三回戦14
「自然本体……」
横でミーアが呟く。
柔道は現代の高校の時の授業位でしかしらなかった私でも、その名前には聞き覚えがあった。
その名の通り自然に立った姿。柔道であれば安定感があり、同時に状況に応じた変化が可能な基本的な姿勢だそうだ。
だが、それはあくまで柔道での話。
今目の前にいる相手には打撃がある。
勿論そんな事は彼女自身分かっているだろう。分かっていて敢えてノーガードの自然本体を貫く。ここから見る限りその姿勢にも表情にも一切迷いはない。
(なんて糞度胸……)
思わずそんな感想が喉まで出かかる。
背は会長の方が高い。つまりリーチで勝っている。その上、二回戦では打撃を打たれ慣れている筈の総合の選手を相手に打撃でKO勝ちを収めている。
リーチがあり、かつ重い打撃を持っている相手にノーガード。普通の神経ではない。
次の瞬間、その事実が目の前で展開された。
「……ッ!」
会長がジャブのように左を繰り出す。
鼻先を掠めていくそれに、しかしカレンは全く反応しない。
直感:当たらない事が分かっている。
(読んだのか……?)
反応できていない――という訳ではないだろう。
更にもう一発飛んでくる左、これも同様に無反応。目の前で引き返していくそれを追う事もなく、ただ歩くようにして間合いを詰めていく。
三度目の左。初めてカレンが反応を示す。
「ッ!?」
一瞬、腕をすり抜けたような錯覚に陥った。
その正体はすぐに分かる。彼女は最小限の動きですれ違うようにして躱し、そのまま相手の腕の下をくぐって踏み込んだのだ。
もっとも、私もそれを瞬時に理解した訳ではない。
そこまでの解析が完了した頃には、既に左自然体で懐に飛び込んだ彼女が、咄嗟に反応したことで右自然体に近い形となった会長に組みついていた。
喧嘩四つ。組みつきながらもお互いの間に隙間ができるこれをものともせず、カレンは体ごとぶつかるように更に押し込む。
同時に私は周囲の、完璧にシンクロしたような息をのむ音と悲鳴とを合わせたような音に包まれた。
「ひっ……!」
内股。それも恐ろしく速いそれが、会長のを宙に浮かせていた。
重力から切り離されたような会長の体。しかしふわふわ浮遊しているのではなく、浮かんだと思った瞬間には床に突入している。
(なんて投げだ……)
音すらしない、あまりにも速く、完全な投げ。
これが柔道の試合であれば間違いなく文句なしの一本。オリンピックなんかの中継でたまに言われる「JUDOではない柔道」の典型例のような見事な内股。
ひきつった悲鳴を上げた隣の野次馬にちらりと目をやる。
恐る恐る目を開けた、信じられない光景を目の当たりにしたと言わんばかりの表情。
無理もない。投げられたのだ。ミス・アンタッチャブルが。
投げられた直後にはすぐに立ち上がり、再び今度は相四つに組みついてはいるが、間違いなく相手の攻撃を受けていたのだ。
「ミーア、今の……」
「ええ……」
野次馬とは反対側の隣でも、何が起きていたのかは分かったようだ。
「あの一瞬、会長は恐らく投げられることを悟っていた筈です。それで体ごと飛び込んだカレン様に崩されまいと反射的に前に出てしまった。恐らくカレン様はそれを受けて瞬時に内股を選択なさったのでしょう」
やはり私よりも投げについては詳しい。あの一瞬に起きた攻防を私よりしっかり理解していた。
カレン・シアーズ。今は彼女とぶつからなかったことを幸運に思う。
「……ッ!!」
そしてそんな間にも試合は続いている。
会長は立ち上がって組みあっている――いや、組み合っているのではない。
(組みつかれている……?)
この攻防、私が見ても一度ははっきり分かる程離れようとした会長を、カレンがしっかりと離さないで組み続けている。
その姿に思い出す1ハンプの話。14歳でそれ程だ。今の彼女の膂力はここから見える以上に凄まじいものだろう。
そしてその力でもって崩しにかかる。相手を引き倒さんばかりの右前隅崩し。
そんな力任せの様に見えて、そこからの払い腰は瞬間移動したかのような恐ろしいスピードで展開される。
再び叩きつけられる会長。
今回も派手に投げられながら音はほとんど聞こえない。
転がって立ち上がり、今度は振り切って間合いを取る会長。
だがカレンは止まらない。後退する会長よりも速くその間合いを詰めていき、迎撃に放たれたと思われる右を、その腕が伸びきるのに合わせての背負い投げ。
「ああっ!」
だが、会長も只者ではない。
投げられる瞬間に自ら跳んでいた――そう分かるのは、カレンの背中に乗った瞬間、ほぼ逆立ちのような姿になったからだ。
投げに合わせて跳ぶ。それによって空中で姿勢を変え、そのまま着地。体操選手のような身軽さ。
「シィッ!!」
直後聞こえてきたのはカレンの鋭い気勢。
会長の足が床に着くかつかないかのうちに、再び体当たりのように突っ込み、今度はそのまま大外刈り。
今度も綺麗に決まる。三度目の一本。
だが――。
「……流石会長ですね」
ミーアのその呟きは、どこか空恐ろしいという様子があった。
「というと?」
「今の大外もそうですが、これまで決まった投げ、全て音が殆どなっていないのにはお気付きですか?」
確かにそうだった。
この試合場の床は硬い。一応クッションは入っているのだろうが、板張りより少しはましという程度でしかない。
確かにそこに投げられて大したダメージもなく立ち上がれる会長は流石であると言える。
だが、ミーアの言いたいことはそういう事ではなかったようだ。
「あれは恐らく完全に受け身を取っています。これまでの三回の投げ、どれも恐ろしい程のスピードでした。ですがそれを上回る程の完成度の受け身で全て最小限のダメージに留めている……。恐らくですが、ダメージとしてはほとんどないでしょう」
そう言われて改めて会長の動きを見る。
再び距離を取って向かい合っているが、その動きには確かにダメージを感じない。
試合開始時と何ら変わらない様子で、息が乱れているようにも見えない。
「とんでもないですわ……」
思わず口を突いたのは素直な感想だ。
あの投げを三度とも悉く最小のダメージで納め、それどころか途中に発生した背負い投げは空中で体勢を変えて無効化。
しかしそれが出来るのは恐らく彼女だからだろう。それほどまでにカレンの投げは凄まじい速さだ。
化け物VS化け物。そんな表現をしてもオーバーではない。
「「……」」
そしてそんな化け物同士は再び向かい合う。
日本拳法の化け物は同じように構えて、柔道の化け物は同じように自然本体で。
だが違う所があるとすれば、柔道の化け物は、今度は距離を開けているという事。
そして、今度は日本拳法の化け物が反対に前に出てきているという事か。
(つづく)
今日はここまで。
続きは明日に。
なお、明日以降も同様の時間帯での投稿を予定しております。