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エントリー2

 振り返った先に予想通りの相手。

 癖のない長い金髪を寝る時どうしているのか不思議なほど大きな縦ロールに仕上げた、金髪碧眼の少女。


 声の主=シャーロット・ヘレン・ベニントン・ラ・モルゲンフィールド。同じく西棟の同級生で、いけ好かない公爵令嬢。


 ハンナ嬢の記憶の中の彼女は、同じく記憶の中のハンナ嬢と似たり寄ったりの糞アマだ。

 自分への態度が気に食わないと言って取り巻きに責めたてさせ学校を去らせた下級貴族や平民の子は一人ではないし、そうした取り巻きたちを気まぐれに振り回すことなどなんとも思っていない。地球が回っていて、日が沈めば夜になるのと同じぐらいの感覚で全ての人間は自分に傅くと考えているような代物。


 要するに同族嫌悪だった。


 「あら、ごきげんよう」

 だがそんなものおくびにも出さずに挨拶を返す。相手がそうしているようにあくまで平静に。それがここでの嗜み。

 制服のスカートの裾を手でつまんで膝を軽く曲げる。相手のそれは憎らしいぐらい自然な動作だ。


 「あら?こちらに何か御用がおあり?」

 その言葉を吐き出すよりも前に、その眼は私の手の中の応募用紙を見つけていたし、それが何なのかも見抜いているだろうに。

 「ええ、少し」

 言葉を濁してからそれは失敗だったと理解した。奴の追跡は止まらなかったから。


 「もしかして、武闘大会にお出になられるのかしら?ウフッ、まさかね」

 ああ。そのまさかだよ。

 「え、ええ。実はそうですの」

 そんな事は分かっているだろうに、さも意外だったと言わんばかりにその目を大きく見開いた。

 そこにあるのが形だけの驚きと、よりはっきりした軽蔑であることは俺にも分かった。


 「そうでしたの!それは素晴らしい事ですわ!」

 訳:血迷ったのかしら?死にかけだけあって哀れなくらい必死ね。


 勿論言葉の上ではそれは分からない。だがその目つき、分かりやすすぎるほどに大袈裟な声とが、キンキン響く声よりも遥かにしっかりとその内心を伝えていた。


 「今まで存じ上げませんでしたけど、貴女格闘術の心得がおありでしたのね」

 「お恥ずかしいですわ。拙いものですので……」

 ないことなど、少なくとも“ハンナ嬢には”無いことなどこいつは知っている。

 その記憶は鮮明に残っていて、今までハンナ嬢が知り得た事は大体こいつも知っているのが常だった。

 実力伯仲のライバルと言えば聞こえはいいが、その実ただ同レベルの喧嘩相手と言うだけだ。実に細かな、平民で男である感覚からすると全く分からない貴族のご令嬢同士の喧嘩――包み隠さず言えば実に下らない意地の張り合い。お家がどうの、面子がどうのをもっともらしく理由に選び、その口実の下でのマウント合戦が実情だ。


 その喧嘩相手はとてもそうとは思えない程の馬鹿丁寧さで言葉を続ける。小さく品よく笑いながら。


 「ご謙遜を!同じ寮の友として、御健闘をお祈りいたします。お家、大変なのでしょうから、少しでもお父上の、公爵閣下のお励ましになられますように」

 最後のが言いたいだけだというのは馬鹿でもわかる。

 公爵閣下――そう呼ぶのは今日が最後だと言わんばかりに強調して。


 「……ありがとうございます。光栄ですわ。では、ごきげんよう」

 「ごきげんよう」

 彼女との距離が十分開いたところで深呼吸を一つする。

 そうだ。私は公爵ドミニク・カスタロッテ・リディエル・ハインリッヒ・ル・ラルジュイルが長女、ハンナ・コーデリア・ハインリッヒ・ラ・ラルジュイル。落ちたりとは言え名門貴族ハインリッヒ家の一族だ。ハインリッヒたるものは常に優雅に、常に堂々とあらねばならない。怒りにまかせて荒々しくノックするなどあってはならないし、提出する応募用紙を握り潰すなど言語道断だ。


