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三回戦25

 ああ、痛い。

 無理もないということは分かっている。上手く入ったとはいえ、脱臼していた骨を素人判断で無理矢理入れたのだから。

 取りあえず支障なく動くだけでも上出来だ。

 それにこの痛みは入れた瞬間のそれだ。動作自体に伴った痛みはない。


 「ふぅ……」

 大きく息を吐き、仕切り直しを自分に言い聞かせて再度構える。

 ――もし、相手がカレンさんだったら、或いは会長や他の誰かだったら、私はきっとタップしていただろう。


 だが、そうじゃない。

 目の前にいるのは、私の腕を外したのはハンナ・ハインリッヒだ。

 あのハインリッヒ家のご令嬢。あのハインリッヒ公爵の――あの憎むべき男の娘。


 戦争があった。私が12歳の頃だ。

 歴史の授業では、恐らく戦争と扱われることはないだろう。

 事実、今日まで「ミルマン島動乱」とか「ミルマン事変」及び関連事件と一緒くたに「サリルマート・ホール事件」の名で呼ばれている。


 恐らく分類上でもそうなのだろう。だが、実態は紛うことなき戦争だ。それも、同じ王国軍同士での。


 王国西端の島ミルマン島。この地に演習を理由に展開していた近衛第二騎士団と、それに呼応した王国軍の一部が武装蜂起、島の管理を任されていたアンリム伯爵とその家族ら20名以上を人質に取り、現地のサリルマート公会堂に本陣を敷いての反乱事件。


 その動機は第二次名誉戦争の傷痍年金及び遺族年金の規模縮小への反発だった。

 ――無理もない。宮廷の貴族共は、自分達だけは贅沢にふけりながら、その為の予算を騎士や兵士たちから搾り取ろうと考えたのだ。それも、自分たちの代わりに血を流し、家族を失った者達から、だ。


 そうした反乱軍の鎮圧を行ったのは、宮廷の要請と国王勅令によって出動した同じ王国軍だった。

 そして私の父は、その鎮圧軍に従軍していた。


 平凡な下級騎士。歴史ある騎士団には入れず、近隣諸国に先駆けて設置された常設軍において格闘教官を務める事で私達を養っていた父は、教え子たちと共に前線に送られ、そこで右腕と、自らの従兄弟と、敵となったかつての友人たちを失った。


 帰還後、父は一言も泣き言を言わなかった。

 誰も恨まず、誰も憎まず、その痛々しい姿に思わず泣き出してしまった幼い私の頭を、残った左腕――こちらも指が二本しかなくなっていた――でそっと撫でただけだ。


 それから数日後、鎮圧完了の報告と、鎮圧部隊の労いの為に宮廷に召集され、国王の計らいによって家族の参加も許されたあの日。

 座る事すら困難な者も少なくなかった傷痍兵たちが集められ、平伏したそれらを前にして貴族連中が示した態度を、私は一生忘れないだろう。


 父は何を失った?

 柔術の達人だった父。私や兄に手ほどきをしてくれた父。その腕でもって私達を養ってくれた父。

 腕と一緒にその技は失われてしまった。

 それでも父は何も言わなかった。「武勲の証、騎士の誉れだ」と言って笑って見せた。

 従兄弟も、友人も失った。本人は決して何も言わなかったが、例え啜り泣きでも静かな夜にはよく響くのだ。


 それで?得たものはなんだったか?

 どさくさに紛れて縮小された傷痍年金と、ローゼンタール公爵と王家の資産でもって設立されたという傷痍軍人基金――つまり、なんとか一家で暮らしていけるぎりぎりの収入と、貴族共の汚いものを見るような目。


 ただそれだけだ。

 父も母も、何も言わなかった。

 父が気付いていない訳がない。あの時、自分と触れた後にそっとその手を裾で拭ったハインリッヒ公爵の姿を。一瞬だけ見せた軽蔑の表情を。命がけで戦い、多くを失ってまで忠誠をつくした人間に対するその仕打ちを。


