二回戦3
「あら、貴女が次のお相手でしたのね」
「どうぞお手柔らかに。ミス・ハインリッヒ」
「こちらこそ、ミス・キャムフォード」
差し出された手を握り返す――大きく平べったい手。
改めて相手をよく見る。タイも色からして同学年。相手の顔に目をやると、チャームポイントだろう大きな目と、恐らくそうではないだろう平らに大きく広がった耳が目を引いた。
(投げ技か寝技か……)
何となく体つきで想像はつく。
加えてこのガタイだ。組みつかれればかなり厄介だろう。
「この様に、対戦する当事者同士は全く問題にしておりません」
私達のその様子を会長は二人に説明していた。
「ですが会長、仮にも御前試合の出場候補です。それに疑惑のある人物を外さないでおられると言うのは――」
尚も食い下がるシャーロット。
だが、それに対しても会長は何でもないように応じる。
「少なくとも私の知る限り、私を含めあの試合を見た選手は皆彼女の実力を疑ってはおりません。それに疑わしきは罰せずというのが、我が国の司法の代々の方針です――」
その後に続いた言葉がいかに強力な代物だったのかは、それを突きつけられた二人の青い顔が物語っていた。
「それにもし、確たる証拠もなしに特定の選手にのみ不利な対応をしたとなれば、それこそ学園の名に傷をつけることになりましょうし、王の御前で行われる試合に何らかの政治的意図をもって働きかけた者がいるなどとなれば、それこそただ名を落とす以上の損害を被ることになりかねないと存じます」
有難い話だ。
つまり彼女はこう言いたいのだ。
これ以上くだらない騒ぎを起こすのならばお前達の家族がどうなっても知らないぞ、と。
直感:恐らくだが、会長は彼女らの動きについてなにかを知っている。
「……た、確かに仰る通りですわ」
引き下がるより他になくなったシャーロット。
流石に情勢の有利不利を見極める能力は備わっている。
「そ、それでは、そういう事でしたら私はこれで……。皆様ごきげんよう」
だが自然に退くのは下手だ。恐らく経験がないからだろうが。
「感謝いたします。会長」
シャーロットとその取り巻連中が逃げるように去って行った後、残された私は会長に礼を述べた。
「いいえ、どうぞお気になさらないで」
何事もなかったかのようにそう言うと、掲示板に貼り出された自身の試合をちらりと見るだけで早々に踵を返した。
「それでは、ミス・ハインリッヒ。そしてミス・キャムフォード。貴女達のどちらとも戦う事が出来ないのは残念です。お互いの健闘を祈りましょう」
それが最後のやり取りだった。
会長はすぐに引き上げ、次の対戦相手であるマリア・キャムフォード嬢もまたその後に続くように去って行った。
「マリア・セシール・キャムフォードね……」
残された私は人もまばらになった掲示板に貼り出された自分の試合を確認する。
明日の私の試合は第二試合場で行われる。その二試合目だった。
西棟 ハンナ・コーデリア・ハインリッヒ・ラ・ラルジュイル
VS
南棟 マリア・セシール・キャムフォード
こっちに転生してから聞いた事のない名前。ハンナ嬢の記憶にも存在しない人物だ。
分かることは、恐らく貴族であるという事と、キャムフォード家は無領地貴族であるという事ぐらいだ。
貴族の名前の最後についている単語。私で言えばラルジュイルは、それぞれの家が治めている領地の名前である。
その前につくラやルはそれぞれ女性と男性を表す接頭辞だが、人名に用いた場合はその土地が男性形か女性形であるかではなく、その名前の人物の性別を表している。
そしてそれらがつかないという事は、彼女らキャムフォード家は領地を有しない、爵位だけの貴族という事になる。
こうした貴族を無領地貴族または唯爵貴族。或いは――極めて侮蔑的な意味の強い言い方だが――小作貴族などと呼ぶ。
主に何らかの功績によって王家から爵位を賜ったものがこのタイプの貴族であり、その性質上領地収入が存在しない。侮蔑表現の理由は主にこれだ。
「とは言え、それだけじゃ何にも分からないのと同じですわね……」
まあ、今更そんな事を嘆いていても仕方がない。
取りあえずあの体つきと耳や首とで、組みつかれたら危険な相手という事が分かっただけでも十分だろう。
「って、あれ?ミーア?」
その同意を求めようとして、いつの間にかミーアがいなくなっている事に気付いた。
「先に帰ったのかしら?」
辺りを見回すが姿は見えない。
一応周辺を一通り確認していくか。そう思って一度掲示板の前を離れる。
と言っても別に教室まで入り込む訳じゃない。ただこの辺りを探すだけだ。
「ん……」
そしてその成果はすぐに現れた。
掲示板近くのトイレ。
その前に通りかかった時、中からひそひそと声が聞こえてきた。
(ミーア?)
