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来訪者3

 「それでは、お先に失礼いたします」

 「ごきげんよう」

 先客はさっと水浴びを済ませると、一礼して風呂場を辞した。


 彼女が去ってから、その背後を目で追っていたミーアが声を漏らす。

 「あの方がユーリア様……」

 「あら、ご存知でしたの?」

 意外なところに彼女の正体を知る者がいたのか。そう思って尋ねると、彼女はどこか恥ずかしそうに笑って答えてくれる。

 「私が直接存じ上げている訳ではないのですが……」

 それからもう一度、彼女が出て行った方を見る。

 「まだ私がシャーロット様の元におりました折に、あの方のお話を伺った事がございます」

 シャーロット。その名前に反射的に神経を尖らせる。

 ユーリアと呼ばれた彼女も関わっているのだろうか。


 だが、その疑問はすぐに打ち消された。

 「同じような立場にあった当時の友人が、あの方とお知り合いでした。いえ、決して交友があったという訳ではないそうですが、その方から、あの方のお話を伺ったのです」

 人づての噂か。

 まあ、それでもいいさ。


 「ご実家は騎士階級なのだそうですが、身分長幼に関わりなくどなたにも親切で、とても良き方だと……」

 騎士階級。

 一応は貴族の下、平民の上とされているが、実態は平民となんら変わらない。

 要するに武装して、軍役についている平民のようなものだ。その多くは貴族のような諸々の特権もなく、精々平民上がりの軍人が兵卒からなのに対して、騎士階級であれば下士官からスタートするぐらいでしかない。

 一応騎士の中にも階級はあるのだが、上位階級は今や貴族の名誉階級以外の意味をなさなくなってきている。

 事実、この学校でも扱いは平民と同じだ。


 「成程、それは良き方ですね」

 「ええ。それと、これは予選の前まで私の練習相手を務めてくださっていた方に伺ったのですが……」

 そこで一度言葉を区切る。

 その話し方と内容とに、嫌でも私の注目は次の言葉に集まった。


 「……恐ろしく強いそうです」

 ぽつりと、思い出すように告げるミーア。

 その誇張も何もない言い方が、却って真実味を持たせている。


 「へえ。それほどですの?」

 「ええ。その方の仰るには、あの方に対抗できるのは会長ぐらいではないか……と」

 あの会長と同格。

 それはここでは非常に分かりやすく、そして非常に警戒すべき強さのバロメーターだろう。

 今まで一度も彼女の試合を見た事が無いため詳細は不明だが、どうやら油断ならぬ相手は会長と北棟の柔道家だけではなさそうだ。


 「……成程、油断できない方ばかりですわね」

 ミーアに倣うように、彼女の出て行った扉の方に目をやる。

 と、同時に頭に浮かんだ疑問を解決しておく。

 「ところで、シャーロット絡みの選手はもういないのかしら?」

 先日のリーファだってたきつけたのはシャーロットだった。

 これ以上厄介な相手を引き合わせられてはたまらない。


 「恐らくその心配はご無用と思います」

 だからミーアのその返事には思わず安堵の溜息を洩らした。

 「あの方と交友のある方たちの中で他に格闘技の心得がある方はいらっしゃいません。私の練習相手を務めてくださった方も、今回は練習相手に専念させるというシャーロット様のお考えで出場なさいませんでしたので」

 つまり、もうここから先はあの女が試合で潰しに来る可能性は無いという事だ。

 もっとも、それで楽が出来るという訳ではない事は、今までの会話や見てきた試合からも明らかだが。


 そんなやり取りから二日経った、カシアス女学園創立記念日。

 一般の生徒には午前中に行われるセレモニーだけで、午後は休校となる日。私にとっては棄権するか否かの最終決定を下す日。


 もっとも、大した話ではない。棄権するつもりなど毛頭ないのだから。


 あの日以降、周囲の反応は少しだけ変わった。

 それまでの存在しないような、誰からも触れられない状況から、あからさまに陰口を叩かれ、後ろ指を指されてひそひそと内緒話のネタにされるような、言ってみればより分かりやすいいじめの姿へと変わった。


