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エントリー4

 「試合のコスチューム……。ご用意出来たのが、古いこちらだけなのです……」

 恐る恐る差し出されたそれは、白い無地のTシャツに青いボクサートランクスというもの。

 多少くたびれてはいるものの、それほど震え上がる様な代物でもない。

 「良いではないですか」

 私のその言葉を、マルタは信じられないというような眼で見上げている。


 「何か問題なのかしら?」

 「あ、あの……、これしかないのです。新しいものを、それもより見栄えのするものをご用意しようと探し回ったのですが……」

 成程そういう事か。

 伝統ある武闘会に出るにはそれなりの格好を――ハンナ嬢なら言いそうなことだ。

 だが、今の私にとってはそんなことどうでもいい。むしろそれ=新しくも見栄えもしない、ごく普通の上下が出てきたことの方がありがたい。

 この世界にも現代と同じようなものが存在するというのは不思議だが、あるものは有難く使わせてもらおう。


 「構いませんわ。ちゃんと体にフィットすればそれで」

 それに対してマルタは改めて平伏する。

 ――正直、かなりやりづらい。


 小さく咳払いを一つ。

 「……ねえ、マルタ」

 「はっ、はい!」

 弾けるように飛び起きるマルタ。まだ青みは退いていない。

 「こんな事をお願いするのは余りにも虫がいいと思うのだけれど――」

 前置きはしておく。

 ハンナ嬢の、そしてそれを知っている“俺”の記憶と“私”の意思がそれを言わせずにいられない。


 「どうか、これまでの事を水に流してくださらないかしら」


 一瞬の沈黙。

 投げかけられた言葉の意味を理解し、その感想を顔に表すまでに随分と時間がかかっている。

 まあ無理もない。彼女からすれば、実は火は氷でできていると言われているような衝撃だろう。

 即ち信じられないのだ。


 「えっ、あ、あの……」

 「これまできっと私は貴女を傷つけてきたのでしょう。傍若無人に振る舞い、気まぐれで貴女や周囲を振り回し続けた。愚かだった私を、どうか許しては頂けないかしら?」

 とは言え私の正体を、即ちハンナ嬢ではなくその体を乗っ取っているだけであるという事を明かしてしまう訳にはいかない。

 「私、雷に打たれてようやく分かりました。これまで自分がどれほどひどい事をしてきたのか。きっとあれは罰だったのだと」

 だから適当な所で理由をつけておく。


 「本当に貴女には申し訳ない事しましたわ。……もし、まだ私に愛想を尽かさないでいてくださるのなら、これからもよろしくね」

 心の中では本当に詫びる――自分がやった訳ではないと思いながらも今後やりやすくするために形だけ謝る事に対して、だが。


 本物のハンナ嬢は死んだ。いや、肉体は生きているのだが、最早ここにいるのは彼女自身ではない。

 その事についてハンナ嬢への罪悪感が無い訳ではないが、それより遥かに強いのはここの人々を騙しているという事のそれだ。

 彼女らは私を――無理もないが――ハンナ嬢だと思っているのだ。そしてそれは、私自身がばらす時まで、或いはばらしてもこの奇妙で信じがたい事実を信じなければ決して変わらない認識だろう。


 ならば仕方がない。その中で私と彼女らが上手い事関係を築かなければならない。

 そしてその為には、少なくとも私がやりやすい形に持っていく必要があるし、そうする事は彼女らにとっても悪い話ではないだろう。


 そんな打算が生み出した謝罪が先程までと同様静まった室内に響く。


 「……」

 その謝罪をぽかんとした顔が出迎えてくれた。

 ――外したか?あまりにも突然すぎたか?

