『きさらぎ駅・3』
駅の外は電信柱すらない少し広い砂利道だった。
その左右には、青々と茂った少しの背の高い草がゆっくりと揺れている。少しそちら側に踏み込めば、柵で仕切ってもいない線路まで出ることも出来るだろう。
田舎道と一言でいっても流石に度が過ぎているなとレイスは思った。なぜなら、左右に伸びる道はその果てが山にぶつかるまで一本道、しかも建造物は一切ない。見渡す限りの草原は地平の果てまで広がっており、まるで緑の海原のように見える。
異常な空間だ。現実感すら薄れてくる程に、この風景は違和感に狂っている。
「何の心構えもなしにこれ見てたら軽く叫んでたな……」
「一回でも草原に入ったら二度と戻ってこれないって気がするぜ」
リザの言には全面的に同意できる。
そして見てわかる通り、足音の主も綺麗に姿を消してしまっている。また振り出しだ。
「右と左、どっちに行く?」
「そうだな……、できれば死にたくないし、根の国よりは黄泉比良坂の方に戻った方がいいと思うが……」
「オッケー、じゃあ左だな」
「せめて北って言ったらどうだ?」
「あの夕日は当てにならねーよ」
砂利道を歩き出したリザの背中から視線を外し、レイスは地平にかかる太陽を見る。緋色の巨大な球形から放たれる光は、いつも照らしてくれるような優しい色彩ではない。赤く、赤い、血の色のようだ。
暖めてくれるはずの輝きは、どこまでも寂しく、そして薄ら寒い。あの太陽は本当に、東から昇って西に沈む自分達の知っている太陽か?と言われれば……。
「……、ああ、確かに当てになりそうもない」
リザを追って、レイスは少し駆け足で先を急いだ。
※※※※※
あれから30分ばかりは歩いただろうか、延々と変わらない草原と夕日の景色に飽きてきた頃になってようやく山の近くまでたどり着く事が出来た。しかし道はそこでスッパリと切られたように途切れ、例の草が塞いでいる。
こうなっては進めるルートは、砂利道と並ぶように伸びてきた線路しかない。幸いこちらは山に開けられたトンネルへと先が続いている。レイスがトンネルのプレートを確認すると『伊佐貫』と書かれていた。
「どう思うリザ?」
「どうって、行くしかねーだろ」
足を止めたレイスとは対照的に、リザは線路まで出るとズンズンとレールの上をトンネルに向かって歩いて行った。やはり30分の散歩で、彼女もかなり飽きがきていたのだろう。引き返すのも確かに手間だと考えたレイスは、銃のライトを点灯させて後に続いた。
トンネルの中を人工の光が照らしだす。
苔と汚れが堆積した古びたトンネルだ。一応はコンクリートで固められた建築はされているが、年代を考えれば相当に時間が経っていると推測できる。現実基準をゲームに持ち出すのはどうかともレイスは思ったが、せっかく黒幕が丹精込めて用意してくれた舞台なのだ、オブジェクト一つまでしっかり考察するのもいいだろう。
出口まではそれなりに離れているようで、遠くに夕日色に染まった半円が小さく見える。
しばらくはレイスもリザも無言で歩みを進めた。
「ん……、なんだこれ」
壁の方を見ていたリザが何かを見つけた様に止まった。
数歩引いて光りの当たる範囲を広げて全体を眺める。
「赤いスプレーだな、何かの落書きだと思うが」
レイスが照らされた壁を見てそう言う。
かなり大きく書かれているようで、トンネルの天井に近い位置まで線が伸びていた。リザがまた数歩下がって、書かれている線の全体をライトの光に浮かび上がらせた。
―――【 巨 頭 オ 】
「……きょずお?って読むのかこれ、意味わからんな」
レイスが疑問符を浮かべて横幅5メートル一杯ぐらいまで書かれた字を眺めていると、リザが息を呑んだのがわかった。
流石に三度目にもなればレイスも察した。
これもまたリザの知る大変に“ヤバイもの”だと。
「―――リザ」
「走れ! たぶんすぐに来やがる!」
弾かれたようにブレイクエッジを握り、リザが遠くの出口へ向かって駆け出した。
瞬間、ギュイインッ!とザラついたノイズが、腰からぶら下げた霊障ラジオから発せられる。本当に何か来たとわかったレイスも、すぐさま足を前へ向け、リザの背を追走する。
ふと、遠くに気配を感じたレイスは走りながら顔を背後に向けた。
何か大きな物体がトンネルの闇に蠢いている。
チラチラと入口側の光が見えたり見えなかったするのは、その蠢く巨大な何かが群れでそこにいるという事だ。
「い、いったい……」
AK-12の銃口をライトと共に向け、すぐさまレイスは後悔した。
どこから現れたかわからない。しかしそこには両手をピッタリと身体に付け、気を付けをしたような姿勢で猛然とこちらめがけて走ってくる―――異常に頭部が肥大化した人間がいた。
一匹や二匹なんて可愛い話じゃない。単線とはいえ車輌のサイズ以上はしっかりと取っているトンネルの横幅いっぱいまで、その人型の異形がひしめき合いながら向かってきている。
「うおぁあぁあああッ!!!??」
腰が抜けるような思いでレイスは踵返して走り出した。
「なんだあれ! なんだあれッ! なんだあれッ!!!」
「早くッ!! 急げ!!」
先を行くリザのブレイクエッジから援護射撃が放たれたが、数匹倒した所で足止めにもなっていなかった。
巨大な頭の異形、これがあの落書きの『巨頭オ』なのかとレイスは早鐘を打つ心臓を押さえながら必死に足を前に動かした。線路の枕木に引っ掛かって転べば一巻の終わりの中、なんとかスピードを落とさずに駆け抜ける。
