一回戦8
(成程ね……)
その特徴的な動きに見覚えがあった。
先程の連打。そしてこの独特の構え。
この拳法を俺は知っている。“私”ではなく“俺”が。
「詠春拳……ですわね」
現代にいる時にカンフー映画で見た。ただそれだけだが、事前情報のあった事を思い出せたのは大きいだろう。
――問題は、その対処法をどうするかだが。
落ち着け。考えろ。連打に圧倒されるな。
取りあえず接近しての打ち合いは避けるべきだろう。先程のような連打を流し込まれる。
ならば採るべき手は二つ。即ち遠距離か、或いは接近して掴んでしまうか。
あの独特の構えではリーチは伸びない。そして棒立ちに近いスタンスでは飛び込んでくるタックルには対処できない――筈だ。
「……」
もう一度正対し、今度は奴の右側に回り込むように動く。
まずは遠距離から試す。
特に理由はない。ただ寝技よりも得意だからだ。
「……」
回り込もうとすればすぐにこちらを正面に捉えようと向きを変える。その動きに遅れはない。視界外から――という手は使えない。
「ッ」
「……」
軽くフェイントに踏み込んでみるが、反応は返ってこない。
もう一度、同じく。
更にもう一度。またしても同じく。
(出てくるか……ならッ)
フェイントに応じないという事は、向こうが攻めてくる気があるという事。
予定変更。それならこちらにもやり方がある。
「シャッ!」
もう一度ジャブを打ち込む。
ただし先程より浅く。
「シャッ!シッ!」
更に連続。いずれも浅く、ナックルパートで産毛を撫でる位の微妙な距離。
三発目で奴が動く。ジャブの引きと同時に間合いを詰めてくる。
連打に来る――その一発目を迎えるつもりで腰を落として飛び込んだ。
「!?」
大きく踏み込み、奴の右大腿部を両腕で抱え上げる。
「オオッ!!」
タックル。
どんな人間であっても、前に進む。攻撃すると思っている時に急きょ反撃とはいかないものだ。よしんばそんな反応が出来たとしても必ず遅くなる。
その前に倒してしまえば私の勝ちだ。
――が。
「くっ……」
「ちぃ!」
一瞬、奴が浮いた。
軸足を瞬時に床から離し、宙に浮いた体重を私に預けた。
そのからくりが分かった時にはタックルの形が崩れ、奴の足が両方とも地面を捕えている。
(なら……)
だがそれでは止まらない。
組みついてしまえば次は来ない。
なら、ここから投げる。
奴の上半身にターゲットを移す。
右手で奥襟、左手で袖口を掴んで崩しにかかる――その直前、胸の下に何かが触れた。
(?)
視界の下限に奴の腕。恐らく触れているのは手。だが、これは拳ではない。
(なんだ?なにが――)
一瞬、触れているものの正体を確かめようと視線をずらす。
片手だけの前ならえが私の棟の下に届いている。
そしてそれを認識した瞬間、前ならえが体にめり込んだ。
「ぐぅっ!!?」
正確に言えばめり込む瞬間に拳に変わっていたが、重要なのはそこではない。
その一撃。十分なテイクバックができない筈の密着した拳で、私が押し返された事だ。
そして、まだ攻撃が続いているという事だ。
胸腺から喉に連打が駆け上がり、応じようとしたところで手刀が横から打ち込まれる。
「げほっ!」
たまらずむせ返った口に肘が飛び込んでくる。
「がっ!!?」
そのダメージから回復する時間すら与えられず、先程とは反対に奴の手が私の奥襟を掴むと、同時に前足を払われ体が宙に浮く。
そのまま前に投げられ、背中と床が立てる音を体の内側から聞くことになった。
「ぐっ!!」
空の代わりに奴の顔。
顔の代わりに奴の拳。
雨のように連続した拳が振り下ろされる。
(こ……っの!)
気持はある。だが、身体は抵抗できない。
打ちおろされる拳の雨には、ただ頭を両腕で抱えるより他にない。
連打。連打。連打。
何発やられたかなど数えるのを諦めてからしばらくして、一度だけ拳が止む。
(なん――)
その次の瞬間、顔面につま先が突っ込んできた。
「ッ!?」
辛うじて鼻は逸れた――砕けたら痛みでタップしかねない。
首が後ろに吹っ飛ばされるような感覚。
それに遅れて体が転がっていく。
「うっ……あ……」
顔面へのトーキック。初めての経験――二度としたくない。
「あー……」
思わずお嬢様語が抜けるぐらいには痛い。
だが、ここで倒れている訳にもいかない。
追撃が続かない事を幸いに起き上がると、奴はまたあの構えに戻っている。
すっと背筋を伸ばして、何事もないように。
――腹の立つほど真っ直ぐな姿勢。
「……」
――ああ、そうかい。
「ふぅ……」
――なら、こっちもやらせてもらおうか。
「シャアア!」
身体を左右に振りながら一気に詰める。
あのワンインチパンチの原理は不明だが、迂闊に接近するのは危険だということは分かった。
――だが、一気に詰める。
パンチは打たない。
キックも出さない。
文字通りの肉弾。体ごと突っ込んでいく。
迎撃が来る――分かっている。
貰うつもりで更に突っ込み、一気に懐へ。
「アアアッ!!」
再びのタックル。
いや、これはただの体当たりだ。
そのまま捕まえて持ち上げる。
――どうにかしてみろ。出来るものなら。
「オアアア!!」
「くぅっ……」
捕まえていればワンインチパンチは来ない。
そのまま床に叩きつける。
技を破るのは、技だけじゃない。
倒れた相手に飛び掛かり、そのままマウントを取って、ここで初めて拳を振り下ろす。
さっきのお礼をさせてもらおうか。
防御に回された腕の間から一発。
それを捉えようと更に狭めた腕の外から回しこんでもう一発。
上からの撃ちおろしがどれ程強力かは、先程奴自身が試している。
もう一発。
更にもう一発――だが、どうも妙だ。
「……ッ!?」
下にいる筈の奴の動きがおかしい。
パンチは当たっている筈だ。
確実に捉えている筈だ。
だが、不思議な程に手応えが無い。
「このっ!」
振り下ろした一撃に奴の腕が絡みつく。
或いは下から、或いは上から、或いは横から。
直感する。これは以前一度だけ映像で見た木人の訓練風景だ。
木人椿と呼ばれる、生徒各自の部屋に置かれている外套用ハンガーのような独特な器具を用いての練習。突きだした部分を人間の手足のように見立てて、それを捌き、反対に攻撃する練習があるという。
――もし、その状態を奴が再現しようとしているのなら?
勿論不可能だ。
自由に動ける訳ではない。打っているのはこちらで、打たれているのが奴。
奴は床に倒されてマウントを取られ、その状況で一方的に殴られている。
躱しきることなどできはしないし、現に何度も奴の顔に叩き込んでいる。
当たってはいる。効いてはいる。
だが、100%には遠い。
その技術で、奴が可能な限り捌いているのも事実だ。
(つづく)
今日はここまで。
続きは明日に。