“デルタレッドホテル”
暗闇からじんわりと明るくなって行く視界は、豪華な両開きの扉を見据えていた。
オートで動く身体はその扉を開き、高級そうな赤いカーペットへと足を進め、受付の前までやって来た。
受付で出迎えてくれたのはすらりと伸びた長い青髪を整え、ハーフフレームの眼鏡をかけたフォーマルな姿の女性だった。
パッと見ても若そうにも大人のお姉さんにも見える絶妙な顔立ちで、どのくらいの年齢なのか推し量るのは難しかった。出るところは出つつも引き締まった身体に、セクシーな目元のホクロの印象から、レイスはひとまず年上の女性と判断する事にした。
柔和な頬笑みを浮かべる彼女は、やってきたレイスに恭しく一礼した。
「ようこそ、デルタレッドへ。 私は当ホテルの案内人、アルハートと申します」
「……どうも、レイスです。 あの、会員証はこちらで見せれば?」
もう自分で身体を動かせる事を確かめ、レイスはポケットからブロンズ色のホテルの会員証を取り出して、アルハートに差し出した。
「拝見いたします。 ……ああ! ありがとうございます掃除人レイス。あなたの御来訪を心よりお待ちしておりました」
会員証を見たアルハートはパッと花が咲いたように顔をほころばせた。
年頃のレイスにはかなりドキッとくるような包容力のある笑顔だった。
ごまかすように視線をそらし「それで?」と先を促す。
「はい、まずはこちらを」
アルハートがカウンターの上に丁寧に取り出して来たのは一台のホロ……いや、これはガラフォンだろうか?とレイスは首をかしげる。
10年前くらいまで流通していたスマートフォンというホロフォンのより前の世代の携帯電話だ。今ではガラパゴスフォンでガラフォンと呼ばれている。
一部のお年寄りや年配の人がいまだに使っているらしいが、世間的には時代遅れに分類される機器だろう。
このガラフォンは手に納まる大きさだが、画面の外周はガッチリとミリタリー調の分厚いカバーで覆われており、ポケットに入れるとしたらかなり嵩張りそうなサイズ感だ。
落としてもブン投げても壊れそうにない外観は、まるでレトロフューチャーを題材にしたSF小説に出てくる、ちょっとしたキーアイテムのようにも見える。
「こちらは【サイシーバー】と言います。 掃除人の皆さまに支給しております、“対霊障保護システム搭載型次元通信端末”でございます。 こちらがあれば、例え異界に迷い込んでしまっても仲間と連絡を取ることが出来ます」
さらっと今、とんでもない単語を二つ三つは言わなかったか?とレイスは思わず手に取ったサイシーバーから顔を上げた。
目を合わせてもにこやかな表情のまま、アルハートは話を続ける。
「さらに探索に必要なアプリも多数インストール済みです。 まず現場を自動でマッピングする地図アプリに始まり、他言語の解読アプリ、霊撮アプリ、電子ロックへのハッキングアプリなどがございます」
「アプリの枠、だいぶ越えてますね……」
もはやスパイツールか何かだ。
「当ホテルのアプリも入っていますので、ホテル内で迷った時や、困った時はぜひご活用ください」
サイシーバーに視線を戻すと、赤色の【R】のロゴが入ったアイコンのアプリが入っていた。恐らくはこれの事だろうとレイスは頷いた。
まずお世話になるのは間違いなくこのアプリだ。
「ですが当ホテルの探検の前に、レイス様はまず地下にございます【BAR・ARTEMIS】に向かわれるのがよろしいかと存じます」
「バー、ですか?」
「はい、【BAR・ARTEMIS】は、掃除人の皆さまの交流の場としてだけではなく、依頼の斡旋も行っております。 諸先輩方のお話をお聞きになるのもよろしいですし、早速“仕事”を請け負うのも大変に有意義かと存じます」
言わばそこがプレイヤー達の集まる共有スペースなのだろう。
依頼を受けてチームを集め、攻略に出向くための場所だ。今後とも必ず足を運ぶことになるはずだ。
「わかりました、まずはそこに行ってみます。 何から何までありがとうございます、アルハートさん」
レイスがお礼を言うと、アルハートは少し驚いたように目を見開いた。だがすぐに営業用のスマイルに戻ると丁寧にお辞儀をした。
「身に余る光栄です、レイス様。 どうかお気をつけて」
レイスは早速、サイシーバーの【R】のアイコンをタップしてデルタレッドホテルの案内ページを開いた。施設の場所を検索するフォームで【ARTEMIS】の場所はすぐにわかった。
現在位置からルート案内をしてくれる機能もついているようで、至れり尽くせりと言ったところだろうか。
レイスは片手を上げてアルハートに別れを告げ、受付から右の通路に歩き出した。
