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来訪者8

 アリスを連れだって試合場に向かい、レティシア到着まで入念にストレッチを行う。

 連れだってとは言え、言葉を交わすことはない。血の繋がった姉妹ではあるが、今は敵同士だ――ハンナ嬢的には今“は”ではないのだろうが。


 「ハンナ様!」

 ストレッチを終えたところで切迫した声が背後から聞こえてきた。

 振り返った先にいた声の主=ミーア。

 ここまで走ってきたのだろう、肩で息をしながら私に向かって突っ込んでくる。


 「はぁ……はぁ……ハンナ様……これは……」

 落ち着くのを待ってから答えようかと思って、遠く、集まり始めた野次馬の向こうに見えた人影に考えを変える。

 「仕方ありませんね。成り行きです」

 「成り行き……?でも……決闘って……」

 少しずつ息を整えながらの疑問。

 どこで聞きつけたのか、今回のこれが決闘であることまで既に知っているようだ。


 「決闘ですって……?」

 「今の時代に……」

 「ハンナ・ハインリッヒのお相手は……?」

 野次馬にもいつの間にか話が通っているようで、ひそひそと囁き合う声がここまで聞こえてくる。どこで聞きつけてくるのやら。


 「ハンナ様……」

 心配そうにその野次馬たちを一瞥するミーア。

 私はそれに合わせるようにアリスの方をちらりと見る。

 「大丈夫。勝てますわ」

 聞こえているのかいないのか、すまし顔のアリス。


 「あの……決闘の原因は……?もしかして――」

 「それは家庭内の事。いくら貴女でも、これには答えられません」

 そこで打ち切って試合場に上がる。

 丁度よく野次馬の向こうから二人が到着した所だった。


 「ミーア様には途中で出会いましたのでお伝えいたしました。ハンナ様、試合場の使用申請は完了しております。……いつでも開始できます」

 そわそわした様子でマルタがそう報告してくる。

 「ありがとう。マルタ」

 私の言葉に合わせて彼女の横にいたレティシアが丁重に礼を告げて頭を下げると、すぐに試合場に上がってきた――彼女と言葉を交わしたマルタが頬を赤らめているのは見間違いではあるまい。


 「大変お待たせいたしました。ハンナお嬢様」

 「良く似合っていますわよ。レティシア」

 対岸から同じように試合場に上がったレティシア。

 その出で立ちはハインリッヒ家お仕着せのメイド服から、少しくたびれた空手の道着に変わっている。

 記憶の中の彼女が道着に袖を通している姿を見た事はない。だが、その着こなしは、むしろメイド服よりも慣れているようにさえ思える。


 恐らくマルタが見つけてきたのだろう古い道着はしかし、却って彼女の雰囲気にあっていて、しっかりと体に馴染んでいるように思えた。

 心なしか野次馬がざわめきを、それもかなり好意的なそれを上げている事がなんとなくだが伝わってくる。

 道着の似合っている者は強い――以前どこかで聞いた話を思い出す。

 事実、彼女の腕前は未知数だが、醸し出す雰囲気はその黒い帯に相応しい実力を備えているように思わせる。


 「目突き、噛みつき、衣服以外の凶器を用いた攻撃は禁止。それ以外は全て有効。倒れた相手への加撃も有効とする。それでよろしくて?」

 「はい。構いません」

 お互いに開始線に立って向かい合い、ルールを確かめる。

 本当は審判がいた方がいいのだが、決闘とは言え公に認められた、訴訟の解決手段としての公式の決闘ではなく私的な物。あくまで野良試合だ。そこまでは流石に用意出来ない。


 「審判は……まあ、これだけギャラリーがいればその代わりにもなりましょう」

 「ええ。それでお嬢様がご納得できるのでしたら」

 そう答えながら、いつの間にか彼女の側に移っていたアリスの方を振り返る。

 「アリスお嬢様もよろしいですか?」

 「ええ。構いませんわ」

 これでもう止める者は誰もいない。

 私とレティシア以外には、誰も。


 「「よろしくお願いします」」

 互いに一礼、そのまま即構えに移行。

 レティシアのそれは左前。左手を私の顎に付きつけるように、右手を自分の鳩尾の辺りにとっている。


 (やはり空手。それも伝統派か……)

