来訪者13
足下が光り、私達をその光が包み込む。
痛みは消え、口の中の鉄の味もまた消えた。改めて便利なものだ。
そしてこれが出たという事は、つまり試合が終わったという事。そしてその時立っていたのは私だ。
「レティシア!」
背後で声。アリスのだという事は振り返らなくても分かる。
「勝負はつきました」
だが、そうはいっても無視する訳にもいかない。決闘である以上、相手にもその結果を知らしめなければならない。
――勝手に試合場を下りたから無効だなどとのたまわれる可能性がないではないと、ハンナ嬢の記憶が釘を刺している。
故に明確にそう宣言して振り向く。ゴングが聞こえていたのは私だけではない筈だ。
「……ッ!」
振り向いた私を待っていたのは牙を剥くようなアリスの顔だった。
「私の勝ちです」
レティシアを隠すように立ちはだかっている彼女のその顔に告げる。
努めて冷静に、何でもないように。
――なんとなく思うのだが、今の身体の管制権はハンナ嬢にあるような気がする。現代では女の兄弟も友人もおらず、“俺”には自分自身でどうするべきか分からないにも関わらず、“私”が戸惑うことなく行動できるのは、多分そういう事だ。
「……認めない」
その牙の間から漏れたその小さな声も聞き逃す事は無かった。
「こんなの、認められませんわ!」
噛みしめで口の中が裂けるのではないかと思われるほどに怒りをむき出しにしたアリス。
その怒りに対して応じるのは、諭すでもなく静かに、ただ事実を事務的に伝えるだけの口調。
「貴女がどう思おうが、この決闘は私の勝ちです」
「こんな決闘は決して……。私は貴女を……っ、お姉様を連れ戻さなければ……!私が、私こそが……優れた……」
聞き取れたのはそこまで。
後は何と言っているのか分からなかった。
更に言うと、それ以上に興味を引かれるものが耳を占拠していた。
「おやめください、お嬢様……」
「「レティシア?」」
二人同時に声を上げる。
ダメージから回復した彼女は両方の膝をついた姿勢で自身が代理を務めた妹にその頭を下げている。
「私の未熟さ故にご期待に沿えない事、平にお詫びいたします……。ですが、ですがどうか……」
「な、何を言っているのレティシア……?」
ひくつきながら尋ねるアリス。そこに有った感情が何なのかは、恐らく永遠に分からないだろう。
だが、そんな事はどうでもいい。
その後に続いたレティシアの言葉に比べれば。
「どうか後生でございます。試合場より、お降りくださいまし……」
「な、なにを――」
「まだ分からないのですかアリス」
レティシアを援護する――事になるのかは分からないが、口を挟んでおく。
既に怒りから別の感情に変わりつつある目が私のそれと合う。
「彼女は貴女の代理として戦い、そして敗れた。結果はともかく、その行為は、そして彼女の戦いぶりは決して咎められるものはない、立派なものです。彼女が非難される所以はどこにもなく、また辱めを受けるそれも当然ない」
俺と私とハンナ嬢の合体技といったところか。
日本にいた時に読んだ格闘漫画の記憶が戻ってきたのは非常にありがたかった。
「辱めなど……適当なことを仰らないでください」
「適当?分からないのですね。貴女には……。自分が今、どれほどひどくレティシアを傷つけているのか」
傍から聞けば言いがかりにも等しいかもしれない。
だが、それで纏めなければ、この手は止まらないだろう。
「貴女は先程『こんな決闘は』と言いましたねアリス。貴女が始めた決闘で、貴女が立てた代理が戦って敗れた。そしてその決闘を認めないと言う事は、当然その勝者である私を、そして敗者であるレティシアを認めないという事になります。……よくお聞きなさいアリス。勝敗を認めず蔑ろにすることは、堂々と戦った者をもっとも侮辱する行為です」
