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来訪者1

 「……とんでもないですわね」

 思わず呟いたその声が自分の物だと気付くのに数秒を要した。

 ギャラリーは思い出したようにわっと沸き立って、対戦相手と自分達とに一礼して試合場を後にする会長へ未だに喝さいを送っている。


 とんでもない。


 動き自体は単純だ。おそらく、真似しろと言われれば私でも出来るだろう。

 だが、それで同じ結果を出せるという自信はない。

 何が起きていたのかは分かる。どうしたのかも分かる。だが、どうしてそれが出来るのかが分からない。


 一瞬背筋を走った寒気が恐怖によるものか、武者震いか、それは私自身にもよく分からなかった。

 本当に、本当に、とんでもない奴がいたものだ。




 そして、とんでもないやつは他にも、それももっと身近にいるのだという事を、私は試合から二日後に思い知る事となった。


 「……」

 放課後、ミーアとの練習と、恒例となった水浴びというかお湯浴びを済ませた私は、風呂までの時間を自室の机に向かって費やしていた。

 ――そうしたくて、ではない。


 「はぁ……」

 手の中の紙を机の上に放り出して、目が疲れた時にするように目頭を押さえる。

 情けないやら呆れるやら=今放りだした物の感想。

 「ったく……」

 思わず素を出してからはっとして振り返る。

 薬缶がシューシュー音を立てている簡易台所の方に目をやるが、幸いにもその音でマルタには聞こえていなかったのだろう。……そう思いたい。


 もう一度溜息をついて放り出した紙に目をやる。

 モルゲンシルト魔電局――差出人=ドミニク・ハインリッヒ公爵閣下の名前の下に刻印されたそれが、この紙を学園まで届けた。

 魔電。正式には魔術式電気信号通信というらしい、ここ数年で実用化された手紙に変わる通信手段。

 現代で言う電報とシステムは同じだ。もっとも、必要な設備が比べ物にならないぐらい大規模なため、未だに一部でしか取り扱いがない上に利用料金も決して安くはないのだが、それでも我が父上はそれを娘に寄越した。




 ソウテンセキノケン ソルドーシシャクケヨリレンラクアリ イタクカンシャサレルモ ワレラネミミニミズ




 その書き出しの一文にもう一度目を走らせる。

 貴族特有のこじらせたマナー教室みたいな長々と装飾された文章ではなく、ただ伝えたい事だけを簡潔に伝えるための文章だ。


 魔電は速いが、そのぶん高い。

 さらに性質上文章が長くなると料金も余計にかかってしまうため、少しでも安くするためにこうした文章にならざるを得ない。

 そもそも魔電を送る時点で「緊急にして重大」な要件であるため、専用のつるつるした魔電用紙と、それに刻まれる魔電局の刻印が挨拶の代わりとなっている。


 そんな代物である。もしかしたらこれでもかなり贅沢な使い方なのかもしれない。

 そしてその贅沢な魔電まで寄越して伝えたかったことは、私がミーアに、正確には彼女を通してその婚約相手の子爵に蒼天石を渡してしまった事を咎める内容だった――まったく贅沢な使い道だ。


 だが、それだけならまだ分からないでもない。

 問題はその内容だ。


 要約すると、田舎の子爵風情にハインリッヒ家の人間がその財産をくれてやる必要はない。名門たる我が家の名を安売りするなという事だ。

 送られてきた内容の半分近くはハインリッヒ家がいかに栄誉ある家柄であり、田舎の零細貴族などとは比べ物にならないのだという、身内に対する身内自慢で占められている。


 だが、これでもここまでならまだ何とか我慢できる。そんな事で一々高い魔電なんか打つなとは思うが。

 残りの半分はどうしようもなかった。


 ハインリッヒ家のような名家は、付き合う相手にも相応しい家格というものが存在し、それに見合わぬ者との交流などは、ただ時間と財産を空費するだけの罪悪である。それもくれてやったのが高価な蒼天石であるなどとは言語道断である――これである。


