三回戦18
光が収まり、二人の姿が再び現れる。
会長はほとんど変わらないが、カレンは上半身を起こして、目の前の相手を見上げている――恐らく何があって、自分がどうなったのか理解するのに一拍おく必要があったのだろう。
倒れた時のままだった足を引き戻して正座をするように畳みながら立ち上がり、会長の差し出した握手に応じていた。
勝負あり。
決勝戦に駒を進めたのは――つまり、最終的に私が倒さなければならないのは、生徒会長ソニア・フランシス・ローゼンタール・ラ・シュタインフルスだ。
「しかし……よくもまあ……」
会場全体が一つになったかのような拍手の中で、私は率直な声を漏らす。
余程試合場の魔術を信頼しているのだろうか。だとしてもあれに一切躊躇なしとは、なかなかに凄いメンタルだ。
(いや、今はよそう。次は自分の番だ)
興味は尽きないが、無理矢理気持ちを切り替えようとする。この後すぐに自分の試合だ。集中を欠いて決勝を逃すなんて事はあってはならない。
といっても、中々に難しい。
不思議な程に彼女の行動について興味を欠きたてられている自分に気付く。
一体何故躊躇なく止めをさせたのか。どういう気持でそれをしたのか。
何故か分からないが、私は彼女の行動に、戦いに魅かれている。
人間的な好き嫌いではなく、ただ選手としての彼女に惹きつけられている。
(忘れろ。別の事を考えろ)
どうしても集中を欠きそうで、無理矢理別の事に意識を移す。
こういう時は無理にでも別の問題に意識を移す事にする。
「ねえ、ミーア」
「はい」
尋ねるのはもう一つの気になった事。
「さっきの踏みつけの前、会長がカレンさんを倒した時の、相手を横に向けるあの動き、何か仕組みをご存じではないかしら?」
あの時二人の間で一体何が起きたのか。
恐らくはあの払いにいったカレンの足に何かを仕掛けたのだろうが、それがなんなのかが分からない。
「あれは、恐らくですが……」
少し考えてからミーアが答えてくれた。
「恐らく、燕返しという技かと」
「燕返し?」
おうむ返しにそう返す。
佐々木小次郎のそれは有名だが、それ以外にも同名の技があるのだろうか。
自分も実物を見たのは初めてですが、と付け加えてからミーアは説明を続ける。
「元は柔道の技だそうです。自分の足を払いにきた相手の足を躱して、反対にその足を払う事で相手の体勢を崩して投げる技があると聞いたことが……。恐らく先程のはそれを使ったのだと思われます」
言葉で聞くだけで難しそうな代物だ。
それに何より使ったのは柔道家のカレンではなく会長だ。日本拳法に同じ技があるのかは知らないが、あったとしても、或いは独自に習得したり自ら編み出したかによらず、そうした技術に精通している柔道家相手にあそこまで綺麗にきめたのは並大抵の事ではあるまい。
そこで思考を打ち切る。後ろからの声がいいタイミングでそれを助けてくれた。
「ハンナ様!」
パタパタと駆け足でやってきたマルタが、頬を紅潮させていた。
「間に合った……。これから試合に臨まれるのですね」
「マルタ。ありがとう、来てくださったのね」
まさかそんなに急いできてくれるとは思わなかった。
そんな嬉しい驚きが漏れた声を上げると、息を弾ませながらにっこりと笑顔を返してくれる。
「ちょうど良かったわ。まさにこれから始まる所ですわよ」
我ながら他人事のような言い方だが、却ってその方が緊張もほぐれるだろう――私がではなく、何故か毎回緊張しているマルタが。
それから改めて試合場に目をやる。
私達の周囲できゃあきゃあと口々に黄色い歓声を上げるこちらに向かって会長が歩いてくる。別に何かある訳ではない。ただ試合場への出入りはこちら側になっているだけだ。
だがその姿を認め、そして丁度すれ違うだろうと分かった所で、一度は抑え込んだ興味がまた湧き出してきた――ええい仕方がない。
「おめでとうございます。ミス・ローゼンタール」
「ありがとうございます。ミス・ハインリッヒ」
高くなっている試合場から一段降りたところで出会い、下り優先で道を譲った時に声をかけた。
面識があるのは幸いだ。声をかけるのに抵抗が少ない。特に相手を祝うという第一声は。
