来訪者2
「……はい?」
何を言っている?
不正?私が?なんで?どこが?
様々な疑問が同時に頭の中に浮かび上がり、あまりに同時多発すぎて一つしかない口に到達する前に詰まってしまっている。
そんな私の状況を知ってか知らずか、コンロイ寮長は説明を始める。
「ミス・ハインリッヒ。貴女は先日行われた予選でミス・カルドゥッチと戦い、そこで勝利して本戦に駒を進めた」
その通りだ。
そもそもミーアと私とを戦わせたのは寮長である。
いや、厳密に言えば裏で糸を引いていたのはシャーロットだろうが、この人が一枚噛んでいるのはまず間違いなかった。
「そのミス・カルドゥッチが、貴女から金品で買収され、試合で勝ちを譲ったという噂が広がっております」
成程、成程。そういう話か。
恐らくだが、シャーロットが発端だろう。
全くの事実無根だ。
「何をおっしゃりますやら……」
「では、噂は事実ではない、と?」
じろりと神経質そうな目がこちらを見る。全身を精査するように。危険物や薬物の類を持っていないか検査するように。
だが、どんな目で見られようが私の主張は変わらない。
「ええ。全くの事実無根ですわ」
ただ一点の曇りもない無罪。
つまり事実をそのままお伝えするだけ。
「どなたがその様な事を仰っておられるのかは存じ上げませんが、全く事実ではございません」
きっぱりとそう告げる。
「ですが、貴女がミス・カルドゥッチに高価なプレゼントをしたのではないかという噂もございますし、何より貴女達があの試合の頃から親密なお付き合いをなさっているのは、複数の目撃者がおります」
それは事実だ――時系列を無視すればだが。
ふと意識を背後の机に向ける。高価なプレゼントをしたことがどこから漏れたのか。
まず私ではない。そんな事を自分から周囲に宣伝する事はしないし、そんな事をするメリットもない――更に悲しい事にそんな話を聞いてくれる友達もいないときている。
となれば?
仮説その1:ミーア。
だがこれもないだろう。彼女が全てを明らかにしたのなら、その時はそもそも“何故”それが必要になったのかを説明せねばなるまい。
となれば当然、シャーロットを悪役にする必要がある。身勝手な理由で婚約者一族を窮地に立たせた悪逆非道な人物として。
どこで本人の耳に聞こえるか分からない学園内でそんな事をするほどあの子は馬鹿でも勇敢でもない。
仮説その2:子爵。
これはありそうだ。蒼天石の件はミーアの家と私の家とに極めて丁重な感謝を示したことがミーアの口からと先程の魔電から分かっている。それに、私へは手紙でその旨を伝えてきた。
何でも実家から――どういう理由づけをしたのかは知らないが――娘に直接顔を合わせるのはNGというふうに言われていたらしいと、その感謝の表現辞典のような手紙に記されていた。
彼が嬉しさのあまりに周囲に漏らし、それが生徒の誰だかの親兄弟の知る所となって……という展開は無い訳ではないだろう。
だが、一番怪しいのは次だ。
仮説その3:シャーロット。
説明不要。ほぼこいつで確定。証拠はないが。
「……それで?だとしたらどうだと仰るのです?」
「では、その2点はお認めになるのですね?」
そうだ――と思わず言いかけて考え直す。
「プレゼントに関しては無闇矢鱈に人に喧伝するものではございませんので回答は控えさせていただきますが、あの方とお付き合いがあるのは本当ですわ。ですが、それに何か問題がありますかしら?」
下手なことを口走って言質を取られるような真似は避けなければならない。
だがこの回答では寮長=ベニントン家の走狗は納得しないようだ。
「勿論問題はございません。学園の、そして同じ寮の仲間として友誼を深めるのは大変結構です。ですが、そうは見ない者がいないとは言い切れません」
「あら、それはどなた?」
思わず声に怒気が籠る。痛くもない腹を探られるのは気分のいいものではない。
勿論相手はそんな事織り込み済みだ。
