『悪霊の家・1』
チェシャから“リザっち”と声を掛けられた人物は、テーブル席のかなり奥にいた。暗がりで顔がよく見えない細身のシルエットがめんどくさそうに席から立ち上がる。
「なんだよチェシャ。 その情けねぇ顔のルーキーをあたしに振るって? 何の冗談だよ?」
ぶっきらぼうな口調でさっそく余計なお世話をブチかましてきた人物は、一言で表すなら女の子。二言目を繋ぐならヤンキーだった。
金髪のショートカット、ルビーのような赤いツリ目に鋭い眉。整った顔立ちなのは間違いないが、不快そうにへの字に曲がった口元と眉間に寄ったシワで、女性らしい可愛らしさなどという言葉は完全に場外ホームランだ。
耳にはシルバーのイヤーカフ、右の目元にはダイヤマークを二つ縦に重ねたような刺青まで入っていてチャラいお洒落に余念がない。
服装は着崩したカッターシャツにミリタリー調のデザインやロゴが入ったカーディガン。太ももまで切り詰めた短いチェックスカートからは下に履いてるであろうスパッツが僅かに覗いている。そこから伸びる生足の下はゴツめのコンバットブーツだ。
上からは黒一色に警告色のイエローのラインが入ったポケット多めのコートを羽織っており、ちょっとダボついた印象が全体のだらしなさに加速を掛けている。
それでも両足の太ももにくい込む感じで回された二つのレッグホルスターに、肩や腰に身に着けた実戦用のミリタリーバンドやポーチを見る所によると、これでも立派に掃除人をやっている子のようだ。
背はそこまで高くはなく全体的に小柄で小動物を思わせるシルエットだった。同い年か少し下くらいだろうか?とレイスは当たりを付けた。
「まーまー、噛み付かにゃい、噛み付かにゃい。 紹介するにゃー、レっちゃん彼女はにゃ~……」
「チッ、自分で言えるての……。 あたしはリザ―――“リザ・パラベラム”だ。 同業だけど、よろしくしてやる気はねーからとっとと忘れな」
「俺はレイスです。 よろしくお願いしますし、バッチリ覚えましたリザさん」
「おい、コイツ撃っていいか?チェシャ」
「ウチのバーで喧嘩はご法度にゃ~」
さて、とレイスは努めて冷静に状況を見る。
単純な結論を述べよう、リザは美形男子すら裸足で逃げ出すイケメンタイプの美少女だ。チェシャの“相棒”の言葉から推察して、彼女と依頼をこなすよう計らってくれているのは恐らく間違いない。
レイスは深く感謝した。性格の第一印象は最悪だったが、幾千ものプレイヤーの中でイケメンと頭にはつくものの美少女に出会えたのはまさしく僥倖と言ってもいい。見た目は完全にヤンキーだけど。
場合によっては男性のフレンドを作る事すら危うかったレイスにとって、これは何としても物にしたいきっかけだった。
「……最低でもフレンド登録っ!」
「おい聞こえてんぞ、幽霊野郎。 ったく、調子狂うなぁコイツ」
「ところで“パラベラム”とは? このゲーム、苗字ってつけられましたっけ? キャラメイクの時はなかったと思うんですけど。 あ、それとも称号システムとか?」
「あ……、えっと。 ……は? ゲーム? キャラメイク?何言ってんだ」
「お?」
不機嫌そうだったリザの口調が一瞬、どう答えるか迷ったように崩れた。
そこでふと、妹の明理が言っていたオンラインマナーの1つをレイスは思い出した。
この手のVRゲームが普及してから、アバターのキャラクターを演じる“ロールプレイ”を重視するプレイヤーが急増したらしい。つまり、そのゲーム世界に生きる一人の人間として、ゲームを楽しむプレイスタイルの事だ。
没入感を重視する彼らは、一般的なプレイヤー同士がするであろうゲーム的な用語や、メタ視点での発言をあまり良しとしない。時にはロールプレイ中はそういう発言を一切、無視する場合もあるそうだ。
もちろん一言「ロールプレイしてます」と先に断ったり、ゲームによってはネームアイコンに“RP中”と出すなど、そういうプレイをしていますと周囲に意思表示する事も必要だ。
ロールプレイスタイルはあくまで私事であり、相手とのすり合わせが状況によっては求められる。
もっともリザは徹頭徹尾、“リザ・パラベラム”を演じ通すつもりのようだ。
ゲーム内ではいわゆる“中の人”を絶対に見せたくないのだろう。
(……でもロールプレイか、ちょっと面白そうだな。 よし、せっかくだし俺も乗ってみるか)
無論、ごっこ遊びなど健康優良男子高校生であるレイスにとって当然の嗜みであった。
咳ばらいを一つして、片手を大げさに広げて肩をすくめる。頭にイメージしたキャラ設定に倣ってセリフを組み上げ、ゆっくりと口を開いた。
「いや、この業界って偽名が当然だろ? なのに苗字がついてるなんて、どこのお嬢様か気になってな?」
「―――っ! フ、フンッ! どこに“平和を欲さば、備えよ”なんて苗字があるんだよ。 こいつはあたしの肩書きみてーなもんだ。 つか、お嬢様とか舐めてんのか?頭ブチ抜くぞ」
