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一回戦5

 自殺未遂事件から6日、私は西棟の裏手にあたる、周囲より一段低くなった場所で練習をしていた。

 辺りを茂みに覆われ、人目を遮る事が出来るここは、他の選手の目を気にせず練習ができる場所だ。


 「シッ!」

 「……ッ!よし!」

 使わなくなった布団やクッションを再利用した自作ミットで蹴りを受けてくれているのはミーア。あの日以降、一日も休むことなく付き合ってくれている。


 そして今日も全てのメニューについてきてくれた。当然、スパーの相手も。そして――。

 「では、やってみてください」

 「行きますわよ」

 手首を掴んでいる彼女の腕を反対の腕で捕り、彼女の手の甲に親指を当てて、腕を起こすようにして手首を捻って関節を極める。

 逃れるように動きながらも関節の可動限界に達した所ですたん、と綺麗な受け身を取りながら仰向けに倒れるミーア。


 小手返し。彼女から教わった合気の技。

 パートナーになるのに加えて頼んでいた技の手ほどきも着実に行っている。

 ミーアは教え方が上手い。全くの初心者に簡単な技を、ポイントだけ集中して教えてくれるのは有難かった。

 その上こちらが慣れてくればかけようとする技にしっかりと抵抗してくれて、不十分なかけ方なら逆に返してくるため、練習に緊張感が生まれる。

 本人が気付いているかは分からないが良い先生だ。


 「さて、今日はこの辺にしておきましょう」

 「はい!ありがとうございました!」

 「ありがとうございました!」

 互いに礼。

 本戦一回戦を明日に控えた今は、軽い調整程度に終えておく。


 「……いよいよ明日ですね」

 「ええ」

 練習を終え風呂場に向かう途中で彼女が呟く。その声はどこか硬い。

 「大丈夫ですわよ」

 反対にいつも以上に声を弾ませるのは私。

 マルタの時と同じだ。選手より周りの方が緊張している。

 もっとも、そうやって心配してくれるのはとても有難いが。

 「応援、よろしくお願いしますね」

 「はい!勿論です!」

 やはり私以上に意気込んでいる気がする。


 そんなこんなで風呂場へ。いつものようにぬるま湯浴びだ――二人揃って。

 「あら、今日もお二人ですね」

 「ええ。いつもありがとうございます」

 いつものおばさんにバケツを受け取る私とミーア。

 二人で練習するようになって最初に分かった事は、彼女が私のまだ見ぬぬるま湯仲間だったという事だ。

 以前おばさんが言っていた。尊い生まれ=貴族でありながら“このような事”をするもう一人はミーアの事だった。

 予選出場が決定してから、時間帯こそ合わなかったものの彼女も毎日同じように湯を浴びていたらしい。


 「男爵家とは言え、我が家は吹けば飛ぶようなものですから」

 初めてぬるま湯仲間の正体を知った私に、彼女は少し恥ずかしがりながら謙遜するようにそう答えたのを覚えている。

 「使うのはごくたまにですが、実家のお風呂を使う時は皆同じように致します。父も母も、兄弟たちも。そんなに無理して家のお風呂に入らなくても……って、私なんかは思うのですけれど」

 意外というかなんというかだが、この国には身分に関係なく定期的な入浴の習慣が存在する。

 そしてそれは入浴が習慣化するぐらいには水資源が豊かであることと同義であるのだが、しかし同時に家に風呂を設けるのは庶民には手の届かない贅沢でもある。そのため大体の町や村には一軒は風呂屋が存在する。


 まあ、彼女のご両親の気持ちも分からないではない。

 その実態が庶民と変わらずとも、たまには折角――恐らくは無理して――しつらえた自宅の風呂を使いたいという所だろう。例えそれが時々思い出したようにであっても。

 

 貴族などと言っても、実態はそんなものだ。

 ――文字通り湯水の如くだったハンナ嬢の記憶は完全な別世界である。


 「はぁ……」

 「やっぱりほっとしますわねぇ」

 二人で湯をかぶりながらそんな風に言葉を交わす。

 ――こっちに来て分かった事がある。私、というか“俺”は服を着ていた方がエロスを感じるタイプだという事だ。

 人に話せばおかしな話だと思われるかもしれないが、同年代の、つまりは十代後半の女子と様々な接触を持つこの生活で一番早く慣れたのがこの入浴だった。

 服を着せてもらったり脱がせてもらったりというのは未だに恥ずかしさを噛み殺しているのに、毎日の入浴に関しては不思議な程速く順応した。


 (普通に一緒に入っても何も思わんからな……)

