来訪者4
馬車が完全に停止する――測ったように私の目の前で。
「お久しゅうございますお嬢様」
そう言いながら御者は御者台から飛び降りると、馬車の横に回って扉を丁重に引きあけ、その場に傅く。
「ご機嫌麗しゅうお姉様!」
その扉の向こう。レースのカーテンをひらりとくぐって現れた、私によく似た目鼻立ちの少女。
当然ながら全く面識のない私だが、それでもハンナ嬢の記憶が彼女の正体を、そしてどう接するべきかを教えてくれる。
「ご機嫌麗しゅうアリス」
降りてきたアリス=その少女に同じような挨拶とコーテシーを、鏡写しのように返す。
アリス。フルネームはアリス・コーデリア・ハインリッヒ・ラ・ラルジュイル。
その名前と口にした私への呼び方からも分かるように、ハンナ嬢の妹だ。
「突然どうなされたの?あなた、学校は?」
「今日はお休みでしてよ」
彼女の着ているブレザーとスカートは当然ながらこの学校の物ではない。
ブレザーの胸に入っている校章はハンナ嬢の記憶にも残っている。
サワーソン幼年寄宿学校。日本で言う小6~中3までの年齢の生徒が通う幼年学校のうちでも、このカシアス女学園と同様の全寮制の幼年学校で、これも我が校と同じく貴族の子女が多く通う名門校だった。
「そうでしたの。それで?今日は何か御用?」
尋ねながら、久しぶりに再会した妹に対してハンナ嬢の記憶は明確に警告を発している。
久しぶりに出会った妹。姉を慕ってやって来た?とんでもない。こいつはそんなタマじゃない。
「ええ」
短く、簡潔な答えと、15歳にして身についているどこか冷ややかな笑み。
ハンナ嬢の記憶によれば、この子がこの表情をする時には大抵碌でもない事が――そしてその場合非常に不愉快な思いをする事がほぼ確定であった。
「実は、お姉様に少しお話したいことがございますの」
それだけ言うと、彼女は御者を見下ろす。
「もう結構。ここからは歩いて行けますわ」
「はっ。では、どうかお気をつけて」
やり取り――というか彼女が一方的にそう告げただけだが――の後、私の方に向き直るアリス。
「お姉様、どこか静かにお話しできるところにご案内してくださる?」
こちらはまだ何も言っていないのだが、案内するのは決定事項であるかのように。
いやはや、貴族のお嬢様である。
まあ、仕方がない。事実立ち話もなんだ。
「ええ。よろしくてよ」
私の答えと同時に御者がこちらに一礼して立ち上がる。
同時に開いていた扉からすっと、もう一つの人影が現れた。
「あら、久しぶりねレティシア」
その人物はハンナ嬢も良く覚えていたようだ。名前はすっと出てきた。
「お久しゅうございます。ハンナお嬢様」
すらりとした背の高いメイド。
170は優に超えているだろうその長身をピンと伸ばし、キャビンアテンダントのような完璧な所作での一礼。
レティシア。ハインリッヒ家に仕えているメイドの一人。
ハンナ嬢が家にいる時から、というか今のアリスの歳より幼いころから仕えているメイドだが、実年齢は不明。
もっとも、実年齢など問題にならない程に整った顔立ちではある。
すらりと鼻筋の通った、涼やかで中性的な女性。その長身も相まって、男でも女でもその方面では決して苦労しないだろうというのは想像に難くなかった。
そしてその顔と同じく、昔から変わらない、うなじの辺りで一本にした、緩く癖の付いたセミロングの暗い銀色の髪が頬を撫でる秋の風に揺れていた。
「貴女は変わらないわ」
「お嬢様もお変わりないようでなによりです」
実際にはガワ以外別物なのだが、当然ながら黙っている。
――しかし、この切れ長の目で見られてどきりとしたのは私なのか、俺なのか。
「どうぞ、二人とも。ご案内いたしますわ」
どちらかというとアリスよりもレティシアにそう言って、私はくるりと学生寮の方に向きを変えた。
とは言えアリスの要望は忘れた訳ではない。
静かに話せるところとなれば、とりあえず自室に連れて行けばいいだろう。一応寮には談話室や応接室もあるが、前者は生徒も利用するし、後者を使用するには前もって各寮長に許可を取る必要がある。