「改めて見るとすごいホテルだなここ」
海外旅行の番組で見るような、日本の様式とはまったく異なる内装。扉から照明まで、どれもこれも繊細な装飾が施され、天井から下がるいくつものシャンデリアが光りに反射してキラキラと輝いている。
一周回ってレイスは落ち付かない気分になった。根が小心者の彼にとって、VR空間であっても下履きに銃、適当なジーパンにジャンパーの格好のまま、このラグジュアリーな空間にいる状態は流石に憚られた。
早足で案内に従って突き進むとやがて地下に続く階段が見えてきた。
今までしっかりと灯っていた照明が、ここからはずいぶんと乏しくなっている。華やかな雰囲気から一転、まるで地下墓地に降りるかの如しだ。
「逆に安心かも……」
肩のM4A1を背負い直し、ゆっくりと階段を下っていく。
たっぷり時間を掛けて着いた先は、薄暗い照明に【ARTEMIS】の奇抜な色のネオンが怪しく光るバーだった。壁は硬そうなレンガ造りで、電飾の灯った燭台が並べられている。
カウンターだけではなく、丸テーブルの席も奥行き一杯まで配置してあり全体的にとても広い。何十人、くらいまでは入れるだろうが流石に何百、何千ものプレイヤーになると無理な大きさだ。
どこで仕切られるかはわからないが、プレイヤーをある程度の人数で別サーバーもとい別の【ARTEMIS】に振り分けるように出来ているのだろう。
現に今のこのバーは閑古鳥が鳴いている程に人がいない。
「おー! らっしゃいにゃ~お兄ちゃん! 見ない顔にゃ~」
唐突に妙な語尾付きの猫撫で声に話しかけられ、ちょっとビックリしたレイスはカウンターの方を向いた。
猫だ……、猫がいる。いや正確には猫耳のフードをかぶった女の子がカウンターに肘をつきながらニヤニヤと不敵な笑みを浮かべてこちらを眺めてきている。
紫の髪にスカイブルーの瞳、猫耳フードのついた黒と白のシマシマパーカーを、袖を通さずマントの様に羽織っていた。そこから覗く細腕は雪のように真っ白な肌だ。『怠惰』とデカデカと達筆でプリントされたシャツに、ホットパンツとニーソックスの姿は部屋とのアンバランスさをこれでもかとアピールしている。
彼女はカウンターの向こう側、すなわち普通ならバーテンダーが立っている場所に鎮座していたが、おおよそ格好から見て、バーテンダーには到底思えない。
「ん~、新人さんにゃ~? ウチの名前はチェシャにゃ。 知恵者と書いてチェシャと読むにゃ。 バーテンダーのお仕事してるにゃ~、よろしう~」
バーテンダーだった。
レイスは呆れ半分、興味半分で軽く自己紹介をしながらチェシャの前のカウンター席に座った。
「俺はレイスです……。 お察しの通り、ここには今日初めて来ました。お世話になりますチェシャさん」
「にゃ~、ちゃんと挨拶できて“レっちゃん”は偉いにゃ~。 コーヒー飲むにゃ?」
「なんて駅前喫茶店的な対応……!!」
バーとかもう全然関係ない。
レイスのツッコミに対してチェシャは八重歯を見せて笑いながら、ユラユラとした歩調でカウンター裏の冷蔵庫に向かう。
「だってレっちゃん未成年にゃ~。 レーティング的にアウトな飲み物は出せないにゃ~? オレンジジュースがいいかにゃ? コーラもあるにゃ」
「ああ、そういう……。 えっと、あるならお茶でお願いします」
「にゃっはっは、レっちゃんは将来、飲み会で空気読まずにお酒じゃなくてお茶を一番に注文して損するタイプにゃ~」
「……、ヤバイ、否定できないかもしれない」
チェシャは底巾が広い円形のグラスを取り出し、綺麗な球体の氷を入れると茶色の液体を注ぎ込んでいく。
……お茶、だよな?とレイスは若干疑いの目で眺めていたが、NPCの口から年齢制限の話が出たのだから早々変な事態にはならないだろうと納得させた。
「お待たせにゃ~。 ああ、これサービスにゃからお代はいらないにゃ」
「え? なんかすみません、ありがとうございます」
「いいにゃいいにゃ、マナーのいいお客様にはマナーのいい対応が鉄則にゃ~」
出されたグラスを取って念のため匂いを嗅いでみるが、アルコールが入っている感じはない。舌をつけてみるとキンと冷えた烏龍茶の味だった。味覚の完璧な再現に思わず唸る。
そのままグラスを上げて中身を軽く流し込み、喉を潤す。ただの烏龍茶のはずだが、レイスにはとても美味しく感じた。
「さて、口も回るようになったところでレっちゃんはどんな御用かにゃ? 依頼を見ていくかにゃ?それともチェシャさんのプライベートが知りたいかにゃ?」
「今日初めて来る人間になんて二択を迫るんですか、めっちゃ迷うじゃないですか」
