三回戦6
翌日、無理矢理眠った朝は、その寝入りと同様に無理矢理起きなければならなかった。
そして現代に生きていた頃からだが、そんな日は碌に授業など頭に入る状態ではない。
こういう時は昼休みに眠るに限るが、それまでは眠い目をこすって起きていなければならない。まあいい。どうせ聞き流しても大して困らない授業だ。それに、眠気が襲ってきてもそれ以上に昨日の夜から続いているあの問題の答えを探すことの方が勝っている――少なくとも今はまだ。
「――こうして隣国の侵略によって第二次名誉戦争は始まりました。この戦いで――」
BGM代わりの授業がより眠気を誘う。
聞く気のない話を延々とされるのはこうもつまらないものか。
この学校における歴史の授業など、所詮プロパガンダを垂れ流しているに過ぎない。それも貴族にとってのみ都合のいいプロパガンダを、だ。
第二次名誉戦争において当時の貴族たちは国難を前に一致団結し、皆一致団結して侵略者に一歩も退かず雄々しく戦い、遂に侵略者を国内から完全に追放した――それが授業で語られる歴史だ。
だが、現実は違う。実際に隣国の兵が国境を越えた時、貴族たちの大部分がしていたのは逃げる算段だった。
皆宮廷に籠り、のらりくらりと責任の押し付け合いをしながら、家財を抱えて亡命する事だけに汲々としていた。あろうことか敵側と密通して情報を流した挙句、自国領をすらも明渡し、国民と領土を手土産に敵側に寝返る考えすら持っていたのだ。
その筆頭にして今語られている真逆のプロパガンダの卸元の一つであるハインリッヒ家のお嬢様の記憶がそう言っているのだから間違いない。
かつて自宅の書庫で見つけたこの家の真実の歴史を見た日から、ハンナ嬢は歴史の授業なるものが、少なくとも貴族の子弟に対して施されるそれが、自分の親族が適当に作り上げた虚構であるという事に気付いていた。
――この学園に少数ながら在籍している騎士や平民=実際の功労者たちの子孫は、どういう気持でこの授業を聞いているのだろう。
(早く終わんないかな……)
そんな馬鹿げた虚構より、よっぽど頭の中の問題の方が大切だ。
どうにかしてミーアを助けたい。
彼女が私や周囲に現状を知られたくないのは分かった。だがそれでも私はあの子を助けたい。
(なんとか、良い方法は無いものかね……)
「この時ショルズ伯は三日三晩不眠不休で駆け回り――」
どうにもプロパガンダがうるさい。
ここはひとつ、静かで集中できる場所にいって、しっかり真面目に考えよう。
幸いにして仮病のやり方は俺とハンナ嬢とどちらの記憶にもしっかりと残っている。
授業を抜け出して潜り込む保健室のベッド。
少し寝ていれば治ると適当に保険医に伝えて横になる。
こういう場所の保険医などかなり気を使う仕事だと思うのだが、どうやらそうでもないらしい。
いや、こういう場所だからこそ、本当に病気ならそれを見抜ける人間を置いているのかもしれない。となれば?まあいい。今は厚意に甘えよう。
「どうするか……」
しんと静まり返った保健室のベッドの中で密かに声を漏らす。
取りあえず一つずつ考えていこう。
現状:ミーアは何者かにリンチされている。
理由:不明。いくつか仮説を立てる事は出来るが、現時点ではどれも決定打が無い。
私としては彼女をなんとか助けたい。
だが、彼女はその被害を隠そうとしている。
こちらの理由:これもいくつか仮説を立てる事は出来るが、同じく決定力に欠ける。
「うーん……」
何かないか?
色々な考えが頭に浮かんでは消えるが、悲しいかな、寝不足の状態でベッドの中という状況はものを考えるのには向かない。
「……」
徐々に思考にフリーズが多く発生するようになり、目を開けている時間も、閉じている事を認識して開く回数も減っていく。
「……」
そのまま意識を手放してしまった事に気付いたのは、授業が終わって少ししたぐらいの時間が経ってからだった。
結局何も思いつかないまま保健室から離れ、何とかして解決する方法は無いかと糸口を探し続けるが、成果は芳しくない。
いや、一個だけ思いついた手はあるのだが、これは手でもなんでもない。
しかし他に何かいい方法があるのかと言われれば何もないのが現実だ。
(これは……いやでも他にある訳でも……)
次の授業も適当に聞き流しながら、その一個だけ残った解決法の候補を吟味する。
――といっても、実際には吟味する時間は少なかった。考え込んでいた時間の大半は方針から一歩進んでその方法=本人の口を割るためにはどうしたらいいかに費やされることになった。
そしてそのまま昼休みを迎え、食堂で昼食を詰め込んだ後自室に戻って一眠り。それから午後の授業を対ミーアのシミュレーションに当てる。
放課後、いつものように着替えてから人気のない練習場所へ。先に来ていたミーアと合流する。
「「よろしくお願いします」」
見たところいつも通りだ。
ストレッチも走り込みもミット打ちやそれ以外の練習中も何かを抱え込んでいるようには見えない。それどころか、いつも以上に集中しているようにすら思える。
(いや、だが決行する)
一瞬浮かんだ希望的観測――私の勘違いだったのでは?
だがそれを瞬時に振り払い、頭から叩きだすようにミットに蹴りを叩き込む。
直感に従う。やると決めた。間違えていたら私が恥をかけばいい。この子を放っておく訳にはいかない。
そしてそれを結論に頭を切り替える。
「ハアッ!」
「ッ!ナイスキック!」
今は練習に集中する。次の試合に誰が来ても全力を出せるように。
そして、決行の時は来た。
「「ありがとうございました!」」
辺りが薄暗くなってきて、今日の練習は終わり。
パートナーから先輩と後輩へ戻る。
「今日もありがとうミーア。……あの、ところで」
「はい?」
いつも通りに返事をしながらしかし、私の表情から尋ねる内容が軽い事ではないと気付いたようだった。
「なんでしょう……?」
神妙な表情で私の顔を見返してくる。
「あのねミーア、貴女……」
そこで一拍。
ここから先は口に出したらもう戻れない。
覚悟を決めろ。叩きつける覚悟を。
「貴女、何か悩んでいるのではなくて?」
「えっ!?」
悩みが無いという発言を自ら封じるような驚きのリアクション。
「……何か辛い事があるのなら、私に仰ってみて」
バケツの事も痣の事も口には出さない。
「な、なにを……」
「単刀直入に言って、お友達と上手くいっていないのではなくて?」
「!?」
間違いであれば相当に失礼な部類に当たるだろう。
だが、このリアクションを見るに恐らく失礼にはなるまい。
「あくまで私の直感です。ですけど貴女、何かを悩んでいるように見えますわ」
「……」
沈黙だけが返ってくる。
長い、長い沈黙が。
時間が止まってしまったかのようなそれの中で私はいつまでも彼女の答えを待っていた。
否定は返ってこない。これだけの沈黙は、既に肯定しているのと同じだ。
後は、彼女がどこまで打ち明けてくれるかだった。
「……今夜」
「ん?」
その声は消えてしまいそうで、そして何かを必死に堪えているようでもあった。
「今夜、もしよろしければ……夕食の後……、お付き合いいただけませんか」
最後の方はほとんど掻き消えてしまうような声だった。
「ええ。勿論ですわ」
だからそれに応える声は努めて大きく、明るいものにしようとした。
少しでも安心させるために。
「……ありがとう、ございます」
だが返ってきたのは消え入りそうな少し鼻声になったそれだけだった。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に。