二回戦12
「ぐ……」
「まだお立ちになるのね」
言葉を言い終わる前には既に転がった勢いで立ち上がっている。その顔には未だに笑みを湛えている。
「……いやはや、驚きましたわ」
そう言いながら、まだ楽しそうな笑みは消えない。
「先程から、随分と嬉しそうですのね」
「ええ。……とっても!」
最後の一言と同時に踏込み。
「ッ!」
「ふっ!!」
飛び込んでの掌打を躱し、カウンターを顎に叩き込む。
一瞬動きが止まった所で追い打ちのロー。
捕えようと伸びてきた腕がインパクトの瞬間に止まる。
「くっ……」
止まった隙を逃さず、蹴り足をそのまま上げて股間へ。本日二回目の蹴り上げは、今度こそ十分なダメージを与えている筈だ。
「あああっ!!」
「なっ――」
だが、止まらない。
痛みを咆哮に変換したかのごとく、叫びながら動き続けて抱きかかえるように私を捕まえる。
「この……っ」
「おおおぉっ!!」
抗おうとしてもその怪力の前では無力だ。
私はあっさりと宙に上げられ、奴はそのまま私ごと前に倒れ込む。
「がはっ!!」
体ごとの叩きつけでは受け身を取る事も出来ない。
面で落ちた背中からの衝撃が全身を駆け回り、肺の中身を全て吐き出させる。
「ぐっ、げほ……っ」
むせ返ったその先には両手を祈るように組み合わせた奴の姿。
その両手のハンマーが顔面めがけて振り下ろされる。
「ぐっ!?」
咄嗟に両腕で顔を庇うが、叩きつけの衝撃を受けきるよりも前にハンマーを解かれた奴の手がしっかりと腕を捕まえている。
「ぐうっ!」
その腕ごと力ずくで引き起こされ、凄まじい力で腕を引きずり込まれる。
「……っら!」
「ごっ!?」
なら、こっちからもお礼だ。
引き起こされる瞬間、その勢いを額に乗せて、奴の鼻に叩きつける。
足が使えず、こちらが下になっている分勢いは出ないが、水平になるまで待てばそれも関係ない。
それに、しっかりと鼻を潰している。飛び散った血が何よりの証拠だ。
「ごっ、ぐぅぅぅっ!!」
鼻は効く。思わず腕を放してしまう程に。
そしてその隙を逃すつもりはない。
怯んだ奴の股間から足を引き抜き、先程奴がやったように転がって距離を取ると、その勢いを活かして飛び起きる。
何とか脱出に成功したが、やはり敵もさるものだ。命中から精々一秒か二秒程度だろうその攻防の終わりには、既に鼻の痛みに区切りをつけて立ち上がっていた。
「敬服いたしますわ」
思わず漏らしたその言葉はお世辞抜きの素直な気持ち。
普通、鼻を折られるというのはとんでもない地獄の苦しみを味わうものだ。だが、いくら興奮状態とは言え、ただ二秒で、それもまだ血が流れ続けているのにも拘らず、悠然と立ち上がった彼女はまたあの笑みを浮かべている。
「恐れ入ります」
ふしゅっと音を立てて血飛沫が舞い、それで痛みが飛んでいったかのように一言添えながら構え直す。
直感:こいつに痛みは効かない。
予測:タップなど、恐らくしないだろう。
ではどうする?簡単だ。
「では、続けましょう」
「ええ。望むところですわ……よ!」
再びの突進。津波のような左フックを躱し、飛び込もうとした矢先に右アッパーに足止めされる。
それが吹き抜けた今度こそ――その矢先、再び奴の鼻がふしゅっと音を立てた。
「!?」
本当に、本当に大した奴だ。血飛沫による目つぶしとは。
こんなの反則スレスレだろう。それに何より、自分だって無事ではあるまい。
「はあっ!!」
一瞬動きが止まった所に奴のドロップキックが叩き込まれ、その勢いに吹き飛ばされる。
「う……」
立ち上がった所へ突っ込んできた低空タックルを危うく転がって回避する。流石に今度捕まったら無事では済むまい。
「……ッ!」
目を乱暴に擦って視界を確保。と言っても血は水とは違う。そう簡単に全てふき取れるわけではない。
そしてその間も、奴は動き続けている。
「あああっ!!」
辛うじて見えている左目だけで何とか相手の動きを見るが、流石に片目では分が悪い。