 「……」

 まあいい。

 別に直接被害がある訳ではないのだ。

 現代にいた頃にもいじめはあったが、その時に見聞きした話に比べれば、こんなものまだ序の口のジャブ。いやそれ以前のウォーミングアップのようなものだ。何しろ少なくとも自室にいれば確実に安全が確保されている上に、だれも直接の手出しはしてこない。

 陰口も所謂ホームルームが無い関係で精々が廊下や食堂程度に限定されたもの。SNSの類もないため情報伝達にも限界がある。


 そもそも、ここはやんごとなき方々のご息女の集う名門お嬢様学校で、落ちたりとは言え私は公爵令嬢だ。“俺”を筆頭に地元のアホ共が集い、休み時間に部室に隠れて煙草をふかし、トイレで後輩をシメていた我が母校とは文字通り世界が違うのだ。


 「えー……という訳で、生徒の皆さんには、今後も栄えある我が学園の名に恥じぬ素晴らしい淑女として――」

 念仏のような学長の話を聞き流しながら終わるのを待つ。

 この聞く気の失せる演説が終われば午後は自由の身だ。


 「――以上であります」

 待ちわびた瞬間。

 ようやくこいつの演説から解放されるという喜びが辺り一面に広がっていく。

 それを制御するように、代わって檀上に現れた教頭が声を上げる。

 「では、これにて式を終了します」

 長いお話と、その後の整理された退場。

 ようやく解放された時には、特に何かした訳ではないのに妙な疲労感が纏わりついていた。


 「はぁ……」

 取りあえず部屋に戻ろう。

 そろそろ昼食の時間になるだろうから、そうしたら食堂に行く。

 昼を終えたら後は練習だ。

 棄権するつもりはない。だから、明日の抽選も当然そのまま行われる。


 誰と当たるのかは分からない。

 あの柔道家か、会長か、或いはその会長と互角に匹敵するらしいユーリアか。勿論他の誰かである可能性もある。

 なら、誰が来てもいいように万全の状態を作っておくべきだろう。


 だがそんな考えは、学生寮とは反対、正門方向で聞こえてくるざわめきと、その発生源である人だかりによって打ち切られた。

 「騒がしいですわね」

 何かあったのだろうか。

 特に考えるでもなくそちらに目を向けると、丁度4頭立ての屋根つき馬車がこちらに向かってくるところだった。

 学園にはいくつか門があるが、正門は馬車ごと入る事が出来る上に、そこから学生寮までドライブウェイが伸びていて、直接乗り付ける事が出来る。


 「どなたかのご面会かしら?」

 その馬車が近づいてくる。道の関係上こちらに横っ腹を晒す形で。

 屋根つきといっても実際には屋根だけではない。

 馬車は複雑な模様の入った車体で完全に覆われ、サイドの扉に設けられた窓の向こうにはレースのカーテンまでつけられている。


 それが貴族のものであるという事を示すように、扉には紋章が入っている。


 ここまで行くと馬車というより移動する部屋と言った方が近いかもしれない。

 現代の感覚で言えば、大企業の社長や政治家が乗ってそうな超高級車だろうか。

 今歩いている道のすぐ横を通っているドライブウェイ。道に沿って途中でカーブし、こちらに真っ直ぐ向かってくる。


 その馬車を見ると、こちらに気付いたのか、御者が帽子を取って馬をあやし、スピードを緩め始める。

 「あら……?」

 そして正面にもどこかで見た紋章。

 どこかで――いや、言ってしまおう。手紙とかで。

 というか、私がそれを書いた事もある。


 見間違えよう筈もない、ハインリッヒ家の紋章。

 つまり、訪ねてきたのは家の誰か。

 ご面会なのは、他でもない私だ。

(つづく)

今日はここまで

続きは明日に


明日も同じ時間での予約投稿を予定しております

次回かその次ぐらいには次の試合……のはず

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