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翌日、午前の授業を終えると、私は即座に図書室へ向かった。
昨夜の集会終了後に消灯時間ぎりぎりまで粘った調査=件の天覧試合についてのそれを続行するために。
王立カシアス女学園武闘大会。王立聖アントニオ学園武闘大会、コマーコンデ第一近衛騎士団武闘大会と並び、王国で最も権威ある武闘大会だ。
他二つと比べて特にこのカシアス女学園のそれが特別視されるのは、他二つがそれぞれ男子校と女人禁制の近衛騎士団の大会、即ち男子の大会であるのに対し、こちらが女子の武闘大会であるという事。
建国以来の尚武の精神とやらは伊達ではない。男も女も強い事を栄誉として考える気風がしっかり根付いている――脳筋なお国柄と言えばその通りだが。
普段誰も手にしないような学園の歴史まで紐解き、昨日の時点で分かった事は天覧試合の出場は極めて栄誉な事であり、もし選手を輩出したとなれば貴族社会においては一族を上げて誇るべき事であるということ。
――更に重要なのは、それをきっかけにして傾いていたお家を再興したという前例が一つではなく存在するという事だ。
そこまで分かれば十分。今回の調査はそれに付随した、言わば勝算の有無を確かめるという事だ。
人間とはおかしなもので、やるしかないと分かっていてもそれでどうにかなるかもしれないという望みが無ければ希望を持てないもののようだ。
「えーっと……」
辿り着いた図書室は、そこだけで一つの図書館と言っていいほどの大きさを誇る立派なもの。あらゆる分野の書物を収めている巨大な図書室だ。俺の母校、或いは地元の図書館とは比べ物にならない程の広さと蔵書量。恐らくその二つを足したよりも多いだろう。
「魔術理論、魔術理論は……東側ですわね」
有難い事にハンナ嬢、地頭が良かったらしい。授業は特別真面目に受けていた様子はないが、記憶にはしっかりと残っている。
探しているのは本というよりも、以前魔術の授業で触れられていた記憶がある、そこに記載されている事実だ。
――嫌われるタイプだっただろう。要領も家柄も良くて俺基準ではあるが器量も悪い方ではないのに性格は最悪だったのだから。
もしおぼろげながら存在する記憶を裏付けてくれる記載があれば、それほど心強いものはない。
「……」
壁一面。身長の倍以上の巨大な書棚を端から見ていく。
本を取るための脚立や足場があるなど、とんでもないサイズの建物だ。
自分が急に小人になったのかという錯覚さえ覚えそうな巨大な本の迷路から目的の物を見つけて引っ張り出し、手近な机に陣取って広げる。タイトルは『身体と魂魄の諸関係概論』。要するに体と魂がどう関係するのかという話だ。
この世界、魔術の類が存在するだけあってこうしたことへの研究も――マニアックな部類に入るらしいが――その一分野として行われている。
このうっすらほこりを被ったハードカバーも、そうしたマニア研究の一環として書かれたものだ。
「……」
序章を読み飛ばす。
今より古い時代に書かれた本らしく、執筆に際しての協力者への礼を貴族社会から見ても馬鹿丁寧に 長々と述べている前書きを飛ばし、内容上どうしても避ける事の出来ない宗教的・哲学的な部分を流し読みし必要なページまで飛ばす。
しばらくそれを続け、関係がありそうなページに到達した所でスピードを落とす。曰く、魂が特定の条件下においては必ずしも肉体と消滅までを共有する訳ではないという事を以下に記す云々――ここからは慎重に読み進めなければならない。
「……」
しっかり、じっくりと、一文節ごとに噛み砕くように、文章を追う。
魔術についての文章。霊魂や精神に関する研究。こちらに来る前なら支離滅裂な妄想のような内容でも、今ではそれが理論だった文章として読むことができる。
「……ッ!」
それを続けること数分。
何ページか繰った末に見つけた一文に、私は探し求めていた宝を見つけたような衝撃を受けた。
曰く、魂が他者の肉体に憑依する現象は例こそ少ないが確認されており、その魂が憑依先の肉体に影響を与え、筋肉や骨格単位で影響を及ぼす事は既に判明している。