一応他に予定が無ければ飛び入りで応接室を使う事も出来るだろうが、確実にという訳ではない以上、最初から部屋に案内した方が確実だろう。
――正直八百長疑惑をかけられて以降、寮長には会いたくないというのが大きい。
どうせ今日の夜には貴族的オブラートに包んで「寝言は寝て言え糞が」と伝えなければいけないのだ。今から会いにいく必要もない。
二人を連れだって学生寮へ。馬車が石畳の上をカタカタと音を立てながら追い抜いて行く。学生寮にも教室棟にも駐車場というか馬車止めが設けられている。
「改めて立派な建物ですこと!」
寮に差し掛かったところで、観光客のようにそれを見上げて声を上げるアリス。
サワーソンがどういう学校かは知らないが、規模で言えば恐らくここより小さいのだろう。
そんな私達の横を他の生徒たちが通り抜けていく。
「「ごきげんよう」」
「ごきげんよう」
その名も知らぬ生徒とアリスが挨拶を交わし、レティシアが深々と頭を下げる。
他の生徒の客人には、例え知らない人物でもしっかりと挨拶するのは、この学園の美徳と言えるかもしれなかった。
すれ違ってから今の二人を振り返る。
嬉しそうに何やら囁き合いながら教室棟の方に歩いて行く背中が見える。
挨拶を交わす直前、二人の視線がレティシアに向いていた事。挨拶の直後も彼女の方を見ていたことは流石に私でも気付いている。
「こちらですわ」
寮の中へ。
なんとなく、家族に学校内を案内するのは妙な気分だ。
三階まで上がり自室へ。
「お帰りなさいませ」
扉の向こうにいたマルタが出迎えてくれる。
彼女も私の後ろにいる二人は気付いたようだ。
「妹です。お茶でもご用意して頂けるかしら?」
「か、かしこまりました」
マルタの目もまた、レティシアの方に引っ張られていた。
二人を部屋に招き入れ、いつものテーブルへ。
「どうぞ。おかけになって」
「失礼いたしますわ」
ひらりとスカートを翻し席につくアリス。
その後方で直立不動の姿勢を取るレティシア。
――やりにくい。
「レティシア。貴女も座ってちょうだい」
苦笑交じりにそう言うと、ほんの少しだけ驚いたように口元が動いた。
「お心遣いありがとうございます。ですが、どうぞお気になさらず」
まあ、今までのハンナ嬢ならそうだろう。
そもそもこんな言葉をかけた事自体がおかしいのだ――そのリアクションを見るに。
「いいじゃないレティシア。姉様がそう仰るのだし、おかけなさいな」
意外にもアリスの方がそれに賛同した。
面白そう――ただそうした興味だけだろうという事はなんとなく予想がついた。
「では、失礼いたします」
アリスと並ぶと親子かそれ以上の体格差だ。姿勢がいいから余計に。
「お待たせいたしました」
間をおかずに現れたマルタ。ティーセットのカップは三つ。
「あっ、いえ。私は……」
「いいのよレティシア。折角訪ねてきてくださったのだもの、二人とも私のお客人よ」
言いながらふと考える。
流石にこれは疑われるか?いくらなんでもハンナ嬢の姿と違い過ぎる。
「……変わられたのね、お姉様」
そして、悪い予感と言うのは往々にしてよく当たるのだ。
「な、何が……」
「以前でしたら使用人のことなど歯牙にもかけなかったでしょうに」
くすくすと面白そうに笑うアリス。
その真意が掴みかねないのが不安を煽る。
「……そうでしょう」
少しの沈黙の後、私はそう言って彼女をまっすぐ見据えた。
「私は変わったのですよ。あの雷以来ね」
咄嗟の判断:隠すより別の形にして伝えた方がダメージは少ない。
「ええ。そうでしょう」
アリスはそんな私の考えをどう思っているのか、楽しそうな笑顔を変えずに少しだけ身を乗り出す。
「でなければ、蒼天石を手放したりは致しませんわ」
成程、用件はそれか。
まあいい。好都合だ。この際それを隠れ蓑に使わせてもらおう。
格闘と同じ。避けきれないのなら捌くまでだ。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に。
なお、次回からはいつも通りの投稿を予定しております。