三回戦8
「えっ……?」
尋ね返したのは意味が分からなかった訳ではない。
ただ、それが余りに最終手段だからだ。
「このようなお願い……あまりに不作法とは存じております。ですが……ですがもし……」
「あ、いえ……。その……、別に嫌と言った訳では……」
二人してしどろもどろ。
誓いの妹。妹と言っても当然ながら血の繋がった妹ではない。そんな事は不可能だ。
そして勿論義理のという意味でもない。それもまた――少なくともすぐには――不可能だ。
誓い、正確には姉妹誓約。この学園に古くから伝わる生徒同士の契約だった。
簡単に言ってしまえばこの誓約を交わした者同士では学園にいる限り姉妹と同等――或いはそれ以上の絆で結ばれる。
――ふと後ろに控えているマルタの方に顔を向けると、一瞬目が合った後にさっとそれを避けるように逸らした。
いくらか賭けてもいいが、間違いなくその眼は期待に輝いていた。
「うーん……」
思わず唸ってしまう。
誓約姉妹と言っても、ただ単に仲良しならばいいという訳ではない。
しっかりと立会人を立てて、正式に決められている儀式を行い、その上で初めて認められる。
それに誓約と言うからには、そこには色々とルールが存在するのだ。
「貴女、本当にそれでよろしいの?」
思わず念を押すようにミーアに尋ねる。
姉妹誓約には確かに現状よりも抑止力としての機能はあるだろう。だが、その誓約内容は両者にのしかかってくるのだ。
「はい……。私の覚悟は既に出来ております」
「こういう言い方はしたくないのですけど――」
しっかりと言い含めるように彼女に問いかける。これは大事な事である――主に私の覚悟と言う意味で。
「貴女が受けている嫌がらせを軽視する気は全くありません。けれど、誓約はそこまで簡単なものではないはずよ」
ハンナ嬢の記憶が警告する――彼女には無縁のものだったろうにどうして記憶していたのかは分からないが。
誓約は口先だけでは済まない。
誓約を結んだ姉妹は、どちらかが学園を去るまで互いに一蓮托生となる。
姉となった者は妹となった者に指図を出す権利を得る代わりに、それによって妹が行動した結果の全ては姉のした事として扱われる。つまり――ミーアがそんな事をするとは思えないが――私が彼女に何かを言って、彼女が何かしでかした場合、例えそれが私の意図した結果で無かったとしてもその責任を負うのは私という事だ。
そして妹になった者は、姉の決定に対してただ二つの例外を除き一切反対する権利を持たない。
一つは法律と校則に違反する行為を命じられた場合。もう一つは命じられた行為の責任を自らが負うように言われた場合。
それ以外であれば、例えどのような指示であっても従わなければならない。勿論その見返りとして、他者に対して誰かの妹であると名乗る事が出来る。彼女がこれを目当てに誓約を結ぼうとしているのは分かった。妹への侮辱は姉への侮辱。
そしてこれもお国柄か、侮辱に対する自力救済――簡単に言えば決闘は認められている。勿論決闘を吹っかけられた側にも条件が揃えばそれを拒否する事は出来るが、それをせずに拒否すれば家名には大きな傷がつく。
つまり、合法的に先輩が出ていってシメることが出来るという訳だ。成程抑止力としては十分だろう。
「よく考えて。貴女は私の妹でいいの?」
だからこそ改めて尋ねる。
誓約において、姉は絶対だ。
妹になるというのはつまり、あなたになら何をされても文句を言いませんという宣言に他ならない。
――いや、別に変な事しようという訳ではないが。
「……ごめんなさい」
しばしの沈黙の後、返ってきたのは震えた声のその一言。
「別い謝る事ではないわ。それだけ貴女も――」
辛かったのよね。そう言おうとしたところで、彼女の言葉が続いた。
「やっぱり、私ではご迷惑をかけてしまいます」
「あ、いえ。そういう意味で言ったのでは……」
そう言いかけて、私も黙ってしまった。
なら、どういう意味で言ったのだ?お前が重荷になると、お前の責任を負いたくないと、そう取られかねない言い方をしていたのではないか?
