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三回戦16

 柔道を始めたのは10歳の時だった。

 町の粉屋の娘は、兄と一緒に町の道場に通い始めた。

 それなりに歴史のあるそこで、それなりの頭角を現していった兄と違って、私はどちらかといえば落ちこぼれだった。


 力は強い。だが力任せで器用さが無い。気位が無い。技が無い。無い無いと色々言われていたことは覚えている。

 子供の頃の私には分からなかった。掴んで投げの体勢に入れば投げられるのに、どうして色々細かい事を考えなきゃいけないのか。どうしてしっかり投げ飛ばしたのに一本にならないのか。

 だから、だんだん柔道が嫌になってきた。そりゃあそうだ。勝てないし、分からないし、何より納得がいかない。


 先生に出会ったのは、そんな14歳の頃だった。

 「あんた、いい柔道をするねぇ」

 「え?」

 「力もあるし、基本をしっかりと覚えればきっと強くなる」

 稽古を終えた時、先生はそう言ってくれた。

 先代師範の年代のその先生は、道場の中でもあまり実力がある方だとはされていなかった。特に現師範とその高弟達からは。


 そんな人でも子供は褒められれば嬉しいものだ。

 次の稽古から、私はその先生にお願いする事が多くなった。

 周りは特に何も気にしなかった。落ちこぼれの生徒が落ちこぼれの先生についたところで、そんなこと誰も気にはしない。そんな事よりも地域で行われる道場同士の錬成大会の方が重大事だった。


 先生の教え方は簡単だった。

 それまで習った基本とは似て非なる――といっても傍から見ていたらほとんど同じの――部分をしっかりと叩き込んでくれた。


 「あんたのその強い力は武器になる。後は体力がつけば言う事なしだ」

 そう言って、本当に入門者のような単純な稽古に多くの時間を割いていた。


 それでも自分で分かった。

 これまでの四年間より、先生について習った半年の方が余程上達が早かったと。


 そう、半年だ。

 半年後、先生は亡くなった。

 信じられなかった。昨日までピンピンしていて、稽古をつけてくれたのに。


 それから少し経って、道場内での練習試合が行われた。

 試合と名はついているが、誰が勝つのかは既に大方が予想していたように思う。

 私の一回戦の相手になった一つ上の選手だ。

 入門はほぼ同時期。だが向こうはめきめきと実力をつけていた。技巧派でスピードも気位も十分――それが彼女への評価だった。


 その将来が楽しみな有望株との試合、私は勝ってしまった。

 それも一本を取ってではない。それどころか私は技ありを取られていて、しかし相手が立ち上がれなくなったために、だ。


 私はただ、習った通りに投げただけだ。

 先生に習った通りに、自分の身体に刻み込んできた通りに。

 恐らく審判によっては一本になっただろう投げ。そしてこの道場では怪しいところな投げ。


 だが、畳に叩きつけた相手は、そのまま起き上がれなかった。


 数秒畳を転がり、何とかして起き上がった時には、既にその顔に怯えが浮かんでいた。

 試合は再開され、しかしもう成り立っていなかった。

 彼女は逃げ続け、組むことを恐れていた。


 だが、そんな相手を逃がす手はない。


 私はもう一度捕え、体落としをかけた。

 それきり、相手は立てなかった。


 「止め!止め!!」

 審判を務めていた師範代がそう言って間に入ると、私に怒鳴りつける。

 「お前のそれは柔道じゃない。ただの暴力だ!相手を潰す気か!?」

 最後の部分だけなら――納得はいかないにせよ――黙って従っただろう。


 だが、その前二つは許せなかった。


 私に仕込んでくれた先生。私を褒めてくれた先生。私に、私にもう一度柔道をさせてくれた先生。

 その先生の柔道を否定されたことが、私にはどうしても許せなかった。


 「なら、勝てば?」

 師範代の顔がみるみる青黒くなっていったのを、今でも覚えている。

 今の先生方は皆上手い。上手いけど上手すぎて、柔道のための柔道をしている。畳の上以外の世界を知らないように思う――ただ一度だけ、先生が私にこぼした言葉を、その時しっかりと理解した。


