決勝2
まったく驚いた。
午前の最後の授業が終わり、教室を後にした私は、その足でトイレに向かった。
(もうすっかり慣れたな……)
女学園と名前にある通り校内は女の園。当然トイレも必然的に女子トイレだ。
一応男子トイレも教職員用にあるにはあるが、生徒が使う訳にはいかないし、そもそも入る理由がない。
――この体で出来るのかは試したことが無いので分からない。
こちらに来てからというもの、最初は抵抗のあった女子トイレも、今や当たり前に使えるようになっている。
その女子トイレの入り口に差し掛かったところで、丁度集団が扉を開けて出てくるのに鉢合わせた。
「ごきげんよう。ミス・ハインリッヒ」
「あら、ごきげんよう皆さん」
最近増えた取り巻き=風見鶏共の一団だ。
挨拶を交わすと足早に離れていく彼女達を見送ってから改めてトイレへ。
「ん……?」
妙な気配がした。
この古いトイレは他より壁が厚いのか、扉を閉めてしまうと外の音はほとんど聞こえず、しんと静まり返っていて、その上日当たりの問題で微妙に薄暗い。
成程、女子トイレが怪談の舞台になるのも頷けると思うような雰囲気だ。
――そしてその雰囲気に相応しい、すすり泣くような声が一番奥の個室から聞こえてくる。
「ッ!?」
思わず心臓が跳ねあがる。
(いやいや、それはない。あり得ない。そんな非科学的な……)
そう理性――と、そうであって欲しいという願望――は主張するが、同時にそもそも今の私の状態が非科学的であること、魔術が当たり前に存在する世界に非科学も糞もないという事実がそれを否定する。
あり得なくはない。この世界では。
そのすすり泣きのする方をよく見る。扉は閉じられているものの、足首の辺りまでは隙間になっている、日本でもよく見る形だ。
その扉の下から流れ出た水が、僅かに差し込む日光を受けて光っている。
「ッ!!」
こういうのを数え役満というのだろうか。
すすり泣く声+何故か濡れている=状況証拠としては十分。
あまりの事態に声を出せず固まっていると、不意にその問題の扉がキィと音を立ててゆっくりと開いていく。
「……ッ」
声を出せず、ただ目の前の超常現象に釘付けになっている私の前に現れたのは、二年生の制服を着た、頭からずぶ濡れの生徒だった。
「……カレン?さん?」
「ッ!!」
その見覚えのある相手の名前が喉からこぼれると、ここに自分以外がいる事を知らなかったのだろう当の本人の方が軽く飛び上るほどに驚いて私を見つめてきた。
「あ……や……」
どう見てもまだ死んではいない。
この世に未練があるから出てきたという様子ではない。
――直感的に、これからそうならないとは限らない状況だという事はなんとなく分かった。
「大丈夫……?」
絞り出した声は我ながら何とも感情の籠っていないような響きだった。
だが、彼女のそれは正反対だ。
「う……あ……あ……」
まるで小さな子供。
何かを伝えようとする部分と、それを言葉にする部分と、それを躊躇う部分とがそれぞれに主張して自分の中で纏まりがつかなくなっているのだろう。
「あの……落ち着いて?」
そしてその様子と幽霊が枯れ尾花だと分かった事が、私に落ち着きを取り戻させてくれた。
「と、とりあえずこっちにいらして?風邪をひいてしまいますし、何よりここには人が来ますわ。ね?」
思い出したお嬢様言葉で諭してみるが、俯いてしまったまま動く様子はない。
「ね?大丈夫。大丈夫ですから……」
諭しながら恐る恐る近づいて肩を抱く。
落ち着け、今の私は女だ――自分にそう言い聞かせて。
幸い私に対してはそこまで強い警戒感を抱いていなかったようで、何も言わず俯いたままではあるが一緒に着いてきてくれた。
