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プロローグ2

 その奇妙な目覚めから20日程が過ぎた。

 俺――いや、私?まあ、どちらでもいいが――の名はハンナ・コーデリア・ハインリッヒ・ラ・ラルジュイル。大陸の歴史ある大国クラティオン王国の貴族ハインリッヒ家の令嬢にして、名門寄宿学校王立カシアス女学園の生徒だ。


 正確には、雷に打たれて三日間意識不明だったそのハンナお嬢様に憑りついた千曲一直だが、そんなことを明かしたところで頭がおかしいと言われることぐらいは分かっているので黙っている。


 「はぁ……」

 その俺改めハンナお嬢様は溜息をつく。

 寮の自室。その机の上に置かれた二枚の手紙がその理由だ。

 そのうちの一枚、今手に取っている方は一言で言えば破談を知らせるものだった。お相手は王国南部に広大な領地を持つ大貴族アンドロポフ家の御曹司。宮廷処世術と薄汚い陰謀だけ、要するにお友達がいっぱいいるというだけでのし上がったハインリッヒ公爵の娘と、貿易と海運業で今をときめくアンドロポフ家の御曹司との結婚。勿論政略結婚でないはずがない。


 俺改め私が最終学年である今年を終えれば、卒業と同時に結ばれるはずだった縁談。その約束された未来は、ただ一通の一方的な手紙によって消滅した。


 婚約破棄通告。ハンナ嬢の記憶が正しければ好意を表すあらゆる表現方法を連ねていたついこの前までからは全く想像もつかない程そっけないその手紙は、まさしく今ハインリッヒ家が置かれている状況を物語っていた。


 父上=ドミニク・ハインリッヒ公爵は今や失脚の瀬戸際にある。


 何があったのか、ポール=目を覚ましたあの日に涙を流していた老執事が送ってきたもう一枚の手紙には長々と書かれていたが、この際細かい点は省く。

 要するに、お友達だけが自慢の男がボロを出し、そのお友達から愛想を尽かされてしまったのだ。

 人脈と陰謀の男。それが、その人脈から利用価値が無いと判断されてしまうとはどういう事か。ポールの送ってきた長く悲痛な文面の手紙からでもその事は良く分かった――勿論、その中では公爵閣下は立派な大人物として扱われていた。人脈自慢の陰謀屋というのはハンナ嬢の記憶にある父の仕事の部分だ。


 「はぁ……」

 もう一度溜息をつく。

 ある意味では幸福だったのかもしれない。貴族の政略結婚、その目的とは、つまり両家を結び付けておく事、そしてお世継ぎをつくる事である。男の意識がある状態で男との子作り。流石にそういう趣味はない。


 椅子の上で伸びをする。

 学園の西に広がるハイマール山脈にかかった夕日が室内を眩く照らしている。

 その時、寮の中央に位置する鐘楼で鐘の音が大きく響き渡った。


 手紙を置き、吐き納めとばかりにもう一度溜息。これから向かう大仕事を考えると、どうしても気が重いが、仕方がない。

 手紙を机の一番上、鍵のかかる引き出しへとしまう。

 中には今回のそれとは正反対の、歯の浮くような台詞満載のこれまでの手紙と、実家から持たされてきた蒼天石と呼ばれる超がつくほど高価らしい宝石をあしらった金細工のブローチが収められている。

 ――失われた未来と、これから無くなる過去。今やこの中身はそれだ。


 席を立ち重い足取りで外へ。夕食を告げる鐘だ。

 扉の向こうには、同じように食堂に向かう他の生徒たちが歩いていた。皆私が今着ているのと同じゆったりとしたブレザー型の制服を纏っている。襟元のリボンの色は赤。同学年だ。


 「ごきげんよう」

 目が合った相手にご挨拶。有難い事にお嬢様言葉はハンナ嬢の記憶としてしっかり存在していた。

 「あら、ごきげんよう」

 返事を返してくれる相手。

 しかしその眼に一瞬、驚きと軽蔑が浮かんだことはすぐに分かった。

 ――そして相手がそれをすぐに表情から消したことも。


 彼女は小走りで前を行く他の生徒の元に向かうと何か耳元で囁き、相手も小声で何か答えて二人で笑っている。

 内容など聞かなくても分かる。カシアス女学園は全ての階級の女子に開かれているとは言え、その生徒の大半は貴族のご令嬢だ。今言葉を交わした相手も、それが耳打ちした相手も例外ではない。


 没落した貴族=敗者、落伍者。


 貴族社会において、そんなものは蔑みの対象以外の何者でもない。

 勿論直接表だって何かされるわけではない。そんなものは下賤な下々のやり方だ。ただここに存在しない者として扱うのがエレガントな貴族流のやり方。卑しく汚らしい存在には一々触れることなどせず、お行儀よく冷笑するのがここの流儀だった。


