二回戦5
翌日の放課後、私は急いで自室に戻ると、ほとんど放り投げるように制服を脱いでコスチュームに着替えた。
別に遅れている訳ではない。
それに二試合目だ。まだ十分に時間はある。
だが、今朝改めて確認した掲示板の第二試合場の掲示には急ぐべき理由が記されていた。
第一試合
東棟 ソニア・フランシス・ローゼンタール・ラ・シュタインフルス
VS
西棟 シャロン・コンスタンス・ドゥラ・サブラ
今日だけは私もファンクラブの一員となることになった。
せっかくこちらが手の内を晒しているのだ。彼女のそれを見せてもらっても構わないだろう。そもそも試合とはそういうものだ。
試合場に到着した時はまだ試合は始まっていなかった。というより、まだまだ時間は十分にあったのだが、それでも熱心なファンたちは既に試合場を取り囲んでいた。
「ハンナ様」
「こちらにいらしたのですね。お部屋にはもういらっしゃらなかったので……」
後ろから良く知った声たちに呼ばれる。
「あら、二人とも来ていらしたのね」
振り向いた先にミーアとマルタ。
振り向いた事で背後になった試合場を指して答える。
「ええ。敵情視察……と言った所かしら」
勿論アップはするけれど、と付け足すと、それとほぼ同時に背後でわっと歓声が上がった。
「……来ましたわね」
振り返った視線の先。衣装以外は昨日と同様の会長殿。
取り巻きたちも昨日と同じ――いや、昨日よりも増えている。
「会長、やはり凄い人気ですね」
ミーアが唖然としたような声を上げる。
同感だ。前も思ったが、この空気の中では対戦相手はさぞやりづらいだろう――それこそ、やらせが起きるとしたらこちらの方が有り得るのではないかと勘繰ってしまう程に。
そんな風に黄色い歓声の中試合場に上がり、その歓声に丁寧に礼をする姿を見てふと思いついた。
「ねえミーア。貴女、会長の使う技について何かご存じ?」
彼女なら私より事情に通じているかも知れない。もし彼女が知らなくても、古巣が何らかの情報を持っていた可能性はある。
だが、返ってきた答えはノーだった。
「それが、私もよく知らないのです。あちらの方々も実際に会長が戦われるところをご覧になった方はいらっしゃらなかったかと」
「あら、そうでしたの」
意外だった。これほど人気者の会長である。あのシャーロットが何らかの意思を持ってマークしていても不思議ではなかっただろうに。
当ては外れたが、その考えだけはそうではなかったようだ。
「確かにシャーロット様は会長にご執心なさっておられました。ですが、そもそも会長が武闘大会にご出場になられるのは今回が初めてだそうで、それまでその実力は未知数であったと……」
一体何を思って今回急に出場を決めたのだろうか?
それは気になる所ではあるが、今は置いておこう。私はスポーツ新聞の記者ではない。
まあいい。もう一度改めて試合場に目をやる。
その道着から恐らく空手か柔道か、その辺りだと推測できる。実力は一回戦を見る限り本物だろう。とても興味本位の冷やかし参戦とは思えない。
「ま、見れば分かりますかしらね……」
その姿から目を離さずに呟いたその声は、試合場に揃った二人の呼び出しにかき消された。
「東棟、ソニア・フランシス・ローゼンタール・ラ・シュタインフルス!」
会長がコールされ一礼。ファンクラブが目を輝かせる。
「西棟、シャロン・コンスタンス・ドゥラ・サブラ!」
呼び出された対戦相手の表情には緊張が見られるが、だからと言って硬くなっている様子はない。
同じ西棟の選手だが、彼女は私の記憶には無い。
ハンナ嬢の記憶にも――まあ、これは仕方がない事かもしれないが。
彼女は貴族ではない。名字の後につくサブラは騎士の階級の一つだが、その中でも下級騎士のもの。 ドゥラは騎士の家族を表す単語で、つまり彼女は下級騎士の家の生まれという事になる。
貴族と騎士は遠い。
特に今のこの国では、サブラを名乗る騎士など、兵卒より階級章が一つ二つ多いだけの軍人ぐらいの意味しかない。
特に今や貴族の名誉称号となった上級騎士の階級でもない、精々下士官クラスでしかなく最も数が多いサブラの家の者など、かつてのハンナ嬢からすれば虫けらと同様、ものの数に含まない存在だったのだろう。
で、その騎士の子は私と似たようなコスチュームに身を包んでいる。
「試合時間は無制限。お互いの衣服以外の凶器の使用、目突き、噛みつき以外の全ての攻撃を有効とします。スリップダウンはとらず――」
試合場ではいつもの確認が行われている。
それを聞く表情はどちらの選手も真剣そのものだ――口はばったい事を言うつもりはないが、この場所に家柄や階級は関係ないという事かもしれない。
