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決勝8

 昼ごろから降りだした雨はいつの間にか止んでいた。

 「……」

 いつもと違う部屋。

 いつもと違う窓。

 そこから見えるのも、当然いつもと違う景色。


 あのお茶会から十余日、私は学園から馬車で半日の距離にある旧王都サワムールの旅館にいた。


 「明日か……」

 既に灯りを消した室内から、窓の外を見る。

 遷都から百年以上経過しているこの街は、規模こそ小さくないものの全体的に静かな場所だ。

 そしてそれは夜になっても変わらない。


 さるお大尽の大邸宅を改装したこの旅館の最上階の二部屋を用意され、そのうちの片方が今私のいる部屋だが、その窓から一望できる街並みは、そう言われなければ学園の周りの野原と区別がつかない程に静まり返っていて、ぽつぽつと見えるこの街では数少ない終夜営業の食堂と、辻々に設置された街灯の光だけが所々浮かび上がっている。

 その暗い街並みの向こうに見える山の上にある古い寺院で、夜の祈祷の為のかがり火が闇の中に浮かび上がっているのが、この街の夜の姿だった。


 朝になればあの寺院の向こうには王室のサワムール離宮が、そしてそことこの旅館とのちょうど中間ぐらいの距離には町の東側に広がっている湖を背負うように建てられたサワムール大闘技場が、湖を光らせる朝日によって浮かび上がってくるだろう。


 そこが、明日の私の目的地。

 私と会長との決勝の場だ。


 「それでは、御健闘をお祈りします!」

 早朝の出来事を思い出す。

 学園の仕立てた馬車が二台。前の馬車に会長が、後ろの馬車に私が、それぞれ乗って学園を発った。

 出発の前、ミーアがそう言って私とマルタを送り出してくれた。


 「明日、必ず応援に参ります」

 「ありがとう。それでは、行って参ります」

 それだけ交わして馬車の扉を閉めた。

 選手にそれぞれ与えらえる招待枠の一つは彼女に渡してある。

 本当なら一緒に行きたいところだったのだが、彼女には生憎と外せないテストが待っているようなので、今日はここでお別れだ。

 そんな状況で毎日練習に付き合ってくれたのだから、まったく彼女には頭が下がる。


 蒼天石を渡した時と同じか、それ以上の喜びを見せた彼女の顔が、その時脳裏をよぎった。

 勝たねばならない。ミーアに勝つところを見せてやりたい。


 想いを新たに後ろに流れ始めたミーアに手を振るが、彼女の姿はすぐに暑苦しいまでに集まっていた風見鶏共や会長の取り巻き集団に飲み込まれて見えなくなってしまった。

 「あら?」

 そしてその集団の中で、周囲と同様にこちらに手を振っているカレンとユーリアを見つけて、そちらに手を振り返したが、二人に見えていたかは分からない。


 因みに、他の招待枠は実家に割り当てた。

 決勝に進んだ旨を手紙で伝えたところ、それまでとは別人のような対応をされて驚いたものだ。

 今までのそっけない手紙とはまるで違う、熱のこもったというか興奮しているのが伝わってくるというかなそれには、今日ほど我が娘を誇りに思ったことはないという文言が繰り返し登場し、出場を決めた時からきっとお前ならやると思っていたという全く初耳の言葉も何度も登場していた――現金なものだ。


 もっとも、苦笑いと一緒に捨ててしまうには惜しい情報も書かれていた。

 私の縁談――と言う名の詐欺は何とか白紙になったらしい。レティシアとポール、そしてまだ子供ながらアリスが色々と腐心してくれたようだったが、詳しい話は省略。


 とにかく、今の私はただ御前試合にのみ集中するようにと結ばれていた。

 (必死だなぁ……まったく)

 当初の目的通りとは言え、ここまで露骨だと苦笑いを堪えられない。


 そんなこんなで、私達はこうして会場の近くに前入りした。

 御前試合は明日の昼。ミーアたちは恐らく今日の放課後に発ち、サワムール近くの宿場町で宿を取って、明日の朝にこちらに向かうのだろう。


 「さて、寝るか……」

 今日一日を思い返し終えると、カーテンを閉めてベッドへ。

 枕が変わってもすぐ眠れるのは私の特技だ。


 「いよいよ明日だ」

 とは言え、流石に今日もすぐという訳にはいかなかった。

 いよいよ明日――自分のその言葉に嫌でも意識してしまう。

 そう言えば、行きの馬車の中でマルタが例によって私以上に緊張していたが、今は彼女の事を笑えない。

 (いかんな、寝よう寝よう……)