二人の話し声。片方は聞き覚えのあるもの。
「……を。はい……」
「……が……で、……が――」
もう一人の声について記憶を探るが、こちらは知らない声だった。
トイレに行って知り合いに合っただけ?或いは何かの密談?想像は膨らむが、具体性はない。
そんな私の頭に呆れたように話しを終えた本人が外に出てくる。
「ッ!」
なんとなく扉から飛び離れ、気付いていないふりをした。
何故だかわからないが、近くにいて気付いていることを悟られると恥ずかしいような気がする。
「あっ、ハンナ様!」
私のそんな思いを知っているのかいないのか、出てきたミーアは近くをうろついていた――というかそう見せていた――私を見つけるなり駆け寄ってきた。
「あら、こちらにいらしたのね」
努めて平静を保つ。
対してミーアは少し興奮気味に、しかし一度トイレの方を振り返り、話していた相手が既にそこを離 れ、先に掲示板の方に戻っていくのを目で追っていく。
「あの方はお知り合い?」
そう問いかけると意外な言葉が返ってきた。
「はい。知り合いと言うか……シャーロット様のお傍にいた時の練習パートナーを務めてくださった方です」
「!?」
驚いて去って行った相手の方を見るが、既に見えなくなっていた。
「……どういう事かしら?」
不意に浮かんでくるネガティブな想像。
つい先ほどの私とシャーロットとのやり取りを見ていなかった訳ではあるまい。
その状況でシャーロットの関係者との密談――何も考えないでいられるほど馬鹿ではない。
「実は、あの方に次の試合相手、キャムフォード様について伺ってきました」
訂正する。私は馬鹿だ。
「貴女、その為に……?」
「はい。お話している様子から恐らくハンナ様はお相手の方をご存じではないと思いましたので……少しでも試合前に手がかりがあればと」
戦国時代なら多分これで出世しているだろう。
「まぁ!感謝いたしますわ!」
私が多少オーバーなまでに喜びを見せると、彼女は少し恥ずかしそうにはにかんだ。
「でも、大丈夫でしたの?……今の方、シャーロットの側なのでしょう?」
「決して一枚岩ではありませんでしたから……。あの方は試合前に同情してくださったこともございました。お手洗いでお話ししたのも、シャーロット様に見つからないためだったと」
奴が盤石な地位を築いていなかった事に感謝するべきだろう。
「それで、伺ってきた相手選手のお話なのですが……」
「ええ、そうでした。聞かせてください」
しかしそこまで切り出して、ミーアは少し困惑するような顔を作って言った。
「試合を見ていたあの方曰く、まるで不死身だったと」
「不死身?」
不死身。死なない。
そんな化け物じみた相手なのか?
「一回戦目の相手はシラットの使い手だったそうです。あの方は試合開始からしばらく一方的に打たれていたと」
シラットは東南アジアを中心に栄えた武術だ。
最近では護身術や軍隊、警察関係者向けの格闘術として取り入れられたりもしていたり、映画のアクションシーンに取り入れられたこともあるそうだ。
この世界に伝わっているものが同様のものなら決して油断できる相手ではないだろう。
だが、そのシラットと戦った相手が次の対戦相手という事は?つまりそういう事だ。
「……そこから勝った?」
「ええ。散々打たせておきながら全くダメージが入っている様子が無かったそうです。打っている側が明らかに焦っていたとも……」
成程不死身だ。
攻撃が一切通用しない。対戦してこれほど恐ろしい事もあるまい。
「そして相手の動きが鈍った瞬間、掴み上げて床に叩きつけ、動かなくなった相手にアキレス腱固めをかけてフォール勝ちしたとのことでした」
やはり寝技を使って来たか。
だが、それだけではない。視覚情報に加えて、伝聞でも厄介な情報しか入ってこない。
(つづく)
今日はここまで。
続きは明日に