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三回戦24

 「あっ――」

 奴が勘づく。

 なら、逃げられる前に極める。


 「しゃあああっ!」

 右肩から一気に起き上がる。

 目が全快状態でなくとも掴んでいる以上何がどこにあるのかは文字通り手に取るように分かる。

 「くっ!」

 逃げようとする奴の腕を抑え、そこに起き上がった右腕を絡ませていく。

 再びのアームロック。

 今度は逃さない。

 多少力づくではあったが、逃げようとする相手にしっかりと絡ませて固定する。


 「ぐぅううっ!!」

 抵抗を試みようとするが、こちらも必死で締め上げている。そう簡単に放してやる訳にはいかない。

 「ぅぅううああああ!!」

 「おおおおあああああ!」

 同時の絶叫。引き離そうとする声とそれを固定しようとする声。


 最早技ではない、意地のぶつかり合い。


 「ああああっ!!」

 「ぐぅぅうう!」

 だが、意地を張るにもそれなりの準備がいる。

 そして今回は、先に仕掛けた私の方がやや有利だったようだ。


 「ぐっ!うっ、ううぁぁっ!!」

 張り合いの最中、妙に腕がしっくりと収まるポイントを触覚で捉え、そこに流れ込むように腕を動かしていく。

 その度に奴が声を上げるが、それが意地の咆哮から悲痛のそれへ変わりつつある事に気付いたのはほぼ直感だった。


 極まった。完全に極まっている。


 「ぐぅぅぅあああああああっっ!!」

 まぐれか、或いは奇跡か。

 どちらでもいい。私は今、相手の関節を極めている。


 「ああっ、ぐっ、ぐうううっ!」

 奴の声は最早完全に痛みに堪えるものへと変わっていた。

 身をよじり、動かぬ腕を動かそうと必死に抗うが、それでも私はしっかりと動かない。


 ――或いはこれは、この感覚の時だったからこそなのかもしれない。

 もしいつも通りだったら、私はきっと振り払われて、それどころか反対に極められていただろう。

 そう思えるほどに激しい抵抗を、今は何とか抑え込んでいる。


 「……タップなさって」

 すぐ横で発せられているその悲痛な声に思わずそう勧めてからはっとする。かつて同じように関節を極められた時、奇しくも同じようにその時の相手=ミーアから掛けられた言葉がそれだった。

 そして、それへの回答もまた、その時の私と同じものだった。

 「……お戯れを」

 言葉は違えど、意味は同じ。

 一層激しくもがくのもまた。


 「そうですか……」

 だが、過去をなぞるのはここまでだ。

 私は勝つ。勝たねばならない。

 ――そしてなにより勝ちたい。

 不思議な程に、自分の中にその気持ちが溢れてくる。

 (なら、悪いね)

 私はミーアのように優しくはなれない。

 「……なら、仕方ありませんね」

 最大限に絞める。


 「このまま折ります」


 力を籠め、アームロックを強める。

 奴の声と力も一層強くなりそして――。

 「がうっ!?」

 ぼごっという湿った音を立てて、その力が一気に抜けた。


 「がっ、っっぁぁぁあああああああああ!!」

 アームロックを解く。

 もうこれ以上は必要ないだろう。


 「……審判」

 絶叫を上げる奴をどかして立ち上がり、同時に目で促しながら呼ぶ。

 終わった。

 「素晴らしいファイトでした」

 素直な感想だった。

 奴の右腕は肘のところで不自然に曲がっていた。

 一礼してから審判の指示に従い開始線に戻る。

 最後まで奴はタップしなかった。あの腕は、その凄まじい激痛にも耐え続けた彼女の意地そのものだ。


 だが、それも終わった。

 恐らく折れた訳ではない。脱臼だ。あの叫びから分かるようにかなり痛いだろうが、恐らく骨そのものに異常はない筈だ。

 開始線に戻る途中で、ミーアとマルタが私に視線を注いでいたのに気付く。二人とも驚きや不安をごちゃまぜにしたような表情を浮かべていた。

 彼女達だけではない。ギャラリーの多くがそれぞれの驚きや恐怖や不安や興奮といった感情を表している。

 いかに格闘技が盛んなお国柄とは言え、流石に目の前で人間の骨格が破壊される瞬間を見るのは慣れていない者が多いのだろう。

 ――かくいう私もそうなのだが、試合中の興奮がそれより遥かに上回っている。


 なんにせよ、これで終わりだ。

 私はついに決勝に駒を進めたのだ。


 「……まだ」

 「えっ?」

 ――終わった筈だった。

 振り向いたのは声に呼び止められたからではない。

 本能的な部分が感じたのだ。凄まじい殺気と恐怖を。


 「まだ……まだ……」

 奴は立っていた。

 だらりと下がった右腕を左腕で押さえながらも、じっとこちらを睨みつけている。


 「い、いや……しかし……」

 「やれます……」

 困惑する審判にそう言い放つ。

 「だ、だが腕が――」

 腕が脱臼しているだろう――審判が言おうとしただろうその言葉は、奴の絶叫が未然にかき消した。

 「ああああああっっ!!」

 跪き、右腕を垂直に床に付ける――まさか。


 「「やめなさ――」」

 私と審判が同時に叫びかける。

 彼女が何をするのか直感したが故のそれは、実際に目の前に現れたその直感の、あまりに異常な光景に途切れてしまった。

 がくっ、いや、ぐぎ?とにかくそんな音が離れている私の耳にも聞こえた。


 「うぐぅぅぅぅぅっ!!」

 そして獣のような咆哮がそれに続く。

 彼女は17歳。骨格はほとんど完成している。その体で、脱臼した腕を無理矢理また入れたのだ。痛くない筈がない。


 「……化け物」

 それが私の口から出た言葉なのか、或いはギャラリーから出たものなのかは、恐らく永遠に分からないだろう。

 だが、確かに今この瞬間の彼女はそう呼ぶに相応しかった。


 「はぁ、はぁ、はぁ……、ふっ……ふふっ」

 その化け物は笑っている。

 まるで機械の動作チェックでもするかのように、繋ぎ直した右腕を回転させ、振って、グーとパーを何度か繰り返す。

 普通、例え自分の身体でも素人が脱臼した骨を入れるのは推奨されない。下手すればそれによって骨や神経を損傷してしまい、却って傷つける可能性があるからだ。

 それに何より想像を絶する痛みを伴う。子供の頃腕が外れても大した痛みもなくすぐに直せたという人も世の中にはいるが、それはあくまで骨格が完成していない子供の頃の話だ。


 それでも奴はやったのだ。躊躇せずに。


 「お待たせいたしました……」

 そう言って構え直す。

 腕の動作に支障が出ている様子はない。

 そして奴自身の闘志が衰えている様子も、またない。

 いや闘志に関してはむしろ先程までよりむき出しに、より強く感じるほどだ。

 ――これを化け物と呼ばずになんと呼ぶ。


 「……審判」

 私はぼそりと呼びかける。

 「続けさせてください」

 もし、ギャラリーに聞こえていたら、私も彼女と同じ評価を下されていただろう。


 「やりましょう。ミス・アンベール」

 目の前にいるのは化け物だ。

 柔術の、そして勝利への執念の化け物。

 そして私は彼女ときっと同じだ。


 「ふっ、ふふふっ」

 ――その化け物が、その化け物との試合が、こんなにも楽しいのだから。

(つづく)

今日はここまで

続きは明日に。

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