「おおっ!」
「ぐぅっ!」
躱しきれなかった拳が腹に突き刺さり、思わず呻く。
しかしそれで終わる訳もなく、一撃によって前のめりになった事で晒してしまった首筋に今度は肘が降ってくる。
「がっ!!」
思わず膝をつく。
その直後の攻撃=顔面を狙ったケンカキックに対して私が出来たのは、ただ胎児のように体を丸め、顔を両手で覆う事だけ。
もろに叩き込まれた蹴りで体が浮き上がり、そして転がされる。
「ぅ……ぁ……、ぁ……っ!!」
その状態で、奴が転がった私の足を取りに来たのをギリギリに察知出来たのは、ほとんど奇跡と呼んで良かった。
なんとか紙一重で奴を躱して、ふらつきながら立ち上がる。
だが、奴とてそれでは諦めない。
同じように立ち上がると、既に構えを取っている私に飛び込むのは無謀だと判断したか、自身も構えて、小刻みに左右に振る動きを始める。
――いいだろう。
私もそれに応えるように奴の背後に回ろうと動く。
――その気ならやってやる。
思い浮かべたのは、かなり危険な方法。だが、反則ではない。
なら、それに躊躇はしない。
「……」
背後に回ろうとしながら間合いを詰めていく。
少しずつ奴の視界の外に出ようと動き、その度に奴がこちらに向き直ってくる。
「ハッ!」
奴のジャブを捌くが、反撃はしない。
続いて飛んできたストレートも同様。
――さあ、来い。打ってこい。
こちらはしっかりとキックの基本となる構えを取り奴の手業を捌き続ける。
となれば奴が取るべきは三つ、何とかしてこの構えを崩すか、或いは無理矢理に掴みかかるか、出なければ蹴るか。
「シャッ!」
だがそうはいかない。
パンチから掴もうとするが、それも躱す。そもそも触らせなければ掴めはしない。
続いてタックルに入ろうとするのを、ジャブで牽制しておく。平然と向かってきたとはいえ、鼻のダメージは残っている。無意識に顔への攻撃からは距離を取ろうとしている――つまり、ジャブを出していれば飛び込んでは来られない筈だ。
とは言え、飛び込ませないだけでは意味がない。それに今はともかく、この状況がこのまま続くとも思えない。
「ハアッ!」
顔面へのストレートを躱し、防御を更に上げる――だから、この手をとる。
防御を上げた。これまで続いていた顔への攻撃に対応するように――そう見えるように。
そうしてがら空きになったミドルを見せつつ距離を取る。手では微妙に届かない距離に。
「シッ!」
それを逃すはずもなく、腹へのケンカキック――こちらとしても逃す理由はない。
「ふっ!」
「なっ……」
その蹴りを迎えに行くように飛び込む。僅かに体を傾け、相手の蹴り足を包み込むようにして両手でその蹴り足を掴む。
「シャァッ!!」
そしてただ一本で全体重を支えている軸足の、その膝を思い切り蹴り抜いた。
「ッ!!?」
異常な感触が伝わってくる。
その何とも言えない関節の感触を全身で理解する前に、支えを失った奴の身体が崩れ落ちてくる。
――だがまだ終わらない。
「タッ!」
チョークスリーパーの時の変形。放してやった蹴り足で辛うじて支えている奴の背中に飛び乗り、更に肩車へ移行。
「っらあ!!」
そしてそのまま三角締めに持ち込んで後ろに倒れた。
尻からの着地。それと同時に首が極まる。
「……ッ!……!!」
奴も何とか引き剥がそうと暴れるが、足が一本死に、床に寝かされた状態では碌な抵抗などするべくもない。
そのまま転がり、這いずり、持ち上げようともがく。
「……ッ!」
「……ッッ!!」
奴が止まるまで締め付け続け、そのまま数秒。
その時は唐突に訪れた。
「……っか!」
その音だけを発して、大蛇のように暴れ続けたその体が、急に動きを止めた。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に。
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