どうしても頭を離れない疑問。試合に集中するために必要な処置はもうこれしか思いつかない。この瞬間だけインタビュアーになってみる。
「それにしても最後の一撃、よくあそこまで思い切りよくおやりになりましたわね」
言ってからはっとして自分の発言のフォローを考える。受け取り方によっては喧嘩を売っているようにも、非難しているようにも聞こえない事もない。やはりにわかインタビュアーでは駄目だったか。
「そうですね……」
だが、返ってきた反応にはその言い方に不快感を覚えた様子はなかった。
むしろその逆、楽しかった思い出を懐かしむような――それにしては最近だが――穏やかな表情で答えてくれた。
「彼女は強かった。とても」
嘘には思えない。
その言葉も態度も、間違いなく本音だという、ほぼ確信めいたものがあった。
そしてその答えは何故かすとんと納得のいくものだった。或いはそれは、生で先程の試合を見ていたから出る感想かも知れなかったが。
「成程、確かにそうでしたね」
彼女は決して、誰かを傷つけたり殺したりするのが好きなわけではない。
ただ相手が強かったから、勝つために必要だったから、あの技を選択しただけだ。
自分が関わるのは勝負のみ。相手が死ぬか生きるかは別問題――他人の理解を求めるのは難しいかもしれないし、理屈としては間違っているかもしれないが、その感覚はなんとなく理解できない事もない。
(改めて、恐ろしいがな)
それもまた事実だ。
彼女はそれが出来る。勝つために必要なら躊躇なく。
例え試合場の中では安全が保障されているとは言え、躊躇なく殺す技を出せる。
背中に冷たいものが走った。だが、ただ冷たさだけではなかったのは気のせいだろうか。それがなんだったのかは分からないが。
※ ※ ※
カレンが帰ってくる。
「お疲れ様でした」
遠目に勝者の背中を見ながら、私は戦い抜いた友人を出迎えた。
「ごめんなさい」
「えっ?」
「約束、破ってしまいました」
決勝で会いましょう――二人で交わした約束は、叶わぬものになってしまった。
確かにそれは残念だった。だが私にはそれよりももっといい結果が得られたように思える。
「気になさらないで」
だから、そう言って彼女と抱擁を交わしたのは、慰めとほんの少し祝福のしるしもあった。
腕の中、まだ熱いカレンの体温が、確かに動いている心臓の鼓動が体越しに伝わってくる。
私の顔の横で頬を触れているその顔は笑っているのだろうか、泣いているのだろうか。
「悔いはない?」
周りに聞こえないような声でそっと尋ねると、触れている頬が僅かに縦に動いた。
前に一度だけ聞いた彼女の過去。そして今回の大会に出場した目的。
出場の目的は果たされないが、それでもきっと今の試合は彼女の満足のいく結果だっただろう。
自分の力を気兼ねなく100%ぶつける。それが出来たのだ。
そしてそれに対して、会長=対戦相手はルールを盾にするのでも理屈をこねくり回すのではなく、実力でそれに応えてくれた。
この学園で、彼女が本気を出せる相手が私以外に存在したのだ。きっとそれはとても嬉しかったのだろう。
「……またやりたい」
「そっか、良かった」
同じように耳元で囁くように答えた彼女に、私はそう言って応じ、それから顔を見合ってお互いに笑った。
「頑張って」
「ありがとう。じゃ、行ってきます!」
私と場所を替えて送り出してくれるカレン。私がそうしていたように、彼女もここで見守ってくれる――今まで試合の時間が合えばそうしてきたように。
良い友達が出来た。それだけでも、この学園に来て良かった。
――けれど、それとは別に当初の目的を果たさなければならない。
(ごめんなさい。貴女に恨みはございません)
反対側で試合場に上がった対戦相手に目をやる。
彼女に罪はない。だが、私はやらなければならない。
(ですが、私は貴女を潰さなければならない。貴女達だけは許す事が出来ない)
この大会、彼女と当たった事は幸運だった。
私はここで彼女を破る。
そして決勝で証明しなければならない。戦いこそは騎士の誉れであると、貴族の奪えるものではないと。
そして取り戻す。
あの日、不当に奪われた私達の誇りを。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に