「くそ! レイス! 思ったより速いぞアイツら!」
「聞きたくなかったなぁ、そのセリフッ!! だったら迎え撃って全滅させよう!」
「無理だ! とてもじゃないけど火力が足りない! この距離じゃ倒し切る前にあの大群にひき潰されるぞ!」
「あ゛ぁ゛あ゛あッ! ガッテム!! とにかく走れってことかよ!」
ゲームの中とわかっていても、怪物に追いかけられる気分は最悪だ。
スタミナが切れて倒れる、というシステムは流石にないが、それでも全力疾走すれば身体が重くなる感覚はある。同時に、走るスピードも徐々に落ちていくので、いつまでも走り続ける事は出来ない。
対して巨頭オ達はあの見た目で速度を落とすことなく疾走してくる。
見る間に距離が縮まっていくのを背中越しに感じながら、レイスの口から悲鳴が漏れた。
「ヤバイ! ヤバイ! ヤバイ! 逃げ切れないぞ!!」
「あと少しだレイス!! トンネルの外まで出ればまだ望みはあるぜ!」
「それでも望みの範囲か! くっそぉッ!!」
トンネルの出口が目の前に迫ったタイミングで、前方にふらりと人影が現れた。
「ッ!!」
「回り込まれたか!?」
足を止める事無く身構えた時、その人影もまた何かを構える仕草を見せた。
「避けてくださ~い」
この状況にまったくそぐわない、のんびりとした警告が告げられた瞬間、その構えている物がなんなのかリザとレイスは気が付いた。
「跳べッ!!」
リザの一言に反応したレイスはヘッドスライディングの要領で、前方に身を躍らせた。
同時に“バシュウッ!!”という空気を切り裂く音が二人の間を通り抜け―――。
着弾した弾頭が、巨頭オ達を吹き飛ばす大爆発を起こした。
火炎がトンネル内を明るく照らし、今しがたその攻撃を放った人物を映し出す。
黒のゆったりとしたローブにベールを纏った頭巾を身に着けた女性だ。
全体的な印象で言えば、修道服を着たシスターといった装いだが、肩掛けにグレネード弾が入った弾帯を下げ、機能性を重視したグローブや各種ポーチを腰回りに装着し、スカート部分は動きやすいよう大きくスリットが入っている。これだけ武装したシスターをシスターと呼んでいいのかレイスにはちょっとわからなかった。
アバターはウェーブが掛かった銀髪に、柔らかい雰囲気を抱かせる糸目。口元にはさながら自愛に満ちた天使ような微笑を浮かべていた。恐らくは大学生、あるいはまだ若い年齢の年上のお姉さんと言ったところだろうか。端的に感想を述べると癒し系の美人さんだ。
そんな彼女は爆風を見てほっこりとしたような表情をしながら、片手の中折れ式グレネードランチャーの弾をゆっくりと入れ替える。
あれは映画でもよく見る【M79 グレネードランチャー】だ。シンプルな鉄の銃身に木で出来た銃底を取り付けた大型散弾銃のような外観をしている。装弾数は一発で、撃ってはその銃身に装填を繰り返す単発式だ。グレネード弾の口径は40mm。対人榴弾から発煙弾、フレシェット弾、暴徒鎮圧用のゴム弾まで様々な弾頭を発射可能としている。
カポンッと小気味いい音を立てて装填を終えた彼女は、片手でM79を構えて再びトリガーを引いた。
バシュウッ!!と一瞬の軌跡を空間に映した瞬間、またも接近を仕掛けようとしていた巨頭オの集団を爆風が薙ぎ払った。二度目の爆発と炎にリザもレイスも思わず顔を覆う。
「おっけ~です。 あ、残りも倒しますね~」
振り返ってリザとレイスにそう告げたシスターは、M79を背中に戻すと肩に掛けていた中型の銃を手に持ち、歩みを進める。
カスタマイズと装飾がされ過ぎていて元が何の銃なのかよくわからないが、とりあえず見た目は鏡のような銀色一色。斜めのグリップが銃身から下がっていて、しっかりとホールド出来る構造になっている。銃底は展開式のようだが今は上に折りたたまれており、シスターは腰だめに銃を構えていた。弾倉はその銃の一番の特徴とも言えるドラム型の弾倉が装着されていて、かなりの弾数を持っていると予想できた。
ここまで観察してようやく、レイスはこれが“ショットガン”だとわかった。
恐らく大元は【ストライカー12】という、12ゲージ弾をトリガーを引くだけで連続発射できるセミオートショットガンだ。通常ならばドラム型の弾装は銃に固定されており、そこに一発づつ込めていく方式のはずなのだが、シスターの銀のショットガンは完全に弾倉ごと交換できるように改造されているように見える。
ライトとレーザーサイトも銃身に取り付けてあり、近代的な装備とレトロ感ある外観が綺麗にマッチしていて男の子にはたまらないスタイルだ。
それをシスターが持つと、まるで聖銀で鍛造された魔を払う武器のようにも見える。
「ほいや~」
間の抜けた掛け声とは裏腹に、かなりの近距離まで巨頭オに近づいたシスターは、慌てることなく強力な散弾を一発一発しっかりと脳天に叩き込んでいく。ドンッ!ドンッ!ドンドンッ!と胸を打つような銃声がトンネルに響き渡り、あっという間に残党もシスターの手によって掃討された。
「すっげぇ……」
「ああ、すげぇな……」
彼女の手による一瞬の大攻勢によってリザとレイスは救われたものの、感謝よりも先に驚愕の感情が出ていた。
そんな二人に若干の返り血を浴びたシスターは、ニコリと笑うのだった。