 もし万が一、その非難の理由が、相手が我が家と政治的・経済的・思想的――まあ、何でもいいのだが、敵対している関係にある者だと言うのなら分かる。私のしたことを利敵行為だと非難するのはおかしい事ではない。


 或いはその子爵やミーアが人間的にどうしようもない人物であって、人の助けを感謝しないばかりか、貢物を持ってきたなどと考えるような――これに一番近いのが記憶の中のハンナ嬢なのが情けないが――連中であっても納得がいく。そんな奴は助けてやる必要はない。


 またもしくは、これから先ハインリッヒ家がどうなるか分からない時に、いつでも生活資金に換えられる貴重な宝石を人に譲渡したことへの非難ならそれはもっともだ。正直に言えば、私の中にすらその考えはあるのだから。


 だが、今回の非難はそのいずれでもない。

 故に情けない。


 最大限好意的に解釈すれば、人に簡単に良い顔をすると有象無象からいいようにたかられるという警告なのかもしれない。

 だが文面を見る限りそうではないのだ。父上は、公爵閣下は、今や社会的に死にかけのこの男は、本当に純粋に、心の底から、偉大なるハインリッヒ家の人間が、取るに足らない田舎者と付き合いを持つことが許せないのだ。


 その田舎貴族を手の届かないやんごとなきお方と見上げなければならなくなるかもしれない瀬戸際ですら、だ。


 揚句は、今回の一件は私の独りよがりの独断専行であるので、家とは無関係であることを明言した上で、自分で何とかして蒼天石を取り戻すようにとまで言い出している。

 二の句が継げないとはこういうのを指すのだろう。


 「頭痛くなってきますわね……」

 ただでさえ手紙を書くのは得意ではないのだ。

 それをこんなものに一々返信を、それも「寝言は寝て言え」という内容を送らなければならない。

 それを考えると、自然と溜息ばかりが漏れてくる。

 どうしたものか――考えたくない問題を無理矢理考えようとしていた時に、背後で扉がノックされた。


 「はい。ただいま」

 マルタがひょいと飛び出して扉に向かう。

 この時間に来客など、というか――自分でも言っていて悲しくなってくるが――私を尋ねてくる者などかなり珍しい。

 というか、一回戦以降妙に皆の態度が変わった気がする。

 それまではいない者扱いだったのが、ひそひそと何かの陰口を叩かれているように変わったように思える。

 ――まあ、これはただの主観だが。


 「あっ、これはこれは……。どういったご用件でしょう?」

 「どうなさったの?」

 マルタの声が気になって振り向くと、扉の向こうには見知った顔=コンロイ寮長。


 「こんばんは。ミス・コーデリア。少し上がってお話してもよろしいかしら」

 「はい。ミス・コンロイ。どういったご用件ですかしら」

 突然のお部屋訪問。

 妙に緊張するが、後ろめたい所はない。

 むしろあるとすれば相手の方だろう。予選の件は忘れていない。

 「ありがとう。失礼いたします」

 「どうぞこちらへ。今お茶を――」

 ちらりと目をやると、マルタがティーセットにカップを一つ追加しているのが見えた。


 「……」

 嫌な沈黙だった。

 席はこの前ミーアを連れてきた時と同じなのだが、部屋の雰囲気はまるで違う。

 彼女から感じた第一印象がそのまま部屋中に広まっているようだ。

 その雰囲気の張本人は出されたお茶で唇を湿らせるとカップを置いた。カチンというテーブルとソーサーの音がいやに響く。


 「さて、今日こうして参ったのは貴女に一つ確認したいことがあるからです」

 「はい。なんでしょう」

 心当たりは全くない。

 いや、一個だけある。私が私であるという最大の奴が。

 それを自覚した瞬間全身が強張った。どう切り抜けるべきなのだろうか。


 だが、それはすぐに杞憂に終わった。

 「単刀直入に申し上げます。ミス・ハインリッヒ、貴女に今回の武闘大会での不正疑惑が持ち上がっています」

 その、完全に想定外の嫌疑によって。

(つづく)

今日はここまで

続きは明日に

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