「どうかお忘れください……。ハンナ様を用心棒代わりにしようとしたのですから……」
「えっ、あ……」
その声が震えている事も、テーブルにいくつか染みが出来ている事も分かった。
「と、とりあえず、落ち着きなさいな。ねっ、顔を上げて」
嘘泣きではない。
「えーっと、大丈夫、泣かないで。泣くのはおよしになって」
「ごっ、ごめんなさい……」
この子に泣かれると弱い。
多分拒否されたからではない、自分が切り出したその究極的な解決手段に冷静に反論されてしまったことが恥ずかしくてならないのだろう。
自分だけが切羽詰ってしまって、相手が平常通り、このギャップは結構苦しい。現代にいた頃に経験がある分余計に分かる。
「えっと……」
何とかしてあげたい。それは事実だ。
誓約は恐らく有効な方法だろう。
だが、私自身は踏ん切りがつかない。何故?この子の覚悟に付き合えない。もっと言えば、自分が誰かを従える、誰かの行動を自分で決定できるという責任が恐ろしい。
彼女がどういう人間かを――少なくとも私といる時にはどうしているのかを――知っていて、決して悪い娘ではないという事を分かっていても、それはプレッシャーとなる。
そして、誓約以外に効果的な解決方法を思いつかないのもまた一つだ。
教師への相談は難しい。ホームルームが無い以上誰に言っていいのか分からない上に、コンロイ寮長のような例もある。相談相手が下手な所に通じていないとも限らないのだ。
「……」
涙は女の武器というのはよく言ったものだ。
本当に私はこの子の涙に弱い。
(あの痣なんだよな……)
あの時見た痣と、話に聞いた冷水バケツを思い出す。
「……」
この娘はずっと一人で抱えていたのだ。
今にして思う。最初に見慣れぬ痣を見つけた時には、既に始まっていたのだろう。
その頃からずっと、私には分からないように、いつも通り振る舞いながら、一人で隠れて泣いていたのだろう。どこで知ったのか、メイドにすら分からないように夜に一人でひっそりと。
「……ねえ、ミーア」
それを踏まえて改めて尋ねる。
「本当に、私でよろしいの?私が姉で、後悔なさらない?」
自分に言い聞かせる――落ち着け私。落ち着いて、焦らず、覚悟を決めろ。
ミーアの頬が赤くなったのは、ただ泣いていたからだけではないだろう。
「……私は」
「ん?」
「私は嬉しい……です。もし……もしハンナ様が……」
最後の方は消えてしまいそうなほどに小さな声だった。
だが確かに私には聞こえていた。「嬉しいです」と。
「……そう」
なら、もう答えは一個しかない。
翌日、私は昼休みに食堂の外でシャーロットに声をかけた。
「ごきげんよう。シャーロット」
「あら、ごきげんようハンナ」
そこには待ち合わせて合流したミーアも一緒だ。
「お久しぶりですシャーロット様」
「あらミーアじゃないの。お久しぶりね」
表向きは何も思っていないような口ぶり。
中身もそのままなら言う事なしだが。
「……実は私たち貴女に、ミス・シャーロット・ベニントンにお願いがございますの」
「あら、何でしょう。ああ、ちょっとお待ちになって」
そう言って彼女は私達を連れて談話室に入る。
生徒同士のやり取りに使われるこの部屋だが、今は誰もいなかった。
「さて、改めて伺いましょう」
テーブルを挟んで向かい合って座った私達にシャーロットは切り出す。
私とミーアは互いに見合わせ、そして私が口を開く。
心臓が早鐘を打つ。嫌な緊張感が私の中に張りつめる――多分ミーアと同様に。
「実はね、私達姉妹誓約を結びたいと思っておりますの。……それで、貴女に立ち会いをお願いできないかしら」
(つづく)
今日はここまで。
続きは明日に。