三回戦15
「「……ッ」」
会長が先に間合いを詰めていく。
カレンもそれに応じる形で前に歩を進めるが、ペースで言えば会長の方が速い。滑るようにして素早く距離を詰め、自らの間合いに持ち込んでいく。
(仕掛けるか……?)
恐らく、私と同じ予想をしたのだろう、カレンが僅かにその歩を緩め、それ以上踏み込まないラインを定めようとした、まさにその瞬間だった。
「ッ!!」
会長がそれを僅かに割ったのが、見ている私にも分かった。
そして当然ながら、この世で一番それに敏感に反応できるだろうカレンがまさにその通りに反応したこともまた、その瞬間の僅かな動作で分かった。
「あっ!」
だが、それが布石であったことは、私も彼女も気付かなかった。
会長はラインを割り、その場で急停止した――相手のリズムを崩すために。
それまで素早く近づいてきて、一気に懐に飛び込むかと思えた相手の突然の停止。先を読んでいたが故にそれにかかったカレン。
とは言え、その隙はほんの一瞬だった。
見ているこの大量の野次馬のうち、恐らく半分以上はそれを隙だと気付かないだろうという程の一瞬の出来事。
だが、目の前の相手には十分すぎるほどの隙だった。
「はっ!」
「ぐっ!!」
右中段回し蹴り。
会長の弧を描いた足が、カレンの胴を横一文字に払っていく。
この一撃を打ち込むための急停止。それを活かすための急接近。そしてそれに気づいたのは全てが終わった後。
「くっ……」
だが、今度はカレンが止まらなかった。
一瞬たじろいだだけで、今度は自分から相手に飛び込んでいく。
(一発二発貰う覚悟ってことか)
リスキーだ――それが正直な感想だった。
会長はリーチがある。その上その拳は重い。
確かに懐に飛び込めばまだ勝負は出来るだろうが、無論そう簡単に掴ませてはくれない。最悪殴られに行くだけにもなりかねない。
だが、カレンの判断はどうやら違ったようだ。
彼女は更に踏み込む。対する会長は蹴り足を戻して正対した所だ――間に合うか?
「はぁっ!」
「ふっ!!」
ほぼ同時――カレンが掴むのと、会長が打つのが。
カレンの右腕が会長の前襟に触れるかどうかという一瞬、会長の右の直突がカレンの胸に沈み込んだ。
「ッ!!」
こういうのをマンストッピングパワーと言うのだろうか。
会長の直突が、カレンをその命中時の姿のまま固めた。ほんの一瞬、時間にして何分の一秒という世界だろうが、それでも止まったのだ。
そしてその一瞬が、会長にとっては十分な時間だった。
「ぐっ!?」
カレンの呻きがここまで聞こえたのは、私の聞き間違いだろうか。
彼女の身体は僅かに床から離れていた――股間に突き刺さった会長の蹴り足によって。
その容赦ない攻撃から間髪入れずに組みつく会長。首相撲の体勢に入った直後には大腰の変形のようにしてカレンを投げ飛ばしていた。
――確か一回戦でも似たような投げ技を使っていたように思う。得意技なのだろうか?
(まあ、そうでなかった方が恐ろしいが……)
あれが得意技でないとすれば、あれより速く強力な技を持っているという事になる。
その想像が冷たい汗となって背中を流れていく。今の投げも含めて会長の動きは恐怖すら感じるスピードだ。
「くっ!」
だがその勢いで投げられてもしっかり受け身を取っているのは、流石は柔道家と言う事か。背中を床に付けながら、それでもなお起き上がろうとカレンは体を起こす。
「ッ!!」
「はっ!」
だがその頭を床に縫い付けるようにして、会長の突きが振り下ろされた。
「おおっ……」
観客からどよめきの声が上がる――私もその一部だ。
カレンは躱していた。そんな時間的、スペース的余裕があったとは思えないにも拘らず。
「はああっ!!」
それどころか、その回避動作がそのまま会長に絡みつく――そうとしか表現のしようがない――ように寝技に持ち込む予備動作を兼ねている。
本当に化け物同士の対決だ。
突き降ろされた会長の拳。
天から伸びる柱のように真っ直ぐになったそれをしっかり両手で掴みながら、カレンの下半身はまるで別の意思を持った生物かのように跳ね上がり、その突き降ろされた右腕を両足の間に挟むようにして首と胴体に食らいつく。
「腕ひしぎ……ッ!?」
僅か一瞬の攻防。いや、攻防一体の一瞬。
カレンが突きを躱したと理解した瞬間には、彼女の両足が会長に絡みつき、そのまま腕ひしぎ十字固めの形に入っている。
そしてそれを私達観客席の大勢が理解した時には、会長は既に捕られていた腕を引きつけて拘束を緩ませ、同時に回転してその場から間一髪離れていた。
「シャッ!」
そうして立ち上がった会長に、カレンは一瞬も休む時間を与えずにまた飛び掛かる。
「ッ!」
距離を取ろうとしたのか放たれた会長の前蹴りを受けながらも、それを受け流すように右半身に変わりながら更に飛び込んでいく。
「あれは……っ!」
その組み方を見てミーアが声を上げた。
――多分、私と同じ意見だ。
カレンが右自然体で組みつく。引手も釣り手も向かって左側、左袖と左襟をしっかりと掴んで一息に前隅に崩す。
次の瞬間、蹴り飛ばすようにして会長の左足が後ろに吹き飛ばされ、同時に体が宙に浮いた。
「山嵐……ッ!」
会長の身体が、風に木の葉が舞うように浮かんで投げ落とされる。
本物を見るのは初めてのそれは、今までの投げとは違って、ドッという重量を感じる音を立てた。
※ ※ ※
――何故立てる?
最初の内股は、その後に続く三度の投げも、全て完璧なタイミングで受け身を取られたのだと言う事は理解できる。
綺麗に投げられた。投げの動きに下手に踏ん張るよりも一緒に飛んで転がってしまった方がダメージが小さいと割り切った上で、お手本のような完璧な受け身。
そしてさっきの腕ひしぎ十字固め。コツはユーリアさんに教わったが、それでも投げ程絞め技が得意ではない私ではまだ遅かった。
だから、そこまでは分かる。
「……成程」
跳び下がり、再び構えを取りながら彼女=会長が静かに声を発した。
「強いな、貴女」
聞き間違いではない。恐らくは。
「……」
一方の私は沈黙。本来なら失礼だろうが、今この瞬間は問題にはなるまい――そもそもギャラリーには聞こえていないだろう。
(やはり駄目か……)
その声に反する直感が心の中に響く。
山嵐は境界線だった。
攻めて、前に出て、掴んで、投げる=“先生”から叩き込まれた柔道の神髄。
それを持って今の山嵐を放った。
それで、倒せなかった。
恐らくダメージが無い訳ではないだろう。だが、見たところ動きに支障は出ていない。
(やっぱりな……借り物の柔道じゃあ駄目だ)
この学園に来てから使い続けた柔道。借り物の柔道。私本来のそれとは異なる柔道。
ここでの相手は貴族のお嬢様がただ。いくら特待生と言えど、平民の私が私本来のそれを使ってしまえば、陰でなにを言われるか分かったものではない。
だから、封じてきた。私の柔道を。
「……ええ。わかりました」
私の呟きは、多分誰にも聞こえなかった。
ただ私だけの納得。私だけのゴーサイン。
この学園に来て、本気で付き合ってくれたユーリアさんに続く二人目。包み隠さない私の柔道。それを使うべき相手が見つかった。
使うに相応しい、使わなければ倒せない相手が。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に。