「よし……ッ!よしッ!!」
他の誰もいないのは幸いだった。
ようやく見つけた確証。それをしっかりと頭に叩き込むためにその後もその章の終わりまで目を通すと、私は本をあった場所に戻してはしたないと思われるギリギリのスピードで生徒会室に向かった。
昔の偉い学者に感謝。これなら勝算はある。これなら十分可能性はある。
これなら没落を回避できる。
生徒会室は図書室から学生寮に戻る道すがらにある。
堂々たる観音開きの扉に施された彫刻。そこに刻まれた人物の視線の先、扉の横に置かれた机の上に置かれた書類入れの中に応募用紙が積まれていた。ご自由にお取りくださいという事だ。
マラソンの給水所よろしくスピードを落とさずに一枚ひらりと手に取った私はそのまま自室に戻り、午後の授業が始まる前にそれを書き終えた。
出しに行くのは放課後。午後の授業が終わってから入浴までの間の自由時間だ。
この学校の時間割は、現実の高校のそれと大して変わらない。三度の食事の時間が妙にゆったりとしている以外は。
そして夕方に授業が終わると、入浴まで三時間ほどの自由時間が与えられている。
それまでは退屈な授業の終了をただ一心に願うより他にない。今日はいつにもまして退屈で時間の進みの遅いその授業を。
「――で、あるからして。真に品格ある人物と言うのは……」
その一つ目、政治学の授業。
元より興味のない内容だが、なんというかそれを抜きにしても空虚にしか思えない――多分、ハンナ嬢もそう思っていたのだろう。この授業に興味を持った記憶がない。
究極的に言えば『人々が皆人格者であり、法律とルールとを遵守し続け、かつその制定を正しく行えば理想的な社会が作れる』というだけの話だ。
将来の貴族の奥様向けの綺麗ごとを並べているだけだ。それが出来ないからどうしようかというのが政治の仕事だろうに――Byハンナ嬢の記憶。
「……では、今日はここまでとします」
ようやく終わった。
応募用紙が入った指定カバンを大切に抱えて教室を出る。この学校では生徒が教室を移動する形を取っており、所謂ホームルームを行う教室は朝礼と終礼以外に集まる事はほぼない。
このため、クラスメートよりも寮ごとの意識の方が強く、それが武闘大会を各寮から代表者を選出するという方式に繋がっている。
優勝者を輩出した寮には、その寮の集会室に一年間優勝旗が掲揚され、寝食を共にする他の寮生から畏敬と羨望を持ってみられる。
日本で言えば高校生ぐらい。15歳で入学し、今の私達=18歳で卒業を迎える。女子のその年頃に殴り合いで一番強い者を尊敬する風潮があるのは何と言うか所変われば……という奴だろう。
ちなみに大会のルールはほとんど何でもアリの、現実で言うバーリトゥードに近い。即ち凶器の使用、目突き、噛みつき以外はすべて有効だ。倒れた相手への加撃は無論の事、投げを打てば頭から落としても良いし、関節を極めても相手がタップしなければ容赦なくへし折る。それを毎年多くの生徒――当然ながら日本で言えば女子高生の少女たち――がキャーキャー黄色い声を上げて観戦するのだから脳筋国家ここに極まれりといった所だ。
――現役時代にここの百分の一でもそういう応援が欲しかったという気持が無いと言えば嘘になる。
ともあれ、生徒会室へ。
生徒会室がある教室棟は学生寮と離れており、一度外を通る必要がある。
遠くに壁が見えるだけの広い敷地を見渡しながら、頭の中ではこの敷地を一周するのにどれぐらいかかるか考えていた。
生徒会室の前。鞄から取り出した応募用紙をしっかりと持って扉に向かい合う。
応募用紙は勝手に持って行っていいが、提出は中に入って直接手渡しとなる。
小さく深呼吸。
気合を入れろ。没落回避は私の双肩にかかっている。
「あら、ごきげんよう」
ノックしようとする手が唐突に聞こえた甲高い声に遮られた。
一番聞きたくなかった声。ハンナ嬢の記憶が振り返るより速く声の主を教えていた。
(つづく)
今日はここまで。
続きは明日に。
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