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決勝7

 会長のお茶会に呼ばれた翌日の放課後、私は自室の机に置かれた封筒と睨みあっていた。

 おかしなものだ。いかなる責めでも甘んじて受けると、そう手紙を送ったのは私ではないか。

 あの時確かに私は思った。いや、そうであるべきだとさえ考えた。

 そしてその知らせが来た時には、何も躊躇いなくそれを受け入れると、今にして思えば何の根拠があったのか分からないが、確かにそう信じていた。


 武門の娘として、騎士の娘として、これまで精一杯それを貫いてきた。

 その模範に背いてはならない。求められる姿から逃げてはならない。

 どんな屈辱を受けようが、どんな理不尽に晒されようが、決して見苦しい姿を見せることなく騎士の家の者として恥ずかしくない振る舞いが出来る――その自信と自負とが、ここまで私を支えてきたのだった。


 なのに、怖いのだ。


 時間が開いてしまったから?

 敵だと思っていた相手に情けをかけられてしまったから?

 その相手を許せはしないものの、彼女の父親とは別人格であると一瞬でも思ってしまったから?


 理由は分からない。

 だが、私は臆病になっていた。

 この手紙を開くのが怖い。

 どのような罰を受けるのか、どのような形で責任を取らされるのか。


 ――頭のどこかで声がする。まさか自分の娘に死など言い渡さないと。

 だが同時に声がする。家名の恥を(そそ)ぐためには、それもまた選択肢に入り得るのが騎士の世界だ、とも。

 そしてその二つの声を、それら以外の全ての部分が叱りつける。今更になって逃げ腰になるとは何事か、御託を並べて手を止めるとは何事か、と。


 「……」

 心臓が部屋の外まで響くのではないかと思う程に大きな音を立てる。

 試合中のそれとは明らかに違う、ただ重苦しく痛々しい感覚を伴ったそれが手紙を開封しようとする手を留めている。

 見たくない。開けたくない。知りたくない。

 叫び出してこれを放りだす事が出来たら、そのままどこかへ消えてしまう事が出来たら、どれほど幸せだろうか。

 誰も知らない土地に行って、誰にも知られずに孤独に生きる事が出来たら――そんな妄想が湧き上がってくる。


 「逃げるな!」

 誰もいない部屋に、震えた叫びが響く。

 中毒患者が苦痛から逃れるために薬を探し回るように、その妄想の中に沈んでいこうとしている自分に気付いて発した喝。それでも身体は動かない。


 それから体感的にはずいぶん経ってから、私は深く深呼吸して封蝋を切った。

 覚悟が決まった訳ではなかった。

 ただ、この期に及んで恥の上塗りをする事への罪悪感が、逃げ出したいという思いを上回っただけだ。


 「……ッ!」

 子供の頃から刻み込まれている叱られる恐怖。

 普段は物静かでも、怒った時の父は怖かった。

 故に罪悪感は恐怖だった。


 その恐怖が手を動かし、腕を失った父の代筆をしている母の字を追わせる。

 だが、そこに書いてあったのは、いつもの父の代筆ではなく、母個人としての手紙だった。




 拝啓

 我が娘ユーリアへ

 学園での暮らしはどうですか?試合の結果、とても残念に思います。本当はいつものように父上の代筆になる予定でしたが、どうしても父上が恥ずかしいと言うので(口先では認めていませんが)、今回は私からお手紙差し上げます。


 まず、父上はお前が何か勘違いしていると仰っております。

 騎士たる者、常に忠節を重んじよとは教えてきたが、それは決していかなる場合でもただ忍辱(にんにく)を貫けという意味ではない。

 成程それは確かに立派な心がけではあるし、そうせざるを得ない事もあろう。だが騎士とは太鼓持ちではなく、己がどうしても貫かんとする思いがある時には、かつて先祖たちがそうしてきたように他の全てを捨ててそれに向き合わねばならない。

 そしてその上で武運つたなく敗れる事あろうとも、それは決して恥ではなく、討ち取られれば誉れ高き死であり、引き下がったとしてもまた立ち上がれば屈辱に感じることはない。

 それが父の教えである、と。


 故に、もし今回の負けを恥じ、責めを受けねばならないと思っているのであれば、お前の受けるべき罰は再戦である。次に二度と負けぬように修練を積むことである。との事でした。


 そして次に、父上はお前を誇りに思うと仰っておりました。この事に関しては私も同意見です。

 お前は昔から、言いつけは良く守る子でした。

 私や父上がこうせよと言えば、それを破る様なことはありませんでした。

 そのお前が、忠節を重んじるよう肝に銘じたお前が、自分の意思で今回の武闘大会に挑むことを決めたのには、何か決意があったのでしょう。

 その決定を下したこと、そしてそれに言い訳をせぬこと、潔く敗れた事を認めたこと、全て私達の子育てが間違っていなかった事の証明となりました。

 (そして少しうぬぼれますが、私はお前がカシアス女学園に入学したことを私の手柄に思います)


 だからどうか、自分を責めるような真似をしないように。学園には高貴な生まれの方も多いでしょう。そうした方々と自分を比べて卑屈にならぬように。

 お前が今回した事は、例えお前が望んだ結果ではなかったとしても、私達にとってこれほど誇らしい事はありません。

 敬具


 追伸

 今度のお休みには帰ってこられるのでしょうから、その時にはお前の決意を父上に聞かせて差し上げなさい。きっと認めて頂けるでしょう。

 それでは、これから日に日に寒くなりますから、どうか体には気を付けて。

 お前の学園生活が実り多きものであることを祈っています。




 文字が所々滲む。

 それから視界が。

 鼻が詰まる。目の奥が熱っぽい。

 私は、なんて馬鹿なのだろう。


 不意に扉がノックされた。

 慌てて鼻をすすり、努めて平静を装って答える。

 「はい……ッ」

 涙を拭ってから扉の前にかけた鏡で顔を確かめる――いつも通りとはいかないが、返事をしてしまった以上仕方がない。


 「ユーリアさん。いらっしゃいますか?」

 聞き覚えのある声。

 彼女が尋ねてくるのは、ハンナ・ハインリッヒが――まだ内心で敬称を付けるのには少し抵抗がある――慰めてくれたあの日、私の部屋で一緒に泣いた時以来だった。


 「カレンさん?」

 だが今日の彼女は違う。

 あの時、虚勢を張って笑顔を作り、あの人の慰めで一時忘れられた悲しみが蘇って、それが限界に達して泣き出してしまった時とは違う、いつもの屈託のない彼女だった。

 「ユーリアさん、今よろしくて?」

 「ええ。構いませんよ」

 互いにようやく慣れてきた学園の=貴族の言葉づかい。

 それを交わしてから、彼女の肩に担がれた、折り畳まれ帯で縛られた道着が目に入った。


 「また、一手お付き合いくださいますか?」

 ――そうだ。

 私も、もっと自分の事を誇りに思っていいのかもしれない。

 「ええ!勿論です」

 全力でぶつかりあえる友達を得たのだから。

(つづく)


今日はここまで

続きは明日に。

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