 我ながらよく分からない判断基準に内心苦笑しながら湯浴みを終えて脱衣所へ戻る。

 風呂場と同様、スーパー銭湯のような広々とした脱衣場に私とミーアの二人だけ。


 「この時間だと、随分広く感じますわね」

 「ええ。夜のお風呂の時には、もっと混んでおりますものね」

 殆どの場合、入浴している生徒たちではなく、その着替えのために待機しているそれぞれのメイドたちですし詰めだ。

 何しろ相手は貴族のお嬢様だ。着替えだけではなく、髪や肌のケアも怠らない――メイドが。

 その為、夜の入浴時間には着替え一式と、洗濯物を入れるための籠、そして美容品一式とスペースがないためそれぞれが用意するより他にない手鏡を抱えたメイドたちが脱衣場で一斉に出迎え、それぞれの担当する生徒を限られたスペースで体を拭くところから面倒を見る事になり、さながら出番直前のアイドルの楽屋か何かの様相を呈している。


 そんなもの部屋でやればいいのに――“俺”の部分がそう疑問を持つが、ハンナ嬢の記憶を持った“私”が貴族の令嬢たるもの自室までの廊下とは言えそうした姿を晒すことはあってはならないというモットーをもって答える。令嬢とは常に優美でなくてはならないらしい。中々に面倒な生き物だ。


 だが、今日はそんな事はない。今ここにいるのは私とミーアだけ。

 体を拭くのも、道着から制服に着替えるのも、全て自分で行う。

 私は単純に恥ずかしいが故に――マルタには試合用コスチュームであるため自分で出来なければならないという事にしてある――だが、ミーアはもっと真面目だった。


 「将来の為に、なんでも一人で出来なければなりませんから」

 将来=子爵への輿入れ。

 決して裕福ではない家であることは私も話に聞いている。

 この学校のように蝶よ花よとはいかないのだろう。


 「私も見習わなければなりませんわね」

 「い、いえそんな……っ、ただ、私は家もそういう家柄というか、余裕がないというか、がさつと言うか……、そういう所で育ちましたので、一人の方が性に合っています」

 そう言って恥ずかしそうに笑う姿は何とも健気だ。

 ――俺の常識はこの世界の貴族の間では余裕がなくがさつに受け取られるというのはなんかショックだが。


 「そ、それでは、私はお先に失礼します」

 はにかみながら、先に着替えを終えたミーアが一礼して廊下に向かう。生まれつき女物を着ているからか速い。

 大体廊下で待っていてくれるのだが、夜の入浴の際の「支度を終えた者は速やかに場所を空けるべし」という教えが染みついているのだろう。


 その後を追おうと着替えを急ごうとした時、扉の向こうに聞こえてくる声に私は動きを止めた――体も喉も同時に。

 「あら?ごきげんようミーア」

 「あっ、ご、ごきげん……よう。シャーロット様……」

 ミーアの声に明らかな怯えが浮かんでいる。


 「どうしたのです?まだお風呂の時間ではありませんでしょうに」

 白々しいシャーロットの声。

 「え、あ……、あの……ハンナ様と……その……」

 「ハンナ?貴女もしかしてハンナに何か無理矢理やらされているのかしら?ねえ、もしそうならどうぞ私におっしゃって。私と貴女の仲ですもの、ねぇ?」

 着替えのタイムアタックのように急いで服を着ながら、シャーロットの声だけで何が言いたいのかなんとなく理解できた。私も随分慣れたものだ。


 「いっ、いえ!違うのです!その……、ハンナ様の練習に……私がお付き合いを……」

 「まあ!!」

 わざとらしさの世界大会が有ったら間違いなく代表選手。

 予想通り、奴の目的はミーアからそれ=恐ろしいシャーロットと“犬猿の仲であるハンナ”に“自分の意思で”接近していると言わせる事だ。


 つまり、シャーロットに対して自分は敵対していると宣言させることにある。


 「あ……あ、あの……」

 「あらごきげんよう」

 大急ぎで着替えを終えて、蹴り開けるように扉を開けると、そんな事は全くなかったかのようにとりなしてミーアの背後に出た。


 「……ごきげんよう」

 ほんの一瞬、しかし確実にシャーロットの表情が変わったのを私は見逃さなかった。

 下級生を嬲っている残虐な笑顔ではなく、悔しさの入り混じった憎悪のそれ。

 知らない筈がない、あの一件の後ミーアからも子爵一家が感激のあまり何度も礼を言い、ハインリッヒとカルドゥッチの両家に最大限の感謝を示していたと聞かされたのだ。

 実行犯であるこいつが、自身の攻撃があっさり防がれたことを知らない筈がない。


 「あら御免あそばせ。お話し中でしたかしら?」

 わざとらしさ返し。白々しさの自己ベスト更新。

 「いえ、お構いなく。……あ、そうですわ」

 そこで再びシャーロットが余裕を――正確に言えば憎たらしさを――持った笑みを取り戻す。

 「先程本戦一回戦の組み合わせが発表されましたけど、もうご覧になって?」

(つづく)

今日はここまで

続きは次回に。


なお、次回はいつも通り明日24時頃の投稿を予定しております

次かその次位には試合開始……したい

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