怒りの表情が奴の顔に帰ってくる。だが、それで止める事はない。
「私は良いのです。貴女が何を言おうが、実際に勝利したのは私なのですから。ただその事実だけで慰めには十分です。ですが、レティシアはどうなります?最後まで堂々と戦った彼女を、勝利の為に全力を尽くし、それでも届かなかった彼女を前にして、貴女はその努力の過程すら否定するのですか?彼女の全力を?つまりは彼女を?」
四つの目が私を見ていた。
いや、実際には無数のだが、それでも私の目に映っているのは目の前にいるその四つだけだ。
「私はそのような――」
「認めなさい。今日は貴女の負けだと。そしてレティシアに感謝と労いを。貴女の為にしなくても良かった痛い思いをしたのですから」
沈黙。
納得がいっていないが故のそれであることは明らか。
ならもう一押しだ。
「……それに、もし認めていないのならどうするつもりなのかしら?」
「何ですって……?」
「双方合意の上での戦いでも納得がいかないのなら、残っている手段は最早強硬策しかないのではなくて?けれど、貴女は今日御者とレティシアの他には誰も連れず、その上見たところ丸腰。それでどうするのです?」
表情を見る限り、私の言いたいことはなんとなく理解できているようだ。
なら最後の仕上げにかかろう。
「もし本当に強硬策に訴えたいのなら、仲間を揃え、武器を携えて寝首をかきに来ればいいだけの事。即ち、そう即ち私と貴女の戦争を起こすより他にない」
そこまで言って一度息を継ぐ。
奴は睨みつけるでも、かと言って諦めるでもなくこちらを見ている。
「……ですが、そうではなかった。何故ならこれは決闘であって戦争ではない。そうでしょう?そして、この場は由緒ある乙女の決闘の場です。この国で最もそれに相応しい場所での決闘です。ここでそれを蔑ろにするような真似が許されるとでも思っているのですか?」
「そ、それは――」
「それがハインリッヒの家の者がとるべき態度ですか!恥を知りなさい!!」
多分だが、これまでのハンナ嬢の行動を見れば「お前が言うな」の大合唱だろう。
恐らくこの啖呵が効くのはこの世にこいつだけだ。
まあいい。こんな喧嘩はこいつとしかしないだろうから。
「姉からは以上です。今日はもう帰りなさい」
くるりと踵を返して試合場を下りる。
いつの間にか何倍にも膨れ上がっていたギャラリーの間を通り抜けるのは、正直ちょっと恥ずかしかった。
(こんなに大勢に今の聞かれたのか……)
なるべく早足で通り抜けようとしてスピードを上げ、ようやく抜けた先に待っていた二人に出迎えられた。
「「ハンナ様!」」
「まったく、とんだお休みになってしまいましたわ」
迎えてくれた二人=ミーアとマルタに恥ずかし紛れに余裕ぶって見せる。
そこで気付く。出迎えてくれたミーアの目がうるんでいる。
「ち、ちょっと。どうして貴女が泣いていますの?」
驚いて尋ねると、彼女はそれでぶり返したように大粒の涙をこぼした。
「だ、だって……、私が頂いた蒼天石が原因だったと……それでもしハンナ様がご実家に戻られてしまわれたら……そうしたら私……私……」
小さく溜息を一つ。
「まったく……」
言いながら、その声に安堵が出ているのは自分でもわかった。
「蒼天石を差し上げたのは私の意思によるものです。貴女には何の責任もありませんわ。今回のはただの姉妹喧嘩です。それに――」
「?」
「大切な大会と、初めてできた友人とを残して、どこにも行ったり致しません」
どうせ今日はついさっき恥ずかしい思いをしたのだ。毒食わば皿というやつだ。
そう言ってやると、彼女は泣きはらした顔ではっとして、それから朱をさしたように赤くなり、にっこりと笑った。
そしてそれだけで、今日この後輩にして友人との日々を守りきったことの意義を噛みしめた。
(つづく)
今日はここまで。
続きは明日に