三回戦10
聞き間違いではない。
「なんですって!?」
だが尋ね返す。少しでもそれを予想していなかったという風に。
幸いなことに、奴の今の発言が私に冷静さを取り戻させてくれた。
「いいかしら?あの方……会長に優勝を差し上げるの。あなた以外の二人は所詮卑しい生まれ。いくらでもどうとでもなります。そうなれば後は貴女の心がけ次第。考えても御覧になって?痛い思いをしないで済む上にあなた達の目的は果たされる。悪い話ではないでしょう?」
ああ、まったく悪い話ではない――こんなに分かりやすく食いついたのだから。
今日の奴への依頼は、そもそも私の提案ではない。恐らくこの世で私しか知らないだろうが、アイデアの提供元はハンナ嬢だった。
そして――予定よりも最初の交渉では劣勢だったものの――その筋書き通りに奴は要求を出してきた。それも、生徒会長を絡めてくるというおまけつきで。
(恐ろしいな、ハンナ嬢は……)
心の中で呟く。こういう状況では頼りになるがお友達には欲しくない。
最初の交渉が決裂した場合、それが奴の強硬な反対によるものであるという事はハンナ嬢の経験――と、自分ならそうするという部分で――最初から分かっていた。
ならあえて奴に条件を提示させてやろう――それも不正な。
ここまでは上手くいっている。後はこの席を物別れにするだけだ。
その後はこの話を武闘大会運営に関する問題として生徒会に持っていくと同時に風見鶏共に漏らしておく。
勿論これだけで奴を倒すことは出来ないだろうし、奴の弁明も反撃も予想できる。それどころか、私とミーアの証言しかないとなれば、最終的に証拠不十分で終わりだろう。
だが、少なくともその間は、自らの潔白の証明――正確にはそのでっち上げに骨を折るはずだ。
学園のような閉鎖された社会において、スキャンダルは伝染病と同様の拡がり方をする。そしてどんな大貴族であれ、いや大貴族であればこそ、スキャンダル、それも王家の行事に関するそれは致命傷たり得る。
そしてスキャンダルに翻弄される姿は、求心力を低下させる。仮に抑え込んだとして、人の心に生まれた疑いは簡単には消えないし、もう一度叩こうという者も出てこないとは限らない。何しろ事実無根の噂を根拠に私を公然と批判し、それを皆の前で否定された彼女だ。既に人のイメージにはプラス以外の部分が出来ていると考えるのは、そこまで楽観的な認識ではあるまい。
そうなれば?取り巻き連中はすり寄るべき相手を考えるだろう。余程見上げた忠誠心でもない限りは。
「お分かりかしら?この提案は貴女達の為でもあるの。約束して頂ければ、勿論貴女達の立会人は喜んでお引き受けいたしますわ」
有頂天とはこういう事か。
奴の声には勝ち誇ったような調子が感じられる。
――だが、本当にそんな声を上げたいのはこちらだ。
奴は言うに事欠いて生徒会長を持ち出した。皆のアイドルのあの会長を、だ。
それは結果的に、より奴の首を絞めることになるだろう。
そんなことはおくびにも出さずに再度尋ねる。
「……本気で仰っているの?」
「ええ。勿論本気ですわ。ああ、それともう一つ条件が――」
その付け足しに寒気を感じたのは、きっと気のせいではなかった。
それに押されるように上げた視線の先。
奴の勝ち誇ったような笑顔は、その奥の瞳は、しっかりと物語っていた。
お前の考えなどお見通しだ、と。
「このやり取りを書面に起こし、この三人の署名を入れて、それぞれが一部ずつ保管する事。これでいかがかしら?」
「!?」
それの意味するところを、ハンナ嬢が即座に解析する。
「そ、それは……、姉妹誓約に関して特にそうした記録を残すという前例はありませんわ」
「ええ。勿論そうでしょう。ですけど、これはその前の段階。あくまで私が立会人を引き受けるかどうかのお話ではなくて?」
咄嗟に吐き出した苦しい反論は一蹴されてしまう。
「それに、こういう事を複数人で進める場合は記録を残すことにしておりますの。そうでないと……どこかの誰かみたいな、恥知らずな裏切りを許しますでしょう?」
その眼がミーアに移る。