 「……まあ、仕方ありませんわね」

 誰にも聞こえないように呟き、彼女らと同じ食堂への列に加わる。

 表面上、彼女らは何もしていない。

 なら抗議するべきではない。仮に抗議したとして、それがどれ程真っ当なものでも、いや真っ当であればある程、子供の喧嘩に親がノリノリで突っ込んでくる――没落貴族相手ならそうでない貴族は一切遠慮呵責を持たない。

 もしそれをしないとなれば、精々慈悲深さのアピールとそうやって恩を売りつけ骨の髄までしゃぶる時だろう――しゃぶる価値のある相手ならば。


 何より、このハンナ嬢がついこの前まで向こう側=いけ好かない糞アマだったという記憶はしっかりと残っている。

 公爵という親の立場を笠にやりたい放題し、表面上平等な同じ学園の生徒でも下級貴族や騎士、平民の生まれなら歯牙にもかけず、少しでも気に障ったらそれを学園から排除する。それがこのハンナお嬢様が雷に打たれるまでの姿だった。


 恐らくだが、雷に打たれた時にそれを祝った者も、目を覚ました時にそれを呪った者も少なくはあるまい。


 こういう女が私だ。やられても仕方がない――勿論“俺”=千曲一直としては納得がいかないが。




 「天上におられます全ての尊き者に、そして偉大なる大地の神々に感謝をささげ――」

 体育館ほどもある巨大な食堂に、寮付司祭の説教がぼそぼそと響く。要約すれば「いただきます」の一言で済むものをここまで長い演説に出来るのは一種の才能ではないだろうか。こいつに新年の挨拶でもさせれば、終わるころには松飾がとれているだろう。


 三度の食事の度に行われるこの説教。その間この寮の生徒が全て収容されている食堂は水を打ったように静まり返っている。生徒たちと同じぐらいいる給仕や厨房スタッフたちも壁際に並んで直立不動だ。


 「――そして、我らがそれを糧とすることを許したまえ」

 「我らがそれを糧とすることを許したまえ」

 最後の部分を全員が唱和する。これでやっと食事開始だ。この学園では夕食はコース制となっていて、前菜、スープ、メインディッシュと続き、最後にデザートもつく豪華ぶりだ。


 今日の前菜は海老の……よくわからないクリームたっぷりのソースがけ。味は薄いと言うかほぼ無い。卓上に塩やらなんやらが無い事から、自分で調節しろというのでもなくこれで完成なのだろう。はっきり言って豪華ではあるが美味くはない。というか、目覚めてから今日までここの夕食で美味かったものなど殆ど食った覚えがない。

 更に言えば、この学園に来る前のハンナ嬢の記憶でも同じような物を食っていることから、ここの料理人が下手糞という訳ではない様だ。


 恐らくだが、まずいと思っているのは千曲一直の部分であって、ハンナ嬢にはこれが普通なのだろう。

 そしてそのハンナ嬢の記憶が教えてくれる。ここでの食事に必要なのは味ではなく、どこまで手間暇かけているか、そして食べる側も味ではなく完璧なテーブルマナーを実践する事の方を求めるのだと。


 「……」

 最早慣れてきた味のない食事を黙々と片づける。記憶に従いテーブルマナーのロボットになって。

 内陸の学園にこれだけの海老を、干物や塩漬けにしないで運び込むのには相当な苦労がいるだろう。

 この世界の科学技術など精々明治時代かその辺程度。当然ながら冷凍庫もトラックその他による高速輸送も夢のまた夢だ。


 それらに代わって魔術なるものも存在するが、よく知るフィクションのように呪文を唱えればどうにかなるものではなく、大掛かりな準備が必要なものか、或いは日本で言う所の薬学や医学に近いものだ。

 ――怪しげな薬品をドバドバかけて保存がきくようになった海老である可能性は否定できない。


 だが、これでもましなのだ。食事が保障されているだけ。

 失脚した貴族に三度の食事の保障などあるはずもない。ましてや幸せな未来など、とても。


 「……」

 ふと頭の中によぎる、むかし何かで見たのだか聞いたのだかした話。

 明治維新直後の遊郭には、身を持ち崩した結構な身分の武士の妻子が大勢いたそうだ――男の意識を持ったままそっちで食いつなぐのは中々にハードだろう。

 一応卒業までのあと一年間分の学費は支払われている。しかしそんなもの不安を払しょくするには弱すぎる。ある日突然父上が母上と妹とを連れて迎えに来て、みんなで馬車の中で車座になって……なんて展開があり得ないとも言い切れないのが現状なのだ。


 「……どうすればいいのでしょう」

 思わず口を突いたぼやきは、幸いにも誰にも聞こえなかったようだ。

 それを覆い隠すように海老を口に運ぶ。味がしないのは料理のせいだけではなかった。

(つづく)

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