「それは申し上げられません。ただ、人が多く集まる場所では、時として真実でない事が真実であるかのように伝わる事があるものです」
静かに、まるで台本を読むかのようにすらすらと言葉を並べる。
「貴女もご存じだとは思いますが、武闘大会の決勝は国王陛下のご覧になられる神聖なものです。そこにそうした怪しげな疑惑を持ち込むことは決して好ましくありません」
次の台詞は読めた。
「ならばどうしろと?棄権せよとでも?」
冗談めかして笑いながら。
しかし相手には一切笑いはない。
「……本来、疑わしきは罰せよという姿勢は褒められたものではありません。ですがもし貴女がこのまま勝ち上がっても、勝利を買い取ったという疑惑が残れば、それは由緒ある学園の伝統と威厳を損なわせる可能性があります。そしてご息女がそのような立場に置かれる事は、お父上もお望みではないと」
「噂が立ったから棄権せよと、そう仰るのですね」
一瞬沈黙する。
「……今すぐにとは申しません。三日後の創立記念日、その日の夜にもう一度棄権するか否かを確認させて頂きます。もし棄権なされるとしても、決して貴女が罪を認めたという形にはなりません。『事態を鎮静化させるために賢明な判断をなさった』という評価がきっと皆に広がる事でしょう」
嘘っぱち。
本当にそんな事を考えるような精神構造なら、最初からそんな噂など流すものか。
大方「本当にやましい事があったから自分から幕引きを図った」という形にするのだろう――目の前のこいつと、その飼い主が。
「……お話は以上でしょうか?」
「ええ。賢明な判断を期待いたします」
奴を部屋から送り出す。
マルタが見ていなければ唾を吹きかけ塩をまいている所だ。
シャーロットにはご用心なさって――試合の後のリーファの言葉が思い出される。
「こういう手で来ましたか……」
どうやら本気で邪魔したいらしい。
どうするべきか。その考えも纏まらぬまま鳴り響いた風呂の時間を伝える鐘に、私は残ったお茶を一気に飲み干して部屋を後にした。
「……と、いう事が昨日ありました」
翌日の練習後、ミーアにも一応話しておいた。
「そんな……っ、ひどい誤解ですわ!」
驚いた様子で憤慨するミーア。
「誰がそんな噂を流したのか……まあ、申し上げるのはよしましょう」
まだ憶測ですし、と付け加えておく。
多分彼女の頭の中に浮かんでいる顔も、私の中のそれと同じ人物だろうが。
そんな話をしながら風呂場へ。
いつものようにぬるま湯仲間。だが、今日は先客がいた。
「あら、ごきげんよう」
「「ごきげんよう」」
エントリーした際に生徒会室で出会った娘。そう言えばお湯を用意してくれるおばさんからこれをやる貴族は私達だけと聞いたが、彼女も別の階級出身なのだろうか。
北棟の平民出身の子と親交があるようだったが、彼女も同じくここ西棟だった。
――流石にここで今までの話を続けるのはまずかろう。
彼女を疑う訳ではないが、無闇に疑われる元をばら撒く必要もない。
「兎に角、貴女も気を付けて」
ミーアにそれだけ告げて話を打ち切る。
――その時、それまで道着に隠れていた左腕に見覚えのない痣が出来ているのが目に入った。
「あら、どうかなさったの?」
確か今日の練習でここを打った覚えはない。
「実は……」
私がそれに気づいた事に、ばつが悪そうな表情を浮かべたミーアが少し黙ってから口を開く。
――なんとなく、悪い方向に考えてしまう。
「朝ベッドから落ちまして」
シャーロットの元を離れた事でいじめられて――はい?
「その……、お恥ずかしいのですが、私寝相が……あまり……」
杞憂だったのか。
「そ、そういう事でしたの」
思わず微笑むと、彼女も恥ずかしそうにはにかんで目を伏せた。
昨日の魔電と八百長疑惑以来、久々に穏やかな気分になった気がした。
(つづく)
今日はここまで。
続きは明日に。
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