 「え、や……あ……」

 しどろもどろの音だけがマルタの口から漏れている。

 だがその顔からは青みが退いて、代わりに徐々にではあるが赤みが強くなってきている。


 「あ、あの、あの私……私は……」

 パクパクと口が動き、しかしそこから意味のある言葉はほとんど出てこず、代わりに小さく頭を楯に動かしたのだけが、辛うじて伝わる意思表示だった。

 ――そこまでの衝撃とは。

 いったいハンナ嬢はどれ程の事をしでかしてきたのか。

 やった側は忘れていてもやられた側はいつまでも覚えているなんて事は珍しくない。まさか記憶に残っている事が全てではあるまい。


 「ありがとう。これからもどうぞよろしくね。マルタ」

 「はっ、はいっ!!よ、よ、よろしくお願いいたします!!」

 体育会系の如く深々と一礼。

 まだまだ時間はかかりそうだが、とりあえず一歩目は踏み出せた――そう信じたい。


 因みに、その後実際に試着したトランクスとランニングは丁度いいサイズだった。

 「あら、良いじゃない。ぴったりですわ!」

 姿見の中で実際の着心地を確かめるハンナ嬢の姿が動いている。

 今回の大会は着衣が義務付けられている。由緒ある乙女の決闘であるため――というよりも実際に格闘というか白兵戦が発生しうる状況において、裸でいる事はまず滅多にないという理屈だろう――なんというか、お国柄的に。


 そして着込む物に関しては鎧など明らかに優位に立てるものを除けば特に明確な規定はない。

 故に理屈の上では制服や体操着でもいいのだが、流石にそれにOKを出すのは色々憚られるらしい。

 まあ、別にいい。正直ここの制服は動きやすい格好かと言われれば微妙だ。


 「よろしいでしょうか?」

 「ええ。いい感じよ」

 立ち直ったマルタが横に控えている。その手にはこれまで着ていた制服一式。

 「では、当日までお洗濯としわ伸ばしをしておきます。間もなくご入浴のお時間ですので、制服をお召くださいませ」

 「そ、そうね……」

 浴場は各寮にそれぞれあるが、基本的に寮の中というか自室以外では制服を着用する事となっている。

 つまり、風呂に入るためには制服を着なければならない。


 「試合着をお着替えお手伝いさせて致します」

 「いっ、いいえ!結構!これは自分で出来ますわ!」

 そしてこの世界のやんごとなき人々は、下着以外は着替えをメイドにやらせる事も珍しくない。

 着替えなどという些事に、貴族は一々その綺麗な手を煩わせる必要はないのだ。

 「ですが……」

 「着る時もそうしたでしょう!?これは簡単なものですし、正直下着みたいなものです!」

 流石にこの文化にはまだ馴染めない。“俺”の部分が邪魔をしている。


 「下着で試合に……?」

 「あっ、いや、そういう意味ではなく……。と、とにかく!試合中は何があるか分かりませんから、自分で支度が出来なければなりませんでしょう!?」

 上手い事誤魔化して着替えを自分の手に奪還する。

 「そういう事でしたら……」

 「え、ええ。そうよ。ですから、これに関しては私一人で十分ですの」

 実際は彼女に見られている前で裸になるのもまだ完全に慣れた訳ではないのだが、まあ仕方がない。特にこの格好で下を脱ぐのは。……もっとも、彼女にトランクスを脱がされるのよりは抵抗は――あくまで比較的にだが――少ないのだが。


 「では、制服の着付けをさせて頂きます」

 下着姿になりながらランニングとトランクスを彼女に預ける――落ち着け、慣れろ、平常心だ。

 「え、ええ。お願い……」

 マルタに背を向けブラウスに袖を通す。

 この体になって初めて、女性用の服のボタンが男性用のそれと逆についている理由が分かった。

 ついでに言うとこちらは直接肌に彼女の手が触れない分慣れるのに時間はかからなかった――密着した時になんとなく変な気分になるのは未だに続いているのだが。


 エントリーは今日の夜が締切り。そして明日の放課後に選手の発表が行われ、その一か月後には大会が始まる。もしこの寮の参加選手が五人以上ならその前に予選が行われる。

 流石にその時までにはこの状況にも慣れるだろう。多分、きっと。

(つづく)

今日はここまで

続きは明日に。

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