「迷うのかにゃッ!? ……ただ残念ながらプライベートの話をするには、まだまだ好感度が足りないにゃ~。 出直してくるにゃ」
「まさかの好感度システム」
「チェシャさんルートに入るまでは長いにゃ~」
「誠心誠意、頑張らせて頂きます」
「頑張るのかにゃ……」
ちょっと呆れたような顔をするチェシャにレイスは深々と頭を下げていた。
レイスは思う。チェシャは見た目こそ幼いながらも間違いなく美少女である。当初の“目標”からは少しズレるかもしれないが、お近づいておく事になんら弊害はない。そう、ここまで高度に会話が出来るなら、それこそNPCでも関係なかった。彼女との軽快なやりとりはそれだけで楽しめたし、大いに癒された気分になる。
なるほど、スレた掃除人達にはうってつけのバーテンダーかもしれない。
「話は戻してチェシャさん、依頼についていろいろ教えてもらっていいですか? 何も調べずにここに来たので」
「今どき珍しいにゃ。 説明書は読まずにゲームを始めるタイプかにゃ?」
「まずゲームをしないタイプですね」
「スタートラインだけでどんだけ下がるにゃ」
このゲームも妹にせがまれて止む無く始めたのだから間違ってはいない。
「そうにゃあ、依頼の請け負いについては簡単にゃ。 まずウチに声を掛けてくれればいいにゃ」
そう言うとチェシャはカウンター下から両手で抱える程の1冊の分厚いファイルを取り出した。革の装丁がされた古めかしいデザインで、ページ合間からいくつも付箋が飛び出ている。かなり使い込まれた雰囲気と威圧感だ。
チェシャがページを開くと、写真がクリップ止めされた数々の資料がそこに並んでいた。1ページに1件づつ、その全てが怪奇現象にまつわる証言と依頼内容だった。
「これは……すごいですね」
読み物としても単純に興味がそそられる。
例えば『客が消えたブティックの潜入調査』や『“ヒキコさん”の追跡』『猿夢からの脱出』など、どこかで見聞きした都市伝説の案件から『地下深くからの睦言』『ネコネコハウスの謎』『ガチムチマッチョ幽霊、現る』なんてオリジナルに富んだ物まで様々だ。
特にガチムチマッチョの依頼はすごかった。毎夜、筋骨隆々のマッチョ達が現れ、ボディビルコンテストを開催するのでなんとかして欲しいという、わけのわからない内容だった。
「依頼にはそれぞれ推奨スイーパーランクが書かれているにゃ。 レっちゃんはランク1にゃから、この辺の1から3辺りの依頼がいいかにゃ~。 あ、ちなみにあくまで推奨されるスイーパーランクにゃから、別にべらぼうに高いランクの依頼を受けてもいいにゃ」
「なるほど、ちなみにそのべらぼうな依頼に行くとしまして、俺が達成できる確率は?」
「まぁ、0%にゃ。 装備も武器も足りなさ過ぎて、秒で死ぬのが目に見えてるにゃ」
「ですよねー」
推奨スイーパーランク70とかの高難易度の依頼は『邪神復活』など見るからにヤバイタイトルが軒を連ねていた。流石に序盤からここに突っ込んでいく蛮勇はレイスにはなかった。
「それでチェシャさん、俺は現場で何をすればいいんでしょう? いや、銃で怪異を倒すのはわかるんですけど」
「別に倒すことばかりじゃないにゃ。 依頼の達成条件が全てにゃ」
チェシャがいくつかページをめくってその達成条件を指し示していく。
それを目で追っていくと確かに怪異の撃破ばかりではなかった。『施設からの脱出』や『ボスの封印』『特定アイテムの奪取』など、他には『真実の追求』などちょっと分かりにくい条件まである。
「どんにゃ過程を踏んでも達成条件さえ果たせば仕事は完了にゃ。 自分なりに考えて行動することにゃ」
「へぇ、何やってもいいんですか?」
「―――出来ることはなんでもやるにゃ」
チェシャのその声色はどこか真剣味を帯びていた。目もまったく笑っていない。
思わず息を呑んだレイスは二の句が継げず、ただ神妙に頷いた。
「にゃ~、この世界に通例やパターンなんてものはないにゃ。 常に状況を俯瞰して、考えることを止めてはいけないにゃ~? 時にはカンを信じるのもいいにゃ。 そのバランスを使いこなせるようになって、やっと一人前の掃除人にゃ」
「道のりは長そうですが……肝に銘じておきます、チェシャさん」
レイスの真摯な答えにチェシャは満足そうに目を細めた。
「仕事に関してはそれを覚えておけば、あとは自然となる様になるにゃ。 それじゃあレっちゃんには~……あ、そうにゃあ!!」
そこで何か思いついたように、チェシャのフードの耳がピコンと立ち上がった。
頭のそれ本当に飾りですか?と言いかけたレイスを遮り、チェシャはニマニマ笑いの表情に変わって、奥のテーブルに声をかける。
「おーい!リザっち~! いい相棒を用意したにゃ~!」
相棒……?