プロローグ3
「皆さん。よろしいですか?」
福引のそれのようなハンドベルが響き、ヒステリックそうな声がそれに続く。
一番の上座に位置する寮長の声。ぴたりと手を止め、口を慎むのがここでの決まり――まるで軍隊だ。
「この後、中央ホールにて学園長のお話と生徒会からの連絡が行われます。食後は直ちにそちらに向かうように。いいですね?」
「承知しました。ミス・コンロイ」
周囲に合わせそう返事をする。
「よろしい。では食事を続けて」
続けてと言われても既にデザート――幸いフルーツだった。味があった――まで終えている者が大半だったが、まあそういう定型文だ。
それから少しして、同じようにホールへと向かう列の中に紛れ込んだ。
中央ホールはその名の通り、この学生寮の中央に存在する。
寮は私が所属する西棟と東、南、北の四つがあり、それらが今向かっている中央棟から放射線状に延びている。
刑務所――“俺”が“私”になった時に最初にイメージしたのはそれだった。勿論、それに比べるべくもない程に贅沢な場所なのだが。
その中央棟にある一際大きな部屋が件のホールだ。
各寮に設けられている生徒講堂よりも遥かに広いそこには、全校生徒と教員が全て収容できるほどの広さがある。
その一角に、私達は整列する。
全ての寮の全ての生徒が、同様に並べられている。
「……」
流石に慣れたとはいえ、妙な光景だった。
集められているのは大半が貴族のご令嬢だ。国民の女子であれば全ての階級に開放されているとは言え、実態はやんごとなきお生まれの、選りすぐられた高名な方々が英才教育を受ける場所がこの学校だ。
それが、大して頭も金もない、地元のアホ共が集まっていた“俺”の出身高校の全校集会と同じように、教師からやれ「列が曲がっている」だの、やれ「間を開けすぎるな」だの同じようなことを言われながら整列している。それが妙に面白かった。
「皆さん。静粛に」
正面の一段高くなっている演壇に現れた教頭の鶴の一声で、ホール内は水を打ったかのように静まり返る――この辺は流石というべきか。
「初めに学長よりお話があります」
入れ違いに現れる学長先生=仙人のような白い髭と同色のやたらボリュームのある頭。
母校の音楽室の壁を探せば同じようなのが一人か二人いそうなそれが何やら話しはじめるのを、私は適当に聞き流していた。
どうせ大した話ではない。そんな事より、私は自分の行く末がどうなるのかの方が遥かに気になる。
事件の日から、ポールからこの世の終わりのような手紙が何通も届いている。「父上より仰せつかりました故」という書き出しで始まる現状説明。それはもう説明と言うよりもただ泣き言を横で聞いて速記したような内容で、そこにポール自身の悲観が混じるものだから、手紙はさながら読むお通夜だ。
だが、それが我が家の現状だ。私が何をどうするべきかは分からないが、少なくともこんな毒にも薬にもならない演説を聞いている場合ではない。
「はぁ……」
小さく溜息をつく。
こうして意味のない話を聞いていると、どうしてもその事を思い出してしまう。
失脚した貴族が再び返り咲く――昔話の中にはいくつか聞いた事がある。ただし、全て平時の話ではない。
では平時には?それは死人を蘇らせるような行為だ。何を試みたところで滑稽でしかない。
「――では、お話は以上です」
長い演説が終わったようだ。恐らくだがこの学校というか貴族社会では、どうでもいい事をあらゆる修飾をもって長々と話した方が上等な話法になるらしい。
学長が演壇から降りるのを待って、教頭が再度声を上げる。
「続いて生徒会からの連絡です」
息をのむ音や、小さな囁きが辺りに響いたのを私は聞き逃さなかった。
そしてその対象は分かっている。壇上に現れた生徒会長。ソニア・フランシス・ローゼンタール・ラ・シュタインフルス。我がハインリッヒ家と同じ公爵家の息女だが、向こうは我が父上とは異なり、外務卿、軍務卿を歴任し、今は内務卿を務め、国王陛下の懐刀と称される本物の政治家だ。
その血はしっかりと受け継がれたのか、彼女の人気もまた本物だった。
彼女の事はハンナ嬢の記憶にもしっかりと残っている。現実の――という表現が適切かは分からないが――世界ならばファッションモデルとしても通用するだろう理想的なプロポーションの長身は生徒会長の証である飾緒つきの白外套の上からでも分かる。背中に届く癖のない黒髪と同色の瞳は色白の肌によく映えていた。
そして俺であれ私であれ見とれるほどの涼やかな顔立ちは、この周辺の――恐らくそれら全てが好意的な――囁きもうなずけるものだ。左目を縦断する大きな古傷ですらそれを損なう事が無い。
「ごきげんよう。皆さん」
良く通る声が発せられる。
「貴重な時間を頂いてしまって申し訳ない。だが、生徒会として全校生徒に伝えるべき事項があるので、そのまま聞いていただきたい」
そこで一度切ると、集まっている全員を一望するように少し顔を上げる。
「神君スキューネ一世公がその至高の徳と不断の尽力によって国を打ち立ててより今年で150年。建国以来の尚武の精神は代々受け継がれ、今上陛下、並びに全ての尊き方々に至るまで一度も絶やされることが無かった――」
学長と同じような演説だが、こちらの方が聞く気を起こさせるのは同い年故の感覚の近さか、或いはやはり血の成す業なのだろうか。
「――その心を養い、建国以来の精神を受け継ぐため、今年もカシアス女学園ブトウ会を開催する事が決定した」
舞踏会。成程貴族らしい。それがどうして尚武の精神に繋がるのかはよくわからないが。
「――知っての通り、我が校の伝統ある行事であり、由緒正しき乙女の決闘である。出場登録は明日から1週間、生徒会室にて受け付けている。例年の決まり通り、決勝は王宮での天覧試合となる」
――決闘?決勝?天覧試合?舞踏会というのはダンス対決なのか?……どうもおかしい。頭の中と耳からの情報が噛みあわない。
それにどうやらハンナ嬢。興味のない事には一切頓着しないタイプだったらしく、この件に関しては碌に記憶がないため、どこにすれ違いがあるのかもよく分からない。
「予選は応募締め切りの1か月後に開始となる。日頃より武を磨き、我こそはと思う者は、ふるって応募して欲しい」
武を磨く。聞き間違いでないのなら武と言った。
もし舞踏会なら舞を磨くだろうが、そういう表現は普通しないだろう。
つまり武で正しいのだ。
武を磨く。ブトウ会。尚武の精神。乙女の決闘。天覧試合やら決勝やら。
――ああ、やっと分かった。ブトウ会は武闘会だ。舞踏会ではなく。
うん。成程。武闘会ね。うん――は?
(つづく)