決勝1
拝啓
親愛なる父上
お変わりございませんでしょうか。今日このようなお手紙を差し上げなければならない事をとても悲しく思います。
先日お伝えいたしました武闘大会の三回戦において、私はハインリッヒ公爵のご息女と対戦し、力及ばず敗退いたしました。
これはひとえに私の未熟さ故であり、父祖の代より続く武門の名に泥を塗る様な結果を招いた事、弁明の次第もございません。
此度の不名誉、全ては私の責任にございます。かくなる上はいかなる責も甘んじて受ける所存にございます。
敬具
「……」
本当はもっと色々と書いた方がいいのだろう。
だが、こんなものをしたためるのは初めてで、その上とてもではないがものを考えられる状態ではない。
折りたたんだその紙を封筒に納め、宛名をしたためて封をする。
「……」
封蝋を取り出した机の引き出し。その一段上、鍵のかかる一番上の引き出しに手を伸ばし、その鍵を差し込む。
取り出したのは一振りのナイフ。
鍔元に家門の彫られた研ぎ澄まされた両刃のそれは、ここの寮に入る前日に父から譲り受けたものだ。
冷たい光を放つその刃にそっと顔を映してみる。
小さな刃。だが、喉を一突きすればこれでも死ねるだろう――もし、そうせよという返事が来た場合はこれを使おう。
「……」
意を決して席を立ち、部屋から出る。
そっと手を伸ばした、数日以内に貫くかもしれない首をそっと撫でる。
今日の放課後行われた試合、私はハンナ・ハインリッヒと戦い、そして敗れた。
そこに言い訳はない。
彼女はルールに則って正々堂々と戦った。私も同じくルールに則り正々堂々と戦った。
そして敗れたのだ。そこに何ら文句はない。
だが、文句が無いのと悔いが無いのは別だ。
私は今日、勝たなければならなかった。絶対に勝たなければならなかったのだ。彼女にだけは絶対に。
それはつまりこういう事だ:絶対に負けてはいけない相手に負けた。
重い足を引きずるようにして投函する。
夜の寮は静かで、その静けさが今は苦しい――恐らく騒がしくとも同じ気持ちだっただろうが。
「はぁ……」
無意識のうちにため息が漏れる。
父が必ず勝てと言っていた訳ではない。
誇りを奪い返すというのは私がそう考えているだけで、この学園に入学した時も、出場を決めた時も、ハンナ・ハインリッヒと当たると伝えた時も、父は何も言わなかった。
ただ、私は父の教えをしっかりと覚えている。騎士たるものは如何な者かというその教えをしっかりと。
騎士たるもの、常に身分長幼を弁え、忠節を第一とすべし――それが父の教えにして我が家の家訓だった。
例え相手が誰であろうと、そこに例外はない。
そして騎士は尊い身分の方々に対して忠節を欠いてはならない。
その考えが、言わば私の独断での出場である今回の一件をどう裁くのかは私にも分からない。
もっとも、武闘大会は学園の行事であり、その事については父も何も言わなかったし、出場に関して止められることもなかった。
だが、考えるべきはそれが正しいか否かではない。
「……」
灯りを消して布団に潜り込む。
明日以降、覚悟を決めなければならない。挑んだことの代償を、負けた事の代償を。
翌日の昼休み。それが最初の覚悟を試される時となった。
「アンベールさん!」
「あら、ごきげんよう」
食堂から戻る途中で後輩たちに呼び止められる。
「昨日はお疲れ様でした」
「試合、残念でしたね」
口々にそう言って労ってくれる。
多分、嘘ではないのだろう――そう願いたい。
「……ありがとう。折角応援してくれたのに、ごめんなさい」
「いいえ、そんな!私達は――」
そこで言葉が止まる。
その理由は、私の背後をちらりと見た視線ですぐに察した。
目配せする――もう帰りなさい。巻き込まれないうちに。私は大丈夫だから。
この子達はどちらも私と同じ下級騎士の家だ。
「ごきげんようユーリア・アンベール」
「……ごきげんよう」
後輩たちが戸惑いながらも下がっていったところで声をかけてきた者達=貴族のご令嬢の先輩に目を付けられればひとたまりもない。
――そんなものは私一人で十分だ。
「ちょっとよろしいかしら?」
「はい。どういったご用でしょうか?」
振り返った先には三人。一人は試合で勝った相手だった。
「いたたた……」
一人だけ残された体育館脇の倉庫。
先輩たちの教育的指導から解放された私は、まだ痛む脇腹を抑えながら、周りに誰もいない事を確かめて外に出た。
「貴族様が……随分直接的に……うぅっ」
笑おうとして、鈍い痛みが走る。
恐らく折れてはいないだろうが、流石に火かき棒で殴られるのは効く。
まったく露骨。試合に負けた=選手ではなくなった途端にこれだ。
「ねえ貴女、騎士の家のお生まれなのでしょう?」
ここに閉じ込められるなりそう聞かれた。仮に貴族なら絶対にこんな事出来ないのは分かりきっているくせに。
「当然それならば、他人の名誉を傷つけるような真似をすることはあってはなりませんよねぇ?」
取り巻きがそうねちっこくのたまうのに試合で当たった子爵令嬢が続けた。
「貴女、私を覚えていらして?貴女のお蔭で随分と恥ずかしい思いをいたしましたわ」
恥ずかしい思い?
まあそうだろう。こいつらにとっては。
貴族は騎士に優越する。やんごとなき立場の自分達は、常に騎士や平民に劣ることなどあってはならない。
故に、例えルールに則った試合であろうと、それらに敗れる事は恥なのだ。優等種である自分たちが劣った騎士の血筋などに後れを取るなどとは。
それでも選手である間は手を出せない。
だが、敗退が決定した以上はただの騎士の子に過ぎない。
ならどうする?
する事は決まっている。
「くっ……う……」
顔を狙わなかったのは発覚を恐れてだろうか。
貴族とそれ以外。いくらでもしらを切れるだろうが、それでも何か都合があったのだろう。或いはそれが、彼女達なりの慈しみなのかもしれないが。
「……ぐ」
痛む腹を抑えながら外へ出ると、体育館を回って寮に戻るべく歩を進める。
もし知り合いに会った時に余計な心配をさせてはいけない。無理にでも普通を装い、痛む腹から手を放す。
「……あら?」
そんな道すがら、ふと隅の藪に気配を感じて目をやると誰かが蹲っていた。
――見覚えがある。見覚えがあるどころか、ほぼ毎日のように見ているその姿を、見紛うはずもない。
「カレン……さん?」
彼女はこちらに背を向けていた。
頭からびっしょり濡れて、周りの地面は彼女から滴った水を吸って色が変わっているほどだった。
「お待たせしました。拭くものもって来ましたわ。すぐに着替えも――」
背後からの声に振り向く。
大きなタオルを持ったハンナ・ハインリッヒその人が、丁度私の後ろからやってきた所だった。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に。