予選2
ギャラリーの間を抜けて試合場へ。
「来ましたわ!」
「これで二人とも……」
「本当にやるおつもりですのね」
掻きわけたギャラリーから声が聞こえるが、そのいずれも声援ではなく、驚きとひそひそと囁き合う類のものだ。
いくつか聞こえてきた侮辱的な発言は聞き流す。大方シャーロットの取り巻きかなにかだろう。
――いいだろう。お前らがその気ならしっかり見せてやる。
「随分とご注目頂いておりますのねぇ」
一段高くなった試合場に登り、わざとらしく振り向いてそう投げかける。
取り巻と思われる連中が冷ややかな笑みを浮かべたのが見える。
――そうしていろ。それで、お前らの大将にしっかり報告してくれ。
「揃いましたね。では両者中央へ」
審判を務める体育教師の号令で足を進める。
試合場は一辺が10m程の正方形で、それぞれの頂点に複雑な模様を刻まれたコーナーポストのようなものが立っている以外にはロープやフェンス等の囲いは存在しない。
床は板張り程ではないとはいえ硬く、ここに投げ落とされればただでは済まないという事は、足の裏の感覚だけで容易に想像できる。
そしてその硬い床材に描かれた複雑な魔法陣。魔術に関してはそれなりの知識があったハンナ嬢の記憶が教えてくれる。この試合の要となるのはこれだ。
武闘大会の試合場にはかなり上級の魔術が施されていて、試合中は常にこの魔術が発動しており、いかなる負傷――或いは死亡でさえも――試合終了後は開始前のコンディションに戻すことができる。これにより、お互いに本気で技を出しあえるという訳だ。
謎の模様を持つコーナーポストもまたその魔術のために用意された、言わば魔術の増幅装置に他ならない。試合の開始と共に魔術が発動し、終了と共に中での出来事=死傷を全てチャラにしてくれる仕組みだ。
――現代世界にあったらかなり便利な代物だっただろうが、無い物ねだりをしても始まらない。
市井に魔術学校が存在するようなこの世界ですら珍しい代物なのだ。この世界で実際に使用するのでも貴重な経験だろう。
そんな試合場の上、その本気で潰しあう相手は、私よりワンテンポ遅れて同じく中央に向かってきた。
ミーア・リリー・カルドゥッチ・ラ・アスルセルヴァ。白い道着に黒の袴姿の彼女がしずしずと進み出る。
(袴?合気道かなにかか?)
その出で立ちから遣う技を推測する。これまで顔を合わせる機会が無かったため、彼女の実力は全くの未知数だ。
恐らく、その背後にいるワンテンポ遅れた理由が練習相手や場所を用意していたのだろう。
理由=向こう側のセコンドで彼女に何かを耳元で囁いていたシャーロット。
その囁きを聞いた瞬間の彼女が、何かに怯えるようにびくりとしたように見えたのは、多分私の見間違いではない。
――あれに戦わされている。どんな理由か知らないが、恐らく。
「では、ルールを説明します」
だが、今はその事を考えている場合ではない。正対した彼女と同時に審判の方に目を向ける。
「試合時間は無制限。お互いの衣服以外の凶器の使用、目突き、噛みつき以外の全ての攻撃を有効とします。スリップダウンはとらず、タップ、失神或いは3ダウンでKO、ダウンから一秒以内に攻撃側が追撃の意思を示さない場合はカウントが開始され、テンカウントでもKOとなります。また場外に出た場合及び反則行為があった場合も負けとなります。よろしいですね?」
「「はい」」
同時に返事。
それを受けた審判が小さく頷く。
「では、両者開始線へ」
互いに一礼して下がる。
開始線は中央からそれぞれ2mほどの距離があり、そこで係によるボディチェックを受ける。
(合気ねぇ……)
相手の技を推測し、ボディチェックの間に戦略を練る。
といっても時間無制限で判定は存在しない為、ラウンドごとの戦略など存在しない。戦略というよりも方針だろうか。
