三回戦20
一気に間合いが詰まる。
僅かに下がって迎え撃つ選択。そう、迎え撃つだ。受け流したりいなしたりではない。
(どういう事だ……?)
「シィッ!」
飛び込んできた奴の選択はジャブだった。投げでもタックルでもない、ごく普通の、馬鹿正直なまでのジャブ。
「ッ」
僅かに上体だけスウェーして躱すと、更にもう一発、僅かに前進しながら同じ軌道でのジャブ。直前の動きをリピート再生したようなその動きを同様に躱し、入れ替わりに顔面めがけて飛んできた――そして二発目のジャブの時点で読めていた――右ストレートを、その外側に出るようにダッキング。同時に右のカウンターを放つ。
(そらお返し!)
狙うは奴の右頬。
空を切った右を引き戻すつもりだろうが、防御には間に合うまい。
――そう、右は防御には間に合わなかった。右は。
「ぐっ!!」
拳が正確に奴の頬を触れる――触れただけだ。殴れてはいない。
「なっ!?」
左手が正確に肘をパリングしている。
拳が触れる直前、頬に僅かに触れるその直前に、伸びきろうとしている右腕の肘を外側から押し込むようにして払い、その終点で右腕が捕まる。
と、同時に奴が消えた。
「しまっ――」
瞬間移動のような速さで視界の下限を越え、背中を私に密着させながら右腕を私の腰へ回してくる。
それが何を意味しているのか、理解した瞬間に背中が床に叩きつけられた。
「がはっ!!」
大腰。柔道なら一本負け。
だが今はこれでは終わらない。落とされた衝撃がまだ体から抜けきる前に、引手が私の右腕を一直線になるように引きあげ、同時にその下に滑り込んでくる。
(やばいっ!!)
生前のバイトがこんなところで役に立つとは思わなかった。
ガイメタルを一夜漬けで見たのは無駄ではなかった。
お蔭で奴の動きが腕ひしぎ十字のそれであることに気づけたのだから。そしてその脱出法もまた学んでいたのだから。
「くぅっ!」
腕を引っ張りこまれ、それとすれ違うようにこちらを押さえに来る二本の足。
そのうち首に回ってくる方を、完全にかかる前に左手で先回りして受け止め、その足を枕にするように下に入れる。
「しゃあっ!!」
その隙を逃がす手はない。
一瞬緩んだ拘束を相手の足の上を転がるようにして抜けると、回転動作で拘束が緩んだか、俯せになった所で右腕の負荷が不意に軽くなり、反射的に一気に引き抜く事が出来た。
「ふっ!!」
「……っと」
まだ逃がす気はないと、更に追いすがってくる奴を起き上がる勢いを使って突放す。
掴んでまた寝かさんと両肩に伸びた手を外側から体の中心に向かって落とす。以前ミーアに習った脱出法だった。
そしてその動作によって一瞬奴の腕が下に落ちる――私の体勢はほぼ直立が完了する直前。
「シャッ!」
殆ど反射的に右を放った。
会場からどよめきが起こる。
今度こそ正確に捉えた奴の頬は、確かな手応えを残して後ろに吹き飛んだ。
――よし、いける。打撃ならいける。
構えを戻しながら距離を取る。
追撃はしない――打たれて下がりながらもたたらを踏まず、足を継いだ時にはしっかりと構えを取っていたのは奴を褒めるべきだろう。
「……」
再度のにらみ合い。
構えの範囲の中で僅かに右腕を動かしてみるが、幸い違和感はない。
(よし、いける)
今の攻防だけなら僅差で凌いだ。
寝技への入り方、入ってからのスピード。共に流石の一言だ。
もし何の知識もなければあのまま極められて終わりだっただろう。
だが、打撃勝負に徹すれば勝機はある。
打撃戦に持ち込んだのは私のカウンターを引き出すためにわざとやっていたのだろうが、それでも二度目に叩き込んだ時は完全に意識から無くなっていた。
打撃系の格闘技に慣れていると、あの間合いで両腕を一瞬でも下に落とすのは自殺行為だというのは分かる。或いは格闘技の経験がなくとも、直感的に危険を認識できる人もいるだろう。
体力的にはまだまったく消耗していないだろう奴が、その状況で一瞬とは言え打撃への反応が遅れた。
ラッキーヒットは存在しても、アンラッキーな無防備は存在しない。
打撃に対して無防備になるのは間違いなくその瞬間意識が途切れてしまっている証拠だ。
なら、勝てる。
打撃なら私に分がある。
「……」
再度フットワークを用いて左右に振りながら回り込むように動く。
(投げも寝技もあるが……掴ませなければ勝てる)
投げと寝技。それだけは警戒しなければならない。何しろ柔術家で、その上柔道家相手に投げの研究をしていたのだろう相手だ。下手に掴まれれば何をされるか分からない。
「……」
じりっ、と奴が僅かに下がる。
それを追うように更に近づいて、今度は奴の左に回るように斜め前へ。
距離は十分。奴がこちらに向き直る直前にそこまで入り込めた――なら攻撃開始だ。
「シャッ!」
ジャブ。奴を真似るようにこちらも二連発。
続いて右――は右でも右ローキックを太腿にお見舞いする。
「ぐっ!?」
一瞬奴の動きが止まる。潮時だ。
再度動き出す前に再び距離を取る。余計な事は考えず、欲をかかずに一気に間合いの外へ。
退きは脱兎の如し――ヒット&アウェイの鉄則はこれだ。下がることを迷えば捕まる。
「……ッ!」
功を奏し追撃のタイミングを逃した奴が再度構え直す――この次こそは、という事だろうか。
だが悪いな。この次も同じ形にさせてもらう。
「……」
再度左右に動きながら、今度は右へ回り込む。
奴の反応はさっきと変わらない。だが、流石にダメージはゼロではないのだろう。その動きにはどことなく過敏な物を感じる。
(まだ太腿が痛むか?)
若干サディスティックな推測が頭によぎり、それから再度同じ場所を叩くように見せかけて近づいていく。
「ッ!」
今回は奴が先に動いた。
こちらの接近を拒むようにジャブが飛んでくる。
が、遠い。牽制にしても遠すぎる。
「シィッ」
ジャブを浴びるように突っ込むと見せかけるフェイント。
すぐにその正体に気付いたようだが、体の反応までは隠せない。奴の右肩はピクリと僅かに動いていた。そして左もまた、顔を守ろうと僅かに上へ。
「シャッ!」
そこでワンテンポ遅らせてボディーへ。
顔を守ろうとしていた事で僅かにだが隙が出来た脇腹へ右フックを突き刺していく。
「ぐっ!」
間髪入れずに左でつき放して右の前蹴りで更に距離を取る。
だが、今回奴は諦めなかった。
「ハァッ!」
タックルだ。蹴り足を下ろすと同時に、床から跳ね返るようにして踏み込んだタックルが一気に迫ってくる。
遠い間合いからの速いタックル。だが今のペースはこちらにある。
「はっ……しっ」
突っ込んできた相手をいなして、勢いがなくなった所でこめかみに一発ショートフック。奴は頭を守るようにして跳び下がる。
打撃屋は寝技屋をタックルで崩そうと思うな。タックルを潰せれば十分だ――ガイメタルの教えはまた役立った。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に。