 大きくて柔らかな枕に頭をうずめて目を閉じる。


 そうして意識して眠りについたからか、妙な夢を見た。


 「はっ、はっ……」

 私は走っていた。現役時代に毎日ロードワークをしていたコースを。

 走って、走って、走り続けて。夢の中ゆえかそれでも全く息は乱れない。

 「よし、いよいよだぞ!」

 途中でジムの会長の声がする。

 その声に気付くと、そこはリングのすぐ下だった。

 今でも覚えている。プロデビュー戦のリングだ。

 隣で会長がなにかアドバイスをしてくれているのもあの時と同じ。だが、今は何を言っているのか聞き取れない。

 それでも夢の中の私はそれを理解しているようで、「はい、はい」と全てに返事をしながらリングに登る。


 「――よっしゃ行け!ヒーローになって来い!」

 その台詞で目を覚ました。

 「……夢か」

 思わず漏れる声。

 空は既に明るくなっている。


 伸びを一つしてベッドから起き上がり、カーテンを開ける。

 朝日に照らされた街並み。

 昨夜は見えなかった闘技場が、朝日にきらきら光る池に包まれている。


 それから軽い朝食を済ませ、すぐに支度に入る。

 闘技場に入るまで、いや、控室に入るまでは制服だ。

 「おはようございます。ハンナ様、昨晩はよくお休みになられましたか」

 別室に泊まっていたマルタが身支度のために入ってくる。

 「おはようマルタ。よく眠れたわ」

 そう。よく眠れた。

 あんな夢を見たのにも拘らず、目覚めはすっきりしていた。


 そのすっきりした気持ちを維持したまま、昨日と同じ馬車で出発する。

 既に動き出している朝の街並みを抜けて闘技場へ。

 国王のみならずロイヤルファミリーが集うという事もあり、厳重な警備を通過する。

 最後のチェックを終えて闘技場内へ入ると、既に係が待ち受けていて、恭しく私に頭を下げた。

 「ミス・ハンナ・ハインリッヒ。控室へご案内いたします」


 係に連れられて観客席の下に設けられた通路を奥へと進んでいく。

 ここの構造は日本武道館のそれに似ており、試合場は地下に掘り下げられている。

 「試合開始まで、こちらをお使いください」

 通された控室はその試合場まで一直線に進める場所にある、かなり広い部屋だった。


 「貴重品等ございましたら、私どもで責任を持ってお預かりいたします」

 「承知いたしました。では、よろしくお願いいたします」

 これならまず安心だろう。

 何しろここで言う私ども=王宮なのだから。


 「いよいよですね……」

 マルタが漏らす。

 緊張しすぎて感情が無くなってしまっているのかのような声。

 「……ねぇ、マルタ」

 「は、はい!」

 「お願い……と言っても難しいのでしょうけど、貴女が緊張なさらないで」

 かくいう私自身これまでで一番緊張しているのだから。


 そんな訳で、いつにもましてそわそわと落ち着かず、ぎこちない感覚のままで支度を始めた。

 (まずいな……)

 当然ながらあまりいい傾向ではない。

 緊張していると自分でわかってはいるが、それを解決する効果的な方法が思いつかない。


 そんな己に焦りを感じ始めた頃、不意に扉の向こうで先程の係の声がした。


 「失礼いたします」

 「はい。どうぞ」

 扉を開けたマルタ。

 その背中越しに係が一礼するのが見える。

 そしてその理由も、すぐ私の目に飛び込んできた。


 「おはようございます。お姉様!」

 「ミーア!来てくださったのね!」

 鞄一つをもった制服姿のミーア。私を見るなり相好を崩した。

 喜んで室内に迎え入れる。

 彼女の胸には、招待者であることを示すリボンが、勲章の様に誇らしげにこちらに向いている。


 「随分早くいらしたのね」

 「ええ。少しでも、お姉様のお助けになればと」

 「ありがとう。でも……」

 思いついたことはあるのだが、流石にこのままでは出来ないだろう。


 「どうぞご遠慮なさらずに仰ってください」

 「いえ、よろしいのよ。少しウォームアップをしたいと思っただけです。ですけど……」

 準備をしてこなかった――そう言いかけた私に、ミーアは心得顔で鞄を開く。

 「勿論、お相手させて頂きます!」

 その得意げな言葉と共に、彼女の愛用の道着が顔を出した。

(つづく)

今日はここまで

続きは明日に。


明日には試合開始できる予定です

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