三回戦9
「あら、あら!」
本気なのか、演技なのか。
どちらとも取れそうなリアクションを返してくる。
「どうなさったの突然?……まさかとは思いますけど、あの噂を忘れた訳ではございませんでしょうに」
「ええ。仰る通り。ですけど、それに関しては既に過去の話ですわ」
そうだ。噂は噂だと、あの日掲示板の前で示された。
そして先日の試合で――少なくとも私の主観では――事実無根であることを証明できたはずだ。
「それで?どうして私なのかしら?」
「貴女が一番の適任だと考えたからですわ」
昨晩、あの後二人で話し合った末の答えだった。
誓約の立会人をシャーロットに依頼する。もしこれが成功すれば、その時点で取り巻き志願者がミーアを襲う可能性はほぼゼロになると言ってよい。
取り巻き志願者が本当に取り巻き志願である=シャーロットが未だに強い影響力を持っていれば、彼女公認での誓約を相手に喧嘩を売るような真似はとてもできまい。
もし取り巻きが目的ではなく、何か他の理由で動いているとしたら?その時でも問題はない。これでもシャーロットはこの国で5世帯しかいない公爵のご令嬢の一人、それものっぴきならない事態に陥っている我が家とは異なるベニントン家である。
それが立ち会った誓約には、どの道喧嘩を売る様な真似はしないだろう。誰かの取り巻きになろうという連中が、その辺の政治的バランスを――包み隠さず言えば媚びへつらうべき相手を探す才能を――欠いているとは思えない。
「と、仰ると?」
「私とミーアを引き合わせてくださったのは貴女でしたわね」
私なりに皮肉を込めて言ってみるが、シャーロットはビクともしない。
ただ無言で続きを促している。
ならそれでいい。私はちらりとミーアを見やる。
「実は今、彼女は心無い嫌がらせを受けておりますの。ミス・ミネーバ・アティーナという方をご存知かしら?」
ミネーバ・アティーナ。取り巻き連中の中心的存在だ。
「さて、存じ上げませんけど、その方がどうかなさいましたの?」
今回も本当か嘘か分からない。どちらもあり得そうではある。
「彼女と付き合いのある幾人かが、このミーアに心無い嫌がらせをしているとの事です――」
さて、説得はここからが本番だ。
昨晩知恵を絞りあった結晶を叩きつける。
「聞けばこの方々、貴女のお友達になりたがっておられると伺いました。ミーアが貴方のお近くに降りました折にも、彼女と同じような立場にいたとか」
言い終わる前にシャーロットは笑っていた。
しょうもないものを見せられたという笑いだった。
「そう仰いましても、私もそのような方存じ上げませんわ。仮に私とお近づきになりたいなどと思っていたとして、それだけでは今回のお話にはつながらないのではなくて?」
「ああ待って、お待ちになってシャーロット」
我ながら芝居がかった言い方だが、こういうのは勢いが大事だ――多分。
「別に、貴女を責めようなどと思ってはいないわ。ただ、貴女が彼女達にとって良き先輩であることを見込んでお願いしたいの」
奴の眼=続けろ。
ミーアを見る=もう一押し。
「貴女に立会人をお願いできれば、きっと彼女達もミーアの事を諦める筈。どうか、お願いできないかしら」
身を乗り出しながら再度頭を下げる。
「シャーロット様、私からもお願いいたします。どうか何卒、ご助力いただけませんでしょうか」
彼女にはノーという選択肢はない。少なくとも私にはそれが思いつかなかった。
私の周りには取り巻きができ始めている。所詮風見鶏共の集まりだが、取り巻き連中などというのはそういうものだ。
そしてその風見鶏の一つに混ざろうとしていたのがこのシャーロットだ。恩を売るのにこれ以上ないチャンスだろう。立会人を任せるとは信頼の証でもある。つまりそれを依頼した時点で彼女の面子を守ってやる事にもなるのだから。
しかし、返事はなかった。
ただ沈黙だけが場を満たしていた。
シャーロットは目を閉じ、顎の前に両手を置いて、テーブルに肘をついている。
数秒、いや数十秒?嫌な沈黙が続く。
「……成程」
それを破ったのは、私達が求めていた人物だった。
「二人の仰りたいことは良く分かりました」
そう言って目を開くシャーロット。
その視線はミーアに向けられていた。
「ねえ、ミス・ミーア・カルドゥッチ」
「は、はい……」
嫌な予感がした。
それまで呼び捨てであったはずの相手に態々敬称をつけて名字も呼ぶのにはいくつかの意味があるが、この場面で肯定的な意味を期待する事は出来ない。
「貴女にはほとほと失望いたしました。恥を知りなさい」
そう言い放った時の声は、成程これが貴族かと感心すらしてしまうものだった。
どうやったらこんなに冷たい、非情を形にしたような声が出せるのだろう。
だが感心している場合ではない。
「お待ちになってシャーロット。彼女はなにも――」
「ええ。彼女は何もしていないわ。何も、ね。何も考える事もなく私から縁を切るように離れ、そのくせ今になって平気な顔で頼ってくる。……まったく、下賤は羨ましいわ。プライドも何もありませんもの」
「ち、ちょっと――」
「申し訳ございませんシャーロット様」
「えっ、ちょっとミーア……」
私の言葉は続かなかった。
彼女の姿はそれを許さなかった。
「ご無礼である事、平にお詫び申し上げます。ですが、ですがどうか……どうか……」
それは完璧な土下座だった。
椅子から滑り降り、テーブルで隠れてしまっても構わずに、床に額を摺りつけていた。
「ミーア、止めなさい」
私の言葉も聞こえていないようだった。
「シャーロット、このような事を友人に言うのは気が引けるのだけど、これはあまり趣味のいい姿ではなくてよ」
「あら?私は何も申しておりませんわ。ねえミーア?これは彼女が自らそうしているだけの事。私だって困っているの。だって、ただ頭を床に付けただけで、何も変わりはしないもの。この子は私が引き立ててあげた事も忘れて、厚かましい真似をしたの。恩知らずだと思いませんこと?」
爪と椅子の腕がカリッと音を立てる。
それもまた、奴の声にかき消される。
「ねえハンナ、未熟な後輩を時には厳しく指導するのもまた先輩の役目だと思いませんこと?このままでは、彼女が社会に出た時に困ると思わない?」
奥歯がぎりぎりとすり減っていく。
「あら、ちょっとどうしたの貴女まで」
「ハ、ハンナ様!?おやめください!!」
ミーアに並ぶ。
殴りかかる以外に取れる行動はこれしかなかった。
「……ミーアの態度が許せないと言うのなら、私からもお願いいたします。どうか――」
「そうねえ」
呑気な声が頭上から落ちてくる。
「なら条件を一つつけさせて頂戴」
「……何かしら?」
見上げた私を見下ろす奴。
その顔を、私は恐らく一生忘れないだろう。
残虐な、そして満足げな笑み。
「今後の試合、会長と当たることが有り得るわね」
「ええ」
「なら、その時貴女、会長に勝利を譲りなさい」
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に。