ちょっと驚いたように目を見開いたリザは、また先ほどのような不遜な態度に戻った。
だが明らかに声は嬉しそうに弾んでいたし、口元の笑みが隠しきれていない。レイスがロールプレイに乗ってくれた事が嬉しかったのだろうと察せられる。
ひとまず、この対応で間違ってなかったとレイスは安堵した。
「勘弁してくれリザさん。 稼ぐ間もなく天寿は全うしたくない。 失言は撤回するから、どうか矛……っていうか銃口?を収めてくれ」
「むぅ、次はねぇぞ」
ドカッと勢いよくレイスの横のカウンター席にリザは腰かけた。どうやら“リザ・パラベラム”としても話は聞くだけは聞いてくれるらしい。
「にゃっはっは! いい感じだにゃあ、思った通りにゃ」
「んなわけあるか、新人教育なんざ受け付けてねぇぞ? あたしが欲しかったのは暗号が解けるやつだ」
「……暗号?」
「リザっちはこの間チャレンジした依頼で謎解きが上手くいかなくて失敗したにゃ。 そのリベンジのために謎解き要員を探してたんだにゃ~」
「へ~」
「へ~、じゃねぇよ! それで出てきたのがお前だったあたしの気持ちを考えろコラ!!」
「ヒュー! やったぜ大勝利!とか?」
「よし殴る、そこ動くなよ」
席を立とうとしたリザをチェシャが慌てて押しとどめる。
レイスもすぐさま両手を合わせて謝り、なんとかリザの怒りを収めた。
短気で喧嘩っ早いのはビジュアルからそのままのようだ。
「まぁまぁ、ともかく一度俺を使ってみてくれ。 それで証明しよう。 だめだったら俺は去って、またチェシャさんにお願いする方向でどう?」
もっともレイス自身、謎解きなど適当に読んだパズルブックやネットのフリー脱出ゲームを嗜んだ程度で自信など無かったが、きっと“レイス”ならハッタリでもこう言うだろうと思った。
リザは片眉を上げてため息をつくが、どうやら折れてくれた感じがした。
「しゃーねぇな……言っておくけど、あたしが受けてたのはスイーパーランク10の依頼だ。 それでも行くのかよ?」
「もちろん。チェシャさんがせっかく俺を信頼して紹介してくれたんだ。 彼女の顔に泥はぬれないでしょ?」
「いや、ウチは単にめんどくさいリザっちに便利な草食系男子だにゃ~って思っただけにゃ」
「そこは嘘でもいいから、使える奴だくらいは言ってくださいよ」
キメキメに決めた所が台無しだ。
リザも思わず笑いそうになった所をなんとかごまかしてるし。
「じゃあレっちゃんとリザっちのチームってことで、依頼はこれにゃ」
チェシャが例の古びたファイルをめくって、一枚の資料へと行きついた。
推奨スイーパーランク10、報酬は1人12万ドルセント。一応、1ドルセント1円の計算らしいので普通に12万円の報酬だ。ドルなのに100円換算じゃないのかよ、とレイスは心の中でツッコミを入れた。
「タイトルは、……『悪霊の家』?」
幽霊屋敷の幽霊を退治しろという、なんともシンプルな依頼だった。
借家に使っていた夫婦と子供が怪奇現象に見舞われ、夫婦は精神病院へ入院し、子供は親戚に預けられる末路をたどったというエピソードが付いている。この幽霊屋敷の家主は、自身の心の平安のためにもなんとか幽霊を追い出してほしいと訴えているようだ。
「おい、サイシーバー貸せ。あたしがマッピングした屋敷の地図を入れといてやる」
「ああ、はいはい」
リザにサイシーバーを手渡しつつ、レイスは資料をめくっていく。
夫人の証言では、夜中に現れる“ナニカ”は皿や物を飛ばしたり、背中を突き飛ばしたりしてくるなど攻撃的な一面があるが、姿を見せることはないそうだ。
見えない敵なのか、はたまたどこかに本体が隠れているのか……。
「リザさんはどこまでこの屋敷を?」
「一階と二階はあらかた調べたぜ。 ただ、一階に鍵の掛かった扉があってその先は進んでない。 銃で撃って解決する感じの鍵でもなかったしな」
「ふぅん、その鍵を解除するために暗号を解く必要があると」
「……そういうことだ。たぶんな」
「わかった。 あとは現地で確認する」
資料を読み終えてファイルに戻すと、リザがサイシーバーを返してきた。
手に取って確認すると、一階に四部屋とリビングにキッチン、二階も同じく四部屋並んでいる『悪霊の家』の全体マップが記されていた。
平面の図なので詳しいことはわからないが、とりあえず構造は把握できる。
「ありがとう、リザさん」
「その、さん付けっての気持ち悪いからやめてくれ。 ムズかゆくて仕方ねぇ」
「それは好感度アップの影響で?」
「死ね」
「はい、すいません。 調子乗りました」
レイスは即答した。
だんだんと、ツッコミもいい加減になってきたし潮時だろう。
「じゃあ、リザ。 これからよろしく頼む」
「ハッ、よろしくできるようせいぜい頑張れよ」
チェシャはそんな二人を交互に眺め、ニヤニヤ笑って依頼書に【実行】の判を押した。