゾンビくらいならなんとかなるぜ!」


「うちもゾンビなら倒せるっす!」


「むしろゾンビなら撃ちたいくらいですね~!」


「お、おじさんはノーコメントで」


「……えぇえええ」


 キャロラインは心の底から何言ってるんだこの人たちと言いたげな表情だった。


「おい、盛り上がるのはかまわねぇけど俺たちが武器なしなの忘れてねぇか?」


 ジェイスが肩をすくめて両手を広げて見せる。


「……、もちろん忘れてませんよ?」


「なんだよ今の間は」


 マップ全体が把握し切れていない現状、とりあえず会わないように回りつつ脱出の手がかりを探す方針に固まった。

 ジェイスとシェルの武器探しもちろん忘れていない。

 レイスは動体探知機の『ピピッ、ピピッ』という電子音だけに集中しながら、先頭を行くキョウカに続いた。



※※※



「ハァアアッ!!」


『オ、アアァ、ア』


 波濤(はとう)のように押し寄せるキョウカの連続打突が、白衣を着た0021・A実体を怯ませる。

 掴まれない間合いから伸ばしてくる手を警棒で殴り落し、鋭いハイキックがロールシャッハスマイルを浮かべる覆面の顎を捉えてぶっ飛ばした。壁に叩きつけられた0021・A実体は、だらりと全身の力が抜けてそのまま動かなくなる。


「ほい、これで二体っす!」


 くるくると二本の警棒を器用に回して腰のベルトに収める。

 銃の出番がないくらい圧倒的だった。


「やはり接近戦を仕掛けてくる人型にはキョウカが一番強いな……」


「……アレって耐久力もわーずごいってくらいあるはずなのですが」


 キャロラインはもう驚きすぎて語彙力の低下が著しかった。

 今のところ、まばらに現れる0021・A実体をキョウカが殴って倒すだけでサクサク進めている。

 敵が弱いのか、キョウカが強すぎるのかいまいち分析できないところを除けば概ね順調だった。


「とはいえ……迷宮もいいとこだな」


 こっそりマップ機能を起動させながら、歩いてきた道中をレイスは確認して呟いた。

 研究所にしては非効率すぎる入り組んだ構造に気が滅入ってくる。

 やはり件のオブジェクトナンバー0021をなんとかしないと、このフロアから出られない気がしてきた。


「レイス、ちょっといいか?」


「ん?どうしたリザ」


「いや、なんかテキストが落ちててよ。 ヒントになんねぇかなって」


 部屋の探索を進めていたところでリザがそう声をかけてきた。

 渡されたバインダーに挟まれた紙を見ると、確かに日本語に変換される。


 タイトルは―――『オブジェクトナンバー0021:スマイルフェイス』


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