 この世界にそういうくくりがあるのかは知らないが、ハンナ嬢ではなく“俺”の記憶には現代での空手家との試合経験がある。

 現役時代やキック時代を含めて戦った空手出身の選手は二人。それぞれフルコンと伝統派だったが、彼女の構え方はそのうちの後者に近いものだった。

 その構え方も、やや左半身に近くとり、小刻みに上下する独特の足捌きも、記憶の中のそれに合致する。


 (なら、動作の傾向も近い筈だ)

 やや防御を高く、ムエタイのように顔の横に手を持ってきて少しずつ距離を詰める。

 背は向こうの方がある。となればリーチ勝負では彼女に分があるという事だ。

 それに加え、私の知る限り伝統派上がりの選手は遠距離から打ってくる傾向がある。


 「ッ」

 距離を詰めながらゆっくりと右側に回り込むように動くと、合わせて彼女もこちらを正面で捉えようとする。

 更に右、やはり正対する。

 今度は左、これも正対する。

 だがただ正対するだけではない。その度にジリジリとこちらに距離を詰めてくる。


 (もう少し……)

 恐らく、間もなく奴の間合いだ。

 そうなれば確実に奴は打ってくる。リーチ差を活かし、確実に自分の間合いで勝負を決しようとするだろう。少なくとも私ならそうするし、そうしてきた。


 だが、それを掻い潜って飛び込めば打ち合いに持ち込める。それもこちらに有利な間合いで。


 「シィッ!」

 ほんの僅かにこちらが前進した瞬間、その出端を抑えるように奴が飛び込んできた。

 初動の読みづらい踏込みで牽制するように左を前に出し、そちらに一瞬意識が向かって防御が開くその瞬間、その僅かな隙をピンポイントで狙うような突きが顔面に殺到する。


 「くうっ!!」

 思わず一歩下がって捌く。

 懐に飛び込むつもりだったが、捌いた腕に残った感触は予想以上の重さだった。

 だが、下がってしまっては反撃は出来ない。


 そしてそれが分からない相手でもない。


 「シャッ!」

 入れ替わるように左が飛んでくる。

 辛うじて今回は躱した。その勢いを殺さずに飛び込む――が、それを迎えるように奴の膝が下腹部を捉える。

 「ぐっ」

 幸いキック時代に慣れた攻撃だ。耐えられない程ではない。

 そのまま強引に近間に持ち込むと、それを嫌うように胸元に拳を当てて突き放すように力を入れてくる。

 打撃と言うよりも突放しだが、それが本命でない事はギリギリで分かった。


 鉤突き=ボクシングやキックで言う所のフック。手首を効かせ、小さくえぐり込むように肝臓を狙ってきたそれに、すんでのところで肘の外側が間に合った。

 ずんという重い衝撃。しかし止めた。

 反対に鳩尾に一発叩き込むが、こちらは円を描くように捌かれ、反対にその動作を起点とした両手を合わせての掌打で突き飛ばされる。


 「……っと」

 体勢を整え直ちに構え直す。

 再び最初と同様の動きで正対するレティシア。

 (やはり、無傷は難しいか……)

 今の攻防、無理に飛び込むことは出来ただろうか?

 いや、難しいだろう。そんな真似をすれば却って隙を晒してしまう事になる。

 だが、奴の反撃を一切受けずに懐に飛び込むのも同じぐらい難しい。


 一瞬逡巡する。

 そして答え:なら、多少覚悟を決めよう。どうせ反撃は受けるのだ。


 改めて奴を見る。初動を読ませない独特のステップが続いている。

 もう一度、今度は小刻みに左右に振りながら距離を詰めてみるが、やはり簡単には隙を見せてはくれない。

 小細工は通じない――少なくとも今は。


 (なら、通じるようにさせてもらうさ)

 私は構えを変えた。

 それまでの顔の前に拳を置くスタンダードな構えから顎の前に集めるように変化する。

 ピーカブースタイル。アウトボクシングを行う際に使用される構え方の一つ。

 リーチで勝る相手にリーチとパワーが必要な構えで対抗する。

 それでいい。奴にリーチを活かしてもらう。

 そこからなら破るチャンスはある。

(つづく)

今日はここまで。

続きは明日に。

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