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三回戦5

 マルタは続ける。

 「なんでも、ここ数日らしいのですが、ミーア様が夜お部屋にバケツ一杯の冷たいお水を御所望されるそうなのです。理由を聞いても教えてくれないそうで……。彼女ももしや何かお体の具合がよろしくないのではと心配しておりましたので……」

 バケツ一杯の冷たい水。

 そして昼間に見たあの痣。

 嫌な想像が音を立てて積み上がっていく。


 「……そのバケツ」

 「はい?」

 「そのバケツ、どれぐらいのものなの?」

 質問の真意は分からなかったようだが、それでも答えは返ってくる。

 「私達が普段使っているものですので……、お風呂場のものよりも深くて、口の大きさは同じぐらいです」

 風呂場で使っている例のバケツを思い出す。

 人が顔をつけることは出来る大きさだ。


 ますます鮮明に想像が掻き立てられる。


 「中の水はどうなっているのかしら?その……あの子がそのメイドに返却する時」

 「ほとんどそのまま残っているそうです。ただ……」

 「ただ?」

 「ただ、濡れたタオルを一緒に返される事があるそうですが」

 中の水はそのまま。濡れたタオル。

 想像は、最早頭の中にその光景を思い描けるほどになっていた。


 「ハンナ様、何かお心当たりはございませんか?」

 「え?えっと……」

 だが何と答えたものか。

 自分の頭の中にある考えをそのまま伝えるべきだろうか。一瞬そうも思ったが、実際に口を突いたのはそれとは正反対の言葉だった。

 「いえ……、特になにも……」

 その判断の善し悪しは別にしてミーアは隠していた。何もないのだと伝えていた。少なくともそうしようとしているのは分かった。


 勿論だからといって興味を失ってしまっていい問題ではないだろう。

 だが、証拠がない。

 そしてそれに加えて、彼女自身の意思に反した行動を、本人のいない所で、私の独断で独断で行うべきではないだろう。

 理由は分からないが彼女は知られたくなかったのだ。少なくとも私と、そのメイドには。

 なら、ここで私が勝手な推測――決定的な証拠がない限りはその域を出ないのだからそう呼ぶしかない――を根拠に言いふらしてしまうのは躊躇われる。


 「まあ、多分あの子にも何か考えがあるのでしょう」

 適当にそう誤魔化しながらしかし、それを口にしている間も私の心の中では仮説が真実味を持ってきていた。

 「そうですか……あ!」

 「うん?」

 突然素っ頓狂な声を上げたのにつられて思考を中断する。

 「あ、あの……、今更このようなお願いは大変恐縮なのですが……」

 「何かしら?」

 マルタは縮こまるように頭を下げながら続ける。


 「どうか、私やミーア様のメイドからこのような話を聞いたという事は、今限りで忘れてくださいまし。決して私も彼女も卑しい好奇心で伺ったのではないのです。ただ彼女が、ミーア様の事を心配していたので、ハンナ様が何かご存じならと――」

 自分と私の関係を思い出したのだろう。

 まあ、彼女の立場なら無理もない。この学園の中での話とはいえ、彼女たちはメイドで、私やミーアに仕える立場にある。

 それを踏まえて今の状況=主人に当たる相手の事を、使用人が勝手に詮索した揚句他所にばらしている。一般に褒められた行為ではない。事と次第によっては免職の可能性があるぐらいには。

 ――だが、今は仕方ない。


 「ええ。分かっております。貴女の口から聞いた事はすべて忘れましょう」

 「有難きお言葉。感謝いたします!」

 これまでの口ぶりからして、多分彼女は知らないだろう。

 知らない方がいいのだ。


 結局、その後部屋に帰ってからもミーアの話が頭から離れなかった。

 しかし同時に、そこまで気になるのなら会いにいって直接確認しようかという考えを実行には移せなかった。


 (行きたいが、でもな……)

 何を言えばいいのかが分からない。もっと言えば、まさにその現場に遭遇してしまう可能性が無いとも言えない。

 それになにより、私には彼女にかけるべき言葉も、取るべき態度も解決方法も思いつかないのだ。

 なんとかしてやりたい。だが、何をどうすればいいのか分からない。

 押しかけていってもいいのかもしれない。だがそれがどういう結果を生むのかも分からない。


 そのまま、マルタが自室に下がるまで碌な考えが浮かばないまま時間だけが過ぎていった。


 「それでは、本日はこれにて失礼いたします。おやすみなさい」

 「今日もありがとう。お疲れ様。おやすみなさい」

 一人になった部屋。

 灯りを消してベッドに潜り込んでも、頭の中に渦巻いている問題が目を冴えさせている。


 「こっちにもあるとはな……」

 思わず呟いた言葉が、カーテンの隙間から射す月明かりだけが照らす部屋に消えていく。


 冷たい水を湛えたバケツと見慣れない痣。その二つが私の中の“俺”の記憶を呼び起こす。

 高校時代、お世辞にも優等生が集うとは言い難かった母校に先輩方から代々伝わったものの中には、発覚させないようなリンチのやり方も含まれていた。

 ――まさか、それをこの世界の貴族のお嬢様が知っているとは思わなかったが。


 「間違いないよなぁ……」

 再び呟きが漏れ、再び月明かりと暗闇の中に溶けていく。


 直接手を下すリンチは場所選びから始まる。当然ながら人目に付く場所は論外だ。

 そしてその場合に選ばれる場所の一つにトイレがある。

 場所を決めれば、後はターゲットを数人で囲んでそこへ連行し、必要なら一人見張りを立ててから実行する訳だが、その時に用意するのが冷水だった。トイレが選ばれる理由の一つにはこれもあったように思う。

 泣き入った相手を洗面台に連れて行き、そこに冷水を溜めて顔を突っ込ませるのだ。

 そしてそこで泣かせる。もっと言うと、そこ以外では黙らせておく。

 普通、泣いていた人は顔を見ればなんとなく分かる。これは泣き腫らしているからだが、瞼を冷やすとこれの発生を抑えられるのだ。


 このため顔を狙わないのと水に顔を着けさせるのは発覚を避けるための効果的な方法だとされていた。 もっともこれにはその目的も兼ねた水責めをするという場合もあるのだが――なんでこんな記憶があるのかはこの際置いておく。


 後は当人が口を割らなければ決して表沙汰になることはない。そしてその部分で当てが外れることはまずないと言っていい。

 ――つまり、今のミーアの状況と同じだ。


 「どうするべきか……」

 そして、そうした状況を部外者が解決する事が困難なのも、こちらの世界でも共通だろう。

 いや、相手から強制させられているのではなく自分で冷水を用意している=自分で隠そうとしている分こちらの方が深刻かもしれないが。

(つづく)

今日はここまで

続きは明日に。


試合開始まではもう少しご辛抱を

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