両者が開始位置へ。審判が二人に一瞬だけ目配せすると、高らかにゴングが響いた。
沸き上がる歓声。その中で両者が前進し距離を詰める。
会長は昨日の足をしっかりと床につけたレティシアのそれによく似た構え――やはり空手なのか。
対する相手は小刻みにステップを踏み、両腕を顔の前に持ってきて出方を窺っている。
流石に同業者は分かる。彼女のバックグラウンドは総合格闘技だろう。
小さく動き出方を見る。少しだけ踏込み、或いは離れ、左右に回り込むように動き、或いは正面から圧をかける。
あらゆる方法で隙を見出そうとしているのがここからでも分かる。
そしてそれが連続するという事は、その悉くが失敗しているという意味でもある。
「……」
会長は動かない。
じりじりと少しずつ間合いを詰めていき、常に相手を正面に捉えてはいるが、動きとしてはそれだけだ。
身長は会長の方がある。つまりリーチでは勝っている。懐に飛び込ませなければ有利に立ち回れるはずだ。
「シッ」
相手が踏み込んでジャブ。隙がないなら崩せばいい。
「シィッ」
更に一発。だが会長は動じず、僅かに後退しただけ。
「シャッ!!」
その僅かな後退を見逃さずに踏み込む相手。
「あっ!」
思わず声を上げたのが自分であったという事に一瞬遅れて気付く。
初めてその拳が目標を捉えた――ただし会長のそれが。
相手のはなった三発目。僅かに下がったガードを越えて顔面を狙った右。
それが届く直前に、ほぼ同時に打ち出していた会長の突きが相手の顔面を捉えた。
「……っ」
そしてその一発で、尻餅をつくように相手が崩れ落ちた。
「え?」
「な、何が……」
後ろで二人の声がする。
何の事はない、その精度と威力とを別にすればただのカウンターだ。
(今の……もう一回、もう一回チャンスがあれば……)
一瞬の事でしっかりとは見ていなかったが、会長のバックグラウンドに見当がつき始める。
もう一度、もう一度同じように突いてくれれば。
「ぐっ!」
慌てて転がるように立ち上がった相手に即座に中段蹴りを叩き込む会長。
しかし流石に二回戦に進出した相手だ。その蹴りをすんででガードし、それどころか反対に掴んで倒しに持っていこうとする。
そう、持っていこうとする。いや、した。
つまり、出来なかった。
「が……っ」
足に腕が伸びた一瞬後には、その蹴り足が引き戻されて軸足に変わり、それまでの軸足が彼女の頭に叩き込まれていた。
そこで彼女の動きが止まる。ワンテンポ遅れて片膝をつき、それでもすぐに立ち上がる。
彼女は弱くない。むしろこの復帰の速さは評価されるべきだろう。
だがそれでも、会長に打ち込む時間を与えていない訳ではない。
それなのにその間追撃が行われなかったのは、つまりそういう事だ――見ていただけで分かる。桁違いの実力差。
(見られている事を分かっている……?)
もしそんな事が分かるのなら、そして分かった上で出来るのなら、私や他の選手に手の内を見せないようにしているのだろうか。
そんな思いが頭によぎった所で、最早立っているのが精一杯の相手に叩き込まれた蹴りから、再び私のチャンスが巡ってきた。
「ッ!!」
顔面への突き。
(やっぱりそうだ……)
生で実物を見るのは初めてだが、多分当たっているだろう。
今の突きの動きが話に聞くその特徴を表していた。
「1……2……3……」
起き上がれない相手。追撃の必要なしと判断した会長――ほんの一瞬だけ目が合った気がする。
「見えたかな?」そう言っているような気がするのは自意識過剰というものだろうか。
「6……7……8……」
カウントは続く。
起き上がる気配はない。
勝負はもうついている。そんな事は私も会長も、そしてなにより転がっている相手自身が分かっているだろう。
やがてゆっくりと10カウントが終わり、ゴングが連続で鳴り響いた。
光に包まれる会場。その中で相手に礼を示す会長。
「……成程」
私は目に焼き付いた一瞬を脳内で再生していた。
ただの突きといえばそうだ。
だが、一般的なパンチ。例えばボクシングのストレートや空手の正拳が拳を横にするのに対し、会長のそれは縦のまま打ち込まれていた。
そして何よりその足。打ち込んだ瞬間、後ろ足がつま先と膝を相手の方に向けるように回転している。 恐らくあの足の動きが突きの威力に通じているのだろう。
聞いた事のある、そして動画でだけだが見た事がある。
この世界で見ることになるとは思わなかった。
あれは空手でも柔道でもない。日本拳法の打ち方だ。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に。
明日はハンナの試合開始の予定です。