 念入りに手の中の応募用紙のしわを伸ばし、落ち着いたところで改めて扉に手を近付け――そこで奥へ逃げるように扉が開かれた。


 「あら、失礼いたしました」

 扉の向こうに現れた生徒が軽く驚いたように頭を下げる。

 毛先がうなじに届くかどうかの短いポニーテールに結われた銀髪がその動きに合わせて小さく揺れる。胸元のリボンタイは緑。一学年下だ。


 「こちらこそ失礼いたしました。お先にどうぞ」

 出る側を優先するために体を開く。恐らく今後ライバルになるだろう彼女は、その凛とした顔に少し驚いたような表情を浮かべながら、そのすぐ後には深々と頭を下げた。

 「ありがとうございます。ごきげんよう」

 「ごきげんよう」

 ここにきて何度も――そしてついさっきも――聞いた挨拶。しかしながら彼女のそれは先程のものよりも遥かに心地よく聞こえた。




※   ※   ※




 「随分としぶとく残っておりますわね……」

 自室に戻る道すがら、私=シャーロット・ベニントンはあのいけ好かないハンナ・ハインリッヒを思い出していた。

 言葉ではそう言いながらしかし、あの顔を思い出すと自然と口元が緩む。

 ハインリッヒは最早死に体――父も社交界に顔のきく姉もそう言っていたし、セバスチャンも近況報告の手紙を寄越してきた際にそれに同意していた。校内の情報網でもその話はしっかりと伝わっている。

 それに加えてあの雷。天すら私に味方したのだと痛快この上なかった――もっとも、その後奇跡的に目を覚ましたと聞いてそれに水を差された訳だが。


 だが、まあそれだけの事だ。


 どの道ハインリッヒ家などもはや終わりだ。あの憎らしい女の、あの滑稽な姿!

 格闘の心得?ある訳がない。授業の体操ですら嫌がる様な運動嫌いが。

 血迷ったのだ。間違いなく。頼みの綱のお父上が最早頼れないとなって。そして没落し、これまで歯牙にもかけなかった凡愚の下々と同じかそれ以下にまで落ちる事を考えて――まあ、気持ちは分かる。言わば明日から誰も知らない土地で馬や牛と共に生活しろと言われているような物なのだ。


 「ウフッ、フフフッ」

 野蛮で、汚くて、危険な世界。そこに放り出されるあの高慢ちき!その姿を考えるだけで口元の緩みを抑えきれない。

 だが――。


 「念には念を……という事もありますわね」

 用心するに越したことはない。

 幸い、こちらには駒がある。それなりに腕に覚えのある駒が一人。


 「あれなら適任でしょう」

 あれを出場させてみよう。生まれは取るに足らない貧乏男爵の家だが、それ故に使い勝手がいい。

 なによりあれの婚約者は我がベニントン家に借金を抱えているのだ。裸で町を練り歩けと言っても断れまい。


 全く、取り巻きは多いに越したことがない――あれを見ているとその事を改めて実感する。あれも貴族とは言え友人と呼ぶにはあまりに釣り合わないが、こういう事に使える日が来るとは思わなかった。

 私とてあの大会のルールは知っている。凡そ名誉にかかわることで、我が家の関わらないことなどあってはならない。

 武闘会の各寮出場枠は四人。それぞれの寮で希望者を募り、定員以上の出場希望があった場合は抽選で選ばれた組み合わせでの予選が行われる。


 生徒会内部にも伝手はある。出場する西棟の定員オーバーになるまで送り込み、かつ予選の抽選に細工するなど容易い事だ。

 ――もし噂が本当なら、ハンナを下した後であれに邪魔者を始末させ、当たるようなら棄権させればよいだけの事。当然、私の名を“あの方”が聞かない筈はないだろう。


 「ふふっ、ふふふっ」

 自然と笑みが漏れる。これから先に見える未来。ようやく消える目の上のこぶ。小躍りしたくなるのを抑えるのが精一杯だ。

 きっと父上もお喜びなっておられるだろう。目障りなハインリッヒ家が最期の時を迎えているのだから。


 止めを刺してあげますわ。ハンナ。

 そして、完全なる勝利を。我がベニントン家と、我が名に賭けて。

(つづく)

今日はここまで。

続きは明日に。

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