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来訪者7

 「どうしてそれを……。いや、誰から……」

 疑問が無編集で口に登ってくる。

 認めてしまっているような口調になってしまったが、そこは触れられなかった。


 「お姉様だってご存知でしょう?社交界はいつでも情報交換の場ですのよ」

 急所を突いた。そう思ったのだろう、アリスの顔に余裕が戻る。

 ――お前が余裕を感じている状況ではないだろうに。


 「この際ですからはっきりと申し上げますわ――」

 そしてそのまま追い打ちへ。今や完全に息を吹き返している。

 「お父様は相当お怒りです。もし買収が事実であれば、それこそ本当に絶縁もあり得ましょう」


 落ち着け。考えろ。冷静になれ。

 「今我が家がどのような立場にあるのかはお姉様もお分かりでしょう?成程、武闘大会での優勝は我が家にかけられた嫌疑を晴らすのに十分な名誉でしょう。ですが、その過程で買収などと、それではただの自殺ではありませんか」


 落ち着け。まずはこいつを大人しくさせろ。


 「私はそのような事は致しません。ねぇアリス――」

 「よくお聞きになってお姉様。お父様は買収疑惑の真偽について仰っておられたのではありませんの。この苦しい状況でその様な疑惑が出てしまえば、それだけで致命傷たり得るという事です。ちょうど健康な若者ならかすり傷であっても、弱った老人には命取りになるように。はっきりと申し上げて、お姉様の行為は現状が見えていないと言わざるを得ませんわ」

 お前が言うな。

 喉まで出かかったその言葉をぐっと飲み込む。


 「お待ちになってアリス。よくお聞きなさい。全て事実無根なのです。勿論蒼天石が手元にないのも、それが友人の為に手放したからなのも事実です。ですが、それが試合のための買収だと言うのは余りにもひどい言いがかりです。それは私だけでなく、その方の名誉にも関わるお話です。その事をよく考えてごらんなさい」


 だが返ってきたのは苦笑。こいつ何も分かってねぇな――そんな思いが透けて見えるような。


 「お姉様。どうか落ち着いて、冷静になってくださいな。いいですか?事実を問うているのではありません。もし今後お姉様が勝ち進んで国王陛下への拝謁の栄誉に与る事があったとしてです。苦境に立たされている我がハインリッヒ家の、その家の中から王の御前に立つ資格のない、或いはその疑いのある人間が出たとなれば、それだけで我が家は終わりなのです。お父様がこれまで何とか積み重ねてきた再興への努力、その全てが水泡に帰することになります。その事について、お姉様は責任をおとりになれるのですか?」

 駄目だ。聞く耳すら持ってもらえない。

 アリスの口調は最早姉妹の喧嘩ではなく、答弁する政治家か、被告人に詰め寄る検察官かといったものだ。

 「では、どうしろと……」

 「棄権なさってください。お姉様がこれまで何とかお家の為に良かれと思って尽くしてくださったことは理解しております。ですがこれ以上は、ただ徒に傷を広げるだけです。幸い、ヴェリキー家の方は蒼天石なしでもお姉様を迎え入れてくださるとの事でした」


 ヴェリキー家。その名前を再び出された時、唐突に一つの仮説が浮かび上がった――もしかしたら、ハンナ嬢の意識が私の中に一瞬だけ蘇ったのかもしれなかった。

 アリスの言った通り社交界は情報交換の場だ。そしてその社交界で見知った相手に頻繁に顔を合わせているため、貴族の世界と言うのは広いようで狭い。

 知り合いの友達の友達の友達が、知り合いとは別の分野での知り合いであったなんてこともあり得る世界である。


 つまり、だ。

 ヴェリキー家の誰だかが、ベニントン家の誰だかと関係が無いとも限らない。

 或いはお互いの何らかの知り合い同士が、だ。


 仮に、ヴェリキー家がハインリッヒ家を乗っ取ろうとしているとしよう。

 そしてその点でベニントン家と利害が一致したとしよう。

 お互いになんとかしてハインリッヒ家の攻略法を探したとしよう。


 私の買収疑惑に目をつけたとしよう。もしくは、その一環として買収疑惑を流したとしよう。


 その上でこういう方法は考えられるはずだ。即ち、疑惑が広がり、家中にすら私への不信が生まれたところで、その不良債権化しそうな娘を好条件で引き取るという話を持ち掛けて、その際に棄権を促す。

 まさに地獄に仏で断るはずがない。楽に話が進む上に、ともすれば娘を引き取って“くれた”と、恩に感じてくれるかもしれない。


 後は見ているだけで、必要なら時々適当に煽ってやるだけでいい。それだけで――丁度今そうしているように――良かれと思って生じた内ゲバで勝手に自らに止めを刺してくれる。