相手は恐らく合気の使い手だ。
これまで戦ったことのない相手ではあるが、合気というものの性質上その戦い方は恐らくカウンター狙いだろう。
となれば、こちらから手を出していくのには工夫がいる。
(まずはフェイントを混ぜて様子を見るか……)
カウンター狙いにくる相手に正直に攻撃を入れるのはあまり賢いやり方ではない。
だが、経験上カウンター狙いにはフェイントをいれるのはかなり有効な手だ。
当然であるが、カウンターは相手の攻撃に合わせて動くという前提がある。言わば相手の動きに即応する必要が出てくる訳だ。
そしてそうなれば当然、こちらの僅かな動きにも過敏なまでに反応するだろう。
それが隙となる。その過敏さがフェイントの判別を鈍らせ、自ら体勢を崩すきっかけになりやすい――少なくとも自分でカウンターを狙うとそうなりがちだ。
ボディチェックが終わり、係が試合場から離れる。いよいよだ。
審判の合図と鳴り響くゴング。同時に構え、半歩前に歩を進める――と、その瞬間相手が突っ込んできた。
「はあぁぁっ!」
「ッ!?」
予想外の展開。
カウンター狙いなどというイメージからかけ離れた猛チャージ。
滑るように滑らかに間合いを詰めると、踏み込みつつ鳩尾を狙って右のパンチを繰り出してくる。
――だが、遅い。ボクシングのストレートとも空手の突きとも異なるそれは、打撃に慣れた人間からすれば容易に回避できる代物だ。
推測:焦りからの攻め急ぎ。
なら、この好機を逃す手はない。
当身を左手で受け流しつつ、お返しと右フックを叩き込む。
狙いは相手の顎。確実に揺らしておく。
体格の差からリーチはこちらの方がある。多少詰まっているが確実に当たる。
――その確信のあった一撃が、相手の左手に遮られた時、私は全てを理解した。
「なっ!?」
奴の左手が私の拳を包み、それを理解した瞬間手首に違和感が走る。あと少し反応が遅れていれば、そのまま極められていただろう。
一瞬のうちに体が浮き上がる。半分以上自分で跳んでいるのだが、それとて自分の意思ではない。
――跳ばされたのだ。そうしなければ折られると直感したから。
「おおおっ!!」
ギャラリーが声を上げ、私の身体が宙を舞う。
硬い床が鈍い音を立て、体に衝撃を伝える。
開始数秒で私は投げ飛ばされていた。
綺麗に、完璧に。
それこそ、合気道の演武のように。
「ぐっ……」
引手として掴んでいたのかと思われた奴の左手が手首に食い込む。
「このっ!」
咄嗟にそれを振り払おうと手首を動かし、相手の手を掴んで力を拮抗させる。
その拮抗によりほんの一瞬生じた膠着を利用して立ち上がり、思い切り振り払って距離を取る。体格で勝っているのを最大限利用した力任せの脱出。
「……おやりになるわね」
距離を取って正対し呟く。
流石に構えを取った相手に容易に飛び込んでは来ない。今の攻防で何があったのか、こちらが気付いている事は分かっているのだろう。
そう、今の攻防は理解している。
私の完敗だ。
最初の突入も、そこからの当身も、全て私に手を出させるために打った布石。
チャンスを待つのではなく、自分から攻めて相手がたまらずに動く瞬間を狙う攻撃的カウンター。
前世の記憶がよみがえる。
キック時代、カウンターの上手い先輩がいた。その先輩から聞いたカウンターのコツ。
曰く、カウンターは自分で相手を動かすのがコツである。
当時は良く分からなかったが、今になってその意味がようやく分かった。
奴はまさに今それをやったのだ。先手を取って動くことで私を焦らせ、反撃せざるを得ない=攻撃せざるを得ない状況を作り出した。自分の予想通りの場所に、予想通りのタイミングで、予想通りの攻撃が来るように。
後はそれを処理すればいいだけの話。その結果が今の見事な投げだ。
(つづく)
今日はここまで。
続きは明日に。