 それから数年間、母は私を母校であるカシアス女学園に入れようとしていた。

 「騎士の子女であるなら、お父様に負けないぐらい立派な婦女になるのですよ」

 ただそうとだけ言っていた。

 その為にはこの学園が一番なのだと。


 その甲斐あって私は今ここにいる。

 そして今日まで、私は騎士の子女かくあるべしと叩き込まれた通りに振る舞ってきた。

 それは私の中での善悪を判断する中枢になっているし、そのお蔭で慕ってくれる者も、良き友も現れた。

 ――だが、私のしたい事は、するべきことは母のそれとは異なるかもしれない。


 入学が決まったときから私は決意していた。

 この学園で、この武術大会で優勝すると。

 舐められ、蔑まれた騎士の誇りを見せつけるのだ。

 戦場での誇りを、騎士の騎士たるところを取り戻すのだ。


 学園に来て二年、改めて痛感する貴族共の堕落と、その性根の腐敗。表向きは平等を謳う学園内で歴然と存在する明確な差別。それもただの生徒間のいじめに収まらず、教師陣までそれを黙認する有様だ。


 この体たらくを知っても、騎士は不平を漏らさず黙々とこの国に尽くしてきた。

 何もかも失ってまで尽くし、それを感謝すらされない。そんな状況に甘んじる訳にはいかない。

 金はない。権力もない。その上で名誉まで失えば、あまりに惨めじゃないか。


 だから勝つ。

 こいつに勝つ。こいつらに勝つ。

 勝たなければならない。

 誇りを取り戻すのだ。もっとも名誉ある武闘大会で、もっとも良き戦士は騎士であると証明する事で。


 私達は騎士であるという誇りを取り戻す。使い捨ての兵器でも、貴族共の走狗でもなく、かつて戦場を駆け、自らの力を持って道を切り拓いた者の末裔であると。例えその末席でも、その自負に恥じぬよう努めてきたのだと。


 貴様らのような腐り肥えた豚どもとは違うのだと。


 その為なら、腕の一本などくれてやる。




※   ※   ※




 「……」

 背中が震えるほどの殺気。

 台風のように吹き付けてくるそれを真正面から受けながら、しっかりと奴を見据える。

 スタンダードな柔術の構え方。その中心からじっとこちらを見ている目は、一瞬でも視線を逸らせばそこで一巻の終わりを予感させる程の殺気の発生源だ。


 「ふぅ……」

 奴が静かに深呼吸する。

 「ッ!」

 そしてその終わりと同時に、二人の間の距離が消滅した。

 (なんて速さ……ッ!)

 足を引き、腰を落として正面からタックルを受け止める――だが。


 「おぉっ!?」

 多少の前傾など全く意味がない。

 トラックにはねられるような衝撃と共に足が床から浮かび上がり世界が後ろから前へと急速に移動する。先程までとは桁違いの威力だ。


 「ぐうっ!」

 1m近く吹き飛ばされた上にあっけなく寝かされた私の腹を、獲物を仕留めんとする肉食獣のように奴が登ってくる。

 「くっ!!」

 だが、私とて素人ではない。

 両足で奴の胴体を挟み込み、マウントを拒む。


 「……」

 奴の前進が一度停まる。

 ここから転がって反対にマウントを取りに行くか、或いは――そこで中断。

 「シッ!」

 足がこじ開けられるのとマウントの第一撃が振り下ろされるのはほぼ同時だった。

 奴の右腕が一瞬で私の足首を掴み、奴の行動を食いとめていたそれを易々とこじ開けて、真上に移動してきての一撃。


 「シャッ!」

 「うぐっ!!」

 鳩尾に向かって一発。

 息が詰まる間にもミシンで縫うようにパンチが顔面まで一列に駆けあがってくる。

 「ぐっ!くぅっ!!」

 何とか顔面はガードするが、次々に打ち込まれるパンチの精度と威力は腕を外す前と何ら変わらない。


 「ぶっ……こ、この」

 先程より一層血の熱を感じながらも、反撃には中々移れずにいる。

 「こっ……の!」

 「ッ!」

 隙間を正確に打ち抜く拳を額で受け、ぐわんと重く響くダメージを対価に攻撃を弾き返す――だが、止まらない。

 「シャアアアッ!!」

 「ぐぶっ!」

 例えグローブ越しでも今の一撃では衝撃ぐらいは伝わっているだろうに、それでも全く攻撃の手が緩まることはない。


 (何か無いか……?何か……)

 反撃の糸口は?

 奴に隙は?

 瞼が切れ血によって塞がれた右目を諦め、まだ辛うじて見えている左目で相手の動きを見ながら考える。

 ――不意に、振り下ろされる拳が掌に変わったのに気が付いた。


 「あっ!!」

 そしてその掌が、触れていた私の右腕を強引に掴んだのも。

(つづく)

今日はここまで

続きは明日に。

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