 そこで私を棄権させ、計画通りに進めばよし。もしそれに失敗しても、疑惑を拡散すればどの道ハインリッヒ家は終わりだ。その後吸収する方法などいくらでもあるだろう。


 「……分かりました」

 そこまで考えが纏まった所で静かに息を吐きながら告げる。

 「では――」

 「先程の決闘、お受けいたします」

 そうだ。

 ここでアリスに従わないですむ方法は、残念ながら私の頭ではこれしか思いつかない。


 戦う。そして勝つ。

 これだけだ。


 「その代わり、私が勝ったら大人しく退いていただきます。よろしいですね?」

 「ええ。勿論ですわ」

 話は決まった。

 なら善は急げだ。

 席を立ち、伸びを一つ。

 武闘大会の期間中は試合場が設営されたままになっており、申請を出せば使う事も出来る。

 古い貴族の作法と武闘大会の規則は同じだ。というか、貴族の決闘に端を発する乙女の決闘であるというのが、この武闘大会だった。


 「あ、あの……」

 「ああマルタ。突然で申し訳ありませんけど、試合場の使用申請をお願いできますかしら」

 「か、かしこまりました……」

 頭を下げながら、眼鏡の奥の目には分かりやすく不安を湛えている。


 「大丈夫。すぐに終わりますわ」

 ちらりとアリスを見る。

 鏡で見た自分の顔によく似ているが、体格は貧弱だ。

 記憶が正しければ、彼女も格闘技の経験などない。

 素人相手に手を上げるのは気が引けるが、今回は仕方がない。トラウマにならない程度に転がして終わりにしよう。


 「……あら?お姉様。何かお考え違いなさっているのではなくて?」

 そんな私の視線に気づいたか、アリスはくすくすと笑いながらそう漏らす。

 「考え違い?どういう事かしら」

 「私とて、お姉様がいつの間にやら格闘術を学ばれた事は存じておりますわ。素人の私が立ち会ったとて、勝負にはなりませんでしょう?ですので、代理人を立てさせていただきます。レティシア」


 名前を呼ばれ、横に待機していたレティシアがすっと立ち上がる。

 人形のような綺麗な顔立ち。それに相応しい、メイド服の上から分かる体つき。しかしその手が妙に節くれだっているのに、その時になって気が付いた。


 「お姉様との決闘、貴女が代理を務めなさい。手加減は無用よ」

 決闘の代理人。

 そんなのありか。

 残念だが、ハンナ嬢の知識がそれを有効だと認めている。

 そもそも突然そんな事を振られてもレティシアも困ると思うのだが――そんな私の考えはあっさりとひっくり返された。


 「……ハンナ様がそれでよろしければ」

 決闘を受けると言った以上、ここでダメとは言えない。

 ルールに則っているのだから断る事は出来ない。

 「ええ。私は構いません。よろしくお願いしますわ。レティシア」

 余裕を見せられるように答えて、改めて彼女を見る。

 戦闘能力は未知数だが、フィジカルのポテンシャルは十分にあるだろう。

 まず間違いなくリーチはあるし、あの手を見る限り打撃。それもベアナックルのそれに慣れている。


 そこまで見たところで、アリスがマルタの方に向く。

 「彼女に相応しい衣装を用意して頂けますかしら?」

 「かしこまりました。それでは、どうぞこちらへ」

 「助かります。ありがとうございます」

 マルタに深く一礼してレティシアが席を辞する。


 「それでは、使用申請とレティシア様のご用意に行って参ります。お先に試合場へお願いいたします」

 「ええ。よろしくお願いね」

 何となく紅潮している気がするマルタと、彼女に着いて外に出たレティシアを見送ってから私も試合用コスチュームに着替える。


 「……そう言えば、お姉様にはお伝えしておりませんでしたわね」

 「何をでしょう?」

 着替えながら答える。

 「レティシアの事です。お姉様がこちらに来てから知ったのですが、彼女、相当強いのですよ」

 「ふぅん。貴女にも今までレティシアの事で知らない事があったのね」

 記憶の中の姿:日本で言えば小学生ぐらいの頃から、アリスはレティシアが面倒を見ていた。

 その頃から、アリスはレティシアには良く懐いていた。


 そしておぼろげなのだが、その頃からレティシアは今と大して変わらない容姿だ。

 (……落ち着け。集中しろ)

 興味のあるところだが、今は頭から排除しておく。

 パチンと掌と頬とが音を立てる。

(つづく)

今日はここまで

続きは明日に


明日こそ、明日こそは試合開始します

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