 勝ってしまったからだ。私が師範代に。

 15歳の女の子が、大の男を絞め落として。


 「ありがとうございました!」

 騒然とする道場から出た時、私は確信した。

 大人顔負けと言われた私がどんなに力を込めても先生は倒せなかった。私が未熟なのは勿論だが、それよりなにより、先生は強い力を知っていたのだ。

 先生の柔道は強い。不完全な私が使っても強い。少なくとも、柔道を名乗る器用さ比べのお座敷遊びなんかよりよっぽど。


 この学園の推薦枠を勝ち取ったのは、それから三か月後。

 私は決めていた。

 先生の柔道の正しさを証明すると。

 武道とは、柔道とは、畳の上で器用さや気位とやらを決めるためのものではないと。

 そんなものは無意味だと。


 強い力を持った者を否定するだけでそれへの対処法を編み出せない連中など、武道家を名乗るべきでないと。


 ――この大会は、その一環だ。

 あの連中に教えてやる。先生の柔道を暴力と断じた連中に、優勝旗を持って証明してやる。

 先生の柔道は強いと、お前達のは偽物だと。


 その為には必要だ。

 「貴女を……倒す」

 目の前の生徒会長だって、実績として。


 「はあっ!!」

 会長が再び距離を詰める。

 同時に私も前へ。股間の重い痛みは徐々に退いている。

 先程のフェイントにはかかってしまったが、次はそうはいかない。

 それにあの拳打は強力だが、あれだけ重ければ連打はできない筈だ。


 じりじりと近づく。私がそうしているように、会長もまた。

 リーチは向こうの方がある。それに打撃のノウハウも圧倒的に。


 (なら、こういうのは?)

 ここまでで見切った会長の間合いの一歩外。そこから一気に踏み込む。

 「ッ!」

 当然、迎撃が来る。

 あの重い拳が飛んでくる。


 「シャッ!!」

 観客がどよめくのを、会長の身体に全身をうずめながら聞いた。

 拳の下をくぐってのタックル。これもユーリアさん直伝だが、シンプルながら中々に使える技だ。


 「くっ!!」

 「おおおおっ!」

 だが流石に粘る。

 タックルでも倒せず、拮抗しそうになった直前に相四つに移行――と同時に仕掛ける。

 「おおっ!!」

 「なっ!?」

 さらに一歩進む。足腰の強さならこっちだって負けていない。

 それと同時に引き手で相手のふくらはぎを掴み、そのまま一気に押し倒す。


 朽木倒し。強引なようだが立派な投げ技。


 「ぐっ!!」

 予想はしていなかったのか、或いは勢いで押し切れたのか、まあどちらでもいい。

 そのまま相手の上を転がるように後ろへ回り、起き上がろうとした相手の襟を後ろから、もう片方の襟を脇の下から入れた手で掴んで締め上げにかかる。

 送り襟絞め。あの日転がした師範代を絞め落とした技。


 「かっ……あ……っ!!」

 絞め技は効く。

 しっかりと決まれば数秒と持たないものだ。

 そして今両手に伝わってくる感覚は、まさにその直前のものだ。

 会場から聞こえてくる割れんばかりの悲鳴が、まさにその証拠だろう。


 胴体に足を巻きつける。

 このまま後ろに倒れれば完成だ。

 「くっ、かっ……」


 ぞくり、とほんの一瞬だけ寒気が走った。

 (何だ……?)

 それが何なのか、直後の咆哮がその思考を吹き飛ばした。

 「かっ……ぁぁあああああああっっ!!」

 「!!」

 会長の身体が動いた。私の足を巻きつけたまま。

 私を下敷きにするように仰向けになり、そして同時に私のつま先に何かが触れる感覚が走る。


 (まずいっ!!)

 咄嗟に足をほどく。足の指の間がメリメリと開いていく。

 「こっ、この……っ!!」

 絞めを解いて無理矢理引き剥がす。

 あと少し遅れていたら足の指が折られていた。


 「けほっ!けほっ!!」

 (とんでもない……)

 むせながら立ち上がる相手に対する素直な感想。


 「はぁ……はぁ……くっ、くく……」

 (それに、それになんで……)

 なんで……笑っている?

(つづく)


今日はここまで。

続きは明日に

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