三回戦21
「……ッ!」
再度構えて奴が突っ込んでくる。
先程までと同様に打撃のような構えで一気に自分の間合いまで突入する。
最早左右に振る事もなく、ただほんのコンマ何秒でも速く私を打とうとしているかのように一直線。
――まだやる気か。
一瞬そう思った原因の一つがその動きだった。
「ッ!?」
身構えた直後に奴が消えた。
その視覚情報が脳に送られて、それを正しく解釈するまでのほんの一瞬のうちに事態は動く。
下腹部に衝撃。足が宙に浮き、体が一瞬重力から切り離される。
まさにいまパンチを放とうという絶好の間合い。そこは同時にこちらが反応できないような高速タックルの間合いでもあったという事を思い知らされる。
「ぐぅっ!」
吹き飛ばされるように仰向けに倒れた。太腿を押さえていた奴がそのまま覆いかぶさってくる。
あのごく短距離でほんの一瞬のうちにタックルに移行し、更にその勢いは全く衰えないどころか、先程放ってきたそれよりも明らかに速くなっている。とんでもない足腰だ。
「くっ……」
だが感心している場合ではない。
奴の右腕が私の首の右側に突っ込んできて、そのまま襟を掴んだ。
(やばいっ!)
咄嗟に奴の腕の下に自分の腕を滑り込ませる。
私と奴の間にスラッシュを入れるようなその腕の形には見覚えが――というより食らい覚えがあった。
十字絞めだ。このままもう片方の腕が加わればそのまま落とされる――現代でそうされたように。
「……っのお!」
「なっ!?」
今回のルールなら問題ない脱出法=襟を掴んだ相手の指を力ずくで折りにいく。
綺麗に外す必要はないし、柔術のエキスパート相手にそんな事は出来ない。
結果が一緒で、かつダメージを与えられる。その上力さえあれば簡単だ。
「あああっ!!」
絡めた指が真っ白になる程に力を入れる直前に奴が強引に腕を引いて逃れた。同時に私も逃れる――といってもマウントを取られている事に変わりはないが。
だがここからの動き方は私にも分かっている。
「シャアッ!」
「くっ!!」
逃げようとする奴の右腕を左手で掴んで引き留め、同時に下腹部に力を込めてブリッジ。右斜めに奴を転がしていく。
だがここは奴の土俵だ。そう簡単には崩されまいと粘って、ロデオを乗りこなすように私の上を維持し続けている。
「なら……っ」
ブリッジ中止。すとんと腰を落とし、その上下動が波打つようなイメージで右肩を上げる――奴の右肩めがけて。
「!!」
作用と反作用と言うのだろうか。右肩を上げる勢いで床に向かって力を出した左手が奴の右腕を短い時間だが床に触れさせ、鍾乳石のように上から垂直の形をとった。
その腕に、私の右腕を巻きつけていく=アームロック。最初にジムで習った情報をガイメタルが補強した私の数少ない寝技。
シンプルな技だが、故に咄嗟に出す事が出来る。
「ちぃっ!」
もっとも、あくまで出す事が出来るというだけで、しっかり極める事が出来るというのにはまだまだ時間がかかる。現に奴は途中で感づいてぬるりと抜け出した。
だが、それでもいい。
マウントからの脱出には成功したのだから。
「「ッ!!」」
互いにそれぞれの動きで勢いをつけ、それを最大限に活かして立ち上がる。
「シャァッ!!」
「うぶっ!」
この競争に僅差で上回れたのが、攻撃の速さに直結した。
そしてこうした咄嗟の状況での交錯は、先手が圧倒的に優位にたつ。
事実、私の右フックは奴の防御を追い越してその頬に再びめり込み、口の中から一筋の血を吐き出させている。
「シャッ!」
更に左で追い打ち。距離が開いたところで再びの右。ゆっくりと膝から崩れ落ちそうになっている所にストレートを叩き込む。
「……ッ!!」
その瞬間、奴は蘇生した。
いや、死んだふりだったのかもしれない。
ただ重力に任せて折れるだけだった膝が自らの意思で曲がり、叩き込んだ拳が空を切ったのと同時に相手の掌に包まれる。
グーを包むパー。じゃんけんの勝敗を表すようにぐんと引き込まれていく右腕。
直感:飛びつき腕十字。
「ちぃぃっ!!」
間一髪で腕を振り払い、その勢いのまま間合いを取る。
まったく油断ならない。やはり勢いづいて攻めたてるのには危険な相手だ。
「「……」」
再度距離を取り、無言でにらみ合う。
私は構えを取り直し、奴は口元に出来た一筋の血の小川を手の甲でこすって血の帯に変えた。
背中が冷たい。
例えこちらが押している時でも、こいつは油断ならない。
僅かな隙を見せれば、いや、隙どころか好機と見て攻めたてたとしても、一瞬でも奴に動く時間を与えればそれで寝技に持ち込んでくる。
やたらと大きく重い固唾が、ゆっくりと喉を押し広げて落ちていく。
打撃勝負に持ち込めれば勝てる――つい先程まで抱いていた楽観論はそのあまりに短い寿命をすでに終えていた。
※ ※ ※
鉄の味が広がる口を乱暴にこすりながら相手と目を合わせる。
正直な感想:想像以上だ。
彼女の格闘技はかなりのレベルだ。貴族のお遊びとは訳が違う。
ここまで何度も寝技に持ち込もうとした。
一度はマウントを取り、そのまま十字絞めに持ち込む直前までいった。
だが、その度に躱される。
それは或いは幸運――彼女にとっては――の賜物であるのかもしれない。だが事実は、結果は、次の一つだけだ。私は自分の得意とするはずの寝技に持ち込みながら、彼女を仕留める事が出来なかった。
勿論あれが私の100%の本気ではない。最初のうち彼女がそうしていたように、私も彼女の実力を測っていたのもまた事実だ。
それでもだ。それでも自分の得意とするはずの分野で戦い、それで仕留められないというのはつまりその分野で負けたに等しい。
(……なら、やりましょう)
だがそのお蔭で大体の動きは分かった。
――なら、もう次の段階に移るべきだろう。
「ふぅ……」
鉄臭い息を軽く吐く。
まさか、会長とカレンさん以外にこの姿を見せる時が来ようとは。
寝技を掛け合う柔術では勝てない。
なら別の柔術いや、本気の私の柔術を使う事になる。
騎士の家柄として、武門として師である父から培われたそれを、全て吐き出すのに足りる相手だ。
「さて……」
体の痛みはもうさして気にならない。
他の生徒用の、つまり貴族を相手にする用の柔術はここまで。
彼女も貴族だが、これを使わなければ勝てないぐらいには強い。
「かああぁぁぁぁっ!!」
息吹と共に改めて目の前の相手に意識を集中する。
ここから先が私の本来の柔術。ここから先はなんでもありだ。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に