トイレを出て――尿意はいつの間にか引っ込んでいた――本来の階段とは反対側、鍵のかかっていない外付けの非常階段に出て、そこを一番下まで降りていく。流石にこの異様な有様の彼女を誰かに見られるのは憚られる。
体育館の裏側にほど近い場所に降りた私は、とりあえず適当な茂みに彼女を座らせた。
「何か拭くものを持って参ります。そのままじっとしていて!よろしいわね!」
一人で置いておくのが不安だったが、だからと言って手元にあるハンカチ一枚で拭き取れるような濡れ方ではない。
駆け足で自室に戻ると、掃除中だったマルタの方へすっ飛んでいく。
「マルタ、一番大きいタオルはあるかしら?」
「はい?お洗濯でしたら既に終えて取り込んでございますが……」
そう言いながら正方形に畳まれた白いタオルを持ってきてくれたのをひったくるように掴んで踵を返す。
「ちょっと借りますわ!」
「あ、は、はい……?」
扉を弾き飛ばすように開け――そこで再度ターン。
同時に頭の中に自分の私服リストを思い浮かべる。
「ガウン出して頂けるかしら?」
それから少しして、私はタオルとガウンを抱えてさっきの場所へ走っていた。
幸い多くの生徒は食堂に入っているためか、誰にも会わずに済んだ。
走りながら考える。
誰が彼女に水を浴びせたのか。
状況から考えてあいつらしかいない。だが、何故?
「……」
なんとなく立てられた仮設が一つ。単純すぎるような気もするが、連中の動機としてはそれで十分な気もする。
「お待たせしました。拭くものもって来ましたわ。すぐに着替えも――」
とは言え、今は犯人探しをしている場合ではない。
頭を切り替え最後のコーナーを曲がり、先程の藪へ。
そう言いながら曲がった先に、これまた見覚えのある人物が立っていた。
「!?」
私の声に気付いてその人物も振り返る。
既にカレンを見つけていたのだろうその人物は、反射的に彼女を背中に隠すようにして私に体を向けていた――警戒されている。
「ミス・ハインリッヒ……」
その人物=ユーリアはじっと私を見つめる。その目線には確かに疑いの念が込められていた。
「違うの……、違うのですユーリアさん……」
か細く響いた背中からの声にはっと気づいたように振り返るユーリア。
「その方は……私をここまで……」
その一言で誤解は解けたようだった。
「とりあえず、これで体をお拭きになって。それと部屋に戻るまではこちらを」
そう言ってタオルとガウンを差し出す。
濡れそぼった彼女は、昨日の試合とは別人のように弱々しかった。
「一体何が……ッ!」
そう漏らしたユーリアの顔が一瞬歪んだのは見逃さなかった。同時にその視線が脇腹に行ったのも。
多分だが、彼女はカレンが何をされたのか十分理解しているだろう。そして、恐らく彼女もそれと同類のことをされてきたのだろう。
「……」
カレンが体を拭き、ガウンに着替える間、私は――誰か来ないように見張るという口実でそこから目を逸らしながら――二人の身に起きたことを考えていた。
「あの……、ハインリッヒ様……」
不意にカレンの声に呼ばれて思考を中断する。
ガウン姿の彼女がタオルと濡れた制服をを抱えていた。
「本当にありがとうございました。お蔭で助かりました」
「いえ、お気になさらないで」
――それはただの気まぐれだったのかもしれない。
或いは私がどうにかできるという思い上がりだったのかもしれない。
もしかしたら、ミーアの一件が頭にあったのかもしれない。
「どうかしら?二人とも。午後の授業に出られそう?」
問いかけに二人は一瞬目を合わせ、それから力なく頷く――無理をしている。そう思えたのはまさに心の内が読めたのか、或いはそうであって欲しいという願望だったのか。
「……ねえ、もしよかったら、一緒にちょっとサボってくださらないかしら?」
(つづく)
きょうはここまで
続きは明日に。