このやり取りを書面に残すということはつまり、もし私達が生徒会に持ち込むような真似をすれば、奴はその書類を公表するという意味だ。
その時点で死なば諸共。いや、奴は首皮一枚で助かるかもしれないが、立場的に私は致命傷を負う事になる。
後ろめたい話なのだから全て内密に済ませる――無意識のうちに生まれたその考えが仇となった。
「もしそれが嫌なら、この話は無かったことに致しましょう。ああ、ですけどどうか気を落とされないで。今思い出したのですけれど――」
白々しい程の演技。
勝ち誇った顔はますます露骨になる。
「私、生徒会にお友達がおりますの。とてもよい方ですから、きっとお力になってくれると思いますわ」
刃物が腹を貫いていくような錯覚。
言葉を発する能力を失ってしまったように、ただ唇がひくひくと動くだけ。
完全敗北。
それも、やつは全て最初からこうなることを分かっていた。
本当に言葉通り今思い出した筈がない。奴の言うお友達がどういう意味かなど、一々考察するまでもない。奴はいつでも握り潰す事が出来る。
私達に出来る事も、私達がしようとしている事も全て理解した上でそれを隠し、ただ遊んでいただけだ。
「それで、お話はお終いかしら?」
「……ッ」
最早勝利は失われた。
最初に奴にペースを奪われた時点で終わっていたのだろう。
本当は土下座などするべきではなかった。あくまで毅然として対等に交渉するべきだった。そして示すべきだった。「取り巻き未満の下っ端を切り捨てるだけで貴女の広告塔になりましょう。悪い話ではないでしょう?」と。
だがそうはならなかった。
奴の最初の恫喝でミーアが崩れてしまった。
恐らく、彼女が耐えられない事は見抜いていたのだろう。
婚約者の家族や、彼女自身の家柄などを考えれば、端から対等に渡り合えるとは思っていない。だからこそ私が率先して交渉していたのだが、それでも不十分だった。
奴は一瞬で鎖の一番弱い部分を見抜き、そこを破って全てを破壊した。
彼女を責めても仕方がない。その立場であれば逆らえないだろうし、今までそうすることを強いられていたのだ。なにより、筋書きを頭に入れていた私でさえ、感情に流されるほどに乗せられたのだ。
つまり、そうつまりだ、ただ単にシャーロットが私達より強いというだけだ。
「お話が終わりの様ならこれで失礼いたしますわ」
そう言って、心ゆくまで嬲った相手に残虐な笑みを浮かべて席を立つ。
「それでは、ごきげんよう――」
言い終わるか否か、まさにその瞬間だった。
意外な救援は唐突に現れた。
「失礼します」
ノックの返事も待たず開かれた扉。
その乱入者は、それぞれの姿勢のまま自分を見つめる六つの目を一瞥する。
「……お話し中のご無礼どうかお許しを」
状況が分かりかねたのか、一瞬間を置いてから、しかし元の調子に戻って部屋の中に踏み込んでくる。
トッという軽い足音と共に纏っている白外套が揺れる。
「えっ、あっ……」
それまで雄弁だったシャーロットが言葉を忘れた様に意味のない音を漏らす。
生徒会長ソニア・フランシス・ローゼンタール・ラ・シュタインフルス。ついさっきの話題の人物ご本人の登場だ。
後ろには二人の生徒がつき従っている。
恐らく生徒会のメンバーだろうその二人のうちの一人は、手にコップのような物を持っていた。
「突然で申し訳ございませんが、ミス・シャーロット・ベニントン」
「は、はいっ……」
彼女の方を向き直った会長は毅然と言い放った。
「今回の武闘大会におけるミス・ミーア・カルドゥッチの予選参加の件、及び今しがた話していた件に関して、貴女の口から詳しくご説明を頂きたいのでご同行頂けますか?」
コップの合点がいった。
扉に当てればよく聞こえるのだ。
「ミス・ソニア・ローゼンタール……。一体何のお話でしょう?」
「……私は人の交友関係について口出しするような野暮な真似は致しません。しかし、全ての人間が皆完全に善意で動いていると考えるほど人が良くもありません」
そう言うと、すまし顔で待機している後ろの二人をちらりと見た。
「勿論、生徒会内部でも例外なく、ね」
(つづく)
今日はここまで。
続きは明日に。