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来訪者11

 四肢に血が巡る感覚。足が軽くなっていく感覚。妙に目が冴え、落ち着いている感覚。

 調子がいい時に感じるこれらが揃う。


 「お立ちになられますか……」

 レティシアが静かに呟く――その顔は心なしか嬉しそうだ。

 「ええ、どうしてかしら」

 答える私のそれがどうなっているのかは分からない。

 だが、もっと分からないのはこの感情だ。

 この時の気持ちを答えよという国語の問題なら、正答率0%になる事は間違いない。だって私自身何故かよく分からないのだから。


 この勝負を終わらせたくない。

 俺も私もハンナ嬢も今まで味わったことのない不思議な気持ちだ。


 「成程……それが貴方の言う空手ね」

 今の攻防――というより右順手正拳と上段回しで何となくだが解釈はできる。

 奴の言う空手とは、技術云々の問題ではない。

 確かに見た目には細かく上下する例のフットワークを捨てた様に見える。だが、そこにあった見た目上の変化とは裏腹な、変化と呼ぶには小さな、しかし重大なものですらも、本来の意味ではない。


 彼女の言う空手とは、即ち覚悟や心持の部分だ。

 あの言葉と共に放たれた殺気。彼女にとって空手とは競技ではなく武道・武術。求められるのは格闘技としての勝ち負けですらなく、ただひたすらに一瞬、一撃のうちに決する命のやり取りに他ならない。


 聞いた話――その昔、沖縄から本土に空手が上陸した際、その実効性に懐疑的だった日本の武術家達の中で、ある剣術の達人は空手を素手の剣術と評したらしい。


 そんな聞きかじった話が頭の中に蘇ってくる。

 そうだ。あれは、レティシアの拳は剣だ。

 ただ一太刀で相手の命を絶つ剣。それがきっと、奴にとっての空手だ。


 「恐ろしいですわ」

 素直な感想だ。

 だが、そう分かっているのに、身体は前に行こうとする。

 頭の中のどこかで恐怖を感じながら、別のどこかがそれに向かわせようとする。


 「恐縮です」

 レティシアの言葉。

 何をするべきか、それはもうテレパシーのように通じていた。


 「さ、続けましょう」

 「承知しました」

 それきりだ。

 後は、言葉の出番はない。

 再び睨みあう。じりじりと間合いを詰めていく。

 先程までと同様にレティシアはすり足で、私は今まで通りのフットワークを維持して。


 奴の外に回るよう、円を描くように進む。

 その私を常に正面に捉えようと奴が向きを変えつつ距離を詰める。

 私はピーカブーからいつもの構えに戻している。これまで通り、ここまで続けてきた戦法に切り替える――というか、一番使い慣れているこれに自然と戻ってくる。


 「フッ!!」

 奴の間合い。

 そこに触れると同時に拳が飛んでくる。

 ギリギリのところでガードし、ほぼ同時に前蹴りを返そうと動き始めた矢先、すぐに拳を引いた奴の足刀が膝を狙って殺到してくる。

 「くぅっ!!」

 間一髪。危うい所で足の離陸が間に合う。

 足刀を脛で受け、そのまま足甲を踏みに来る奴の蹴り足を何とか躱したが、その動作が蹴りを止めてしまった。


 だが、そこで止まりはしない。

 「ハァッ!」

 蹴りが止まるなら、着地させたその足を軸に変えればいい。当然それまでの足を蹴り足にして。

 流石に切り替えが必要な分読まれてしまっていたか、奴には防がれたが、それでも奴のペースになりそうな所をここで止められたのはありがたい。


 蹴り足を着け、同時に顔面を狙ってストレートを繰り出す。

 僅かな後退で躱した奴に更に追撃をかける。

 右、左、右――或いは躱し、或いは捌かれてはいる。

 四発目が捌かれた所で奴の蹴り足が振り上げられた。


 (ハイに来る!)

 足の上げ方で直感。

 咄嗟に両腕で受ける体勢を取ると、奴の蹴りは空中で軌道を変えた――ハイに応じようとして隙が出来たミドルに。

 「ぐぅっ!!?」

 動きが止まる。

 衝撃に驚いて飛び下がり、下がりながらその事を少しだけ後悔する。


 (下がるべきではなかったな。リーチの差を考えればインファイトに徹した方がよかったはずだ)

 だが、そう思っても今から飛び込む訳にもいかない。

 もう一度だ。もう一度奴のリーチを掻い潜る。

 ――思わず飛び下がってしまうような蹴りを受ける覚悟で。


 「ッ!」

 その機会は、その考えが頭を巡った直後に訪れた――だが当然、ただではない。

 「シャッ!」

 奴が飛び込んでくる。

 刻み打ちで牽制しての右順手正拳。どちらも辛うじて捌き、左鉤突きの前に体ごと突っ込んでタックルをかます。

 ――が、倒れない。


 「くうぅっ!」

 噛みしめたような声が頭上から聞こえてくるが、身体は後ろへ滑っただけで、依然として二本の足はしっかりと床を踏みしめている。

 体幹部も下半身も相当鍛えられているのだろう。投げようにも投げられない。


 (無理か……)

 思うや否や体を起こしてタックルを解除する。長引けば後頭部を相手に差し出すのと同じになってしまう。

 私がそこまで考える事を待っていたかのように膝が動き始めたのを、私の視界はしっかりと映し出していた。

 「はっ」

 「っと」

 互いに重なる声。

 膝を膝で受ける。


 受けた膝をおろし、更に反撃――となる前に奴の手がこちらの首元を抑えた。

 投げか、関節か?予想されうる二択。

 だがその答えはこちらが思いつく前に顔面を捉えた。

 「ぶふっ!」

 答えは掌打だ。

 掴んでいる方と反対の掌打が顔面を打つ。

 片手で掴んで片手で殴る。子供の喧嘩のようだが効果はある。なにしろ逃げられないのだ。


 (けど……)

 ――手はある。

 「シャッ!!」

 もう一発が叩き込まれる。

 頭がぐわんと揺れ、脳のそれが限界であると直感が告げる。


 「よし……っ!」

 心から出た声。

 脳が限界を迎える前に間に合ってよかった。

 そうだ、間に合った。

 私の手の中には今、奴の手首が収まっている。


 「はぁぁっ!」

 手首を上から包むように抱えると、一気に手首を外側へ捻る。

 今度は外れないし、外させない。

 本日二回目の小手返し。

 「くっ!!」

 奴の身体が崩れ落ちた。

 そのまま私の見下ろした場所へ、奴が仰向けに倒れ込んだ。

(つづく)

今日はここまで

続きは明日に。

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