一回戦3
私の一言に、ミーアの身体は怒鳴りつけられたようにびくりと震えた。
「ど、どうしてそれを……」
最後までは発せられなかった言葉。
どうしてそれを持っているのかだろうか、またはどうしてそれを知っているのかだろうか。
「どうして?それが持っているのかという事でしたら、先程貴女の靴を持って来ようとした時に見つけましたのよ。それと、中を見ずにわかったのは、その状況で置いてある書き物などそれ以外にないのではなくて?」
種明かしをしてみる。別に私は何もおかしい事はしていない。警戒する事はないという一環で。
駄目押しに小さく咳払いを一つ。
「ま、そんな事はともかく」
切り出しながらテーブルの上に置いた遺書をその作者の方へ進める。自分は決して中を見ていないという事を示すためにも。
「どうかしら?理由を教えてくださらない?」
極力穏やかな声で。
だが、遺書をおずおずと受け取った彼女から返ってきた答えは否定だった。
「ありがとうございます。ですが、私はもう大丈夫です」
「あなたがそう仰るのでしたら……」
――そう答えるしかないが、信用はこれっぽっちも出来ない。
自殺者などというのを見るのはこれが初めてだが、自殺する程追い詰められている人間が、その原因も――恐らくは――解決していないのに自殺を諦めるとは到底思えない。
だが、どうすればいい?
なんとかして彼女を止めなければ。そのための突破口を何とか探す――殴られたりなんだりで脳が駄目になっていない事を祈る。
「この度は、大変ご迷惑をおかけいたしました。どうぞ私の事はご心配なさらないでください」
「……」
なんとか止めろ。
何か考えろ。
深々と、マナー教室ならぶっちぎりの優等生になるぐらい頭を下げ立ち上がろうとするミーア。
「あっ、もしかして」
「え?」
口をついた言葉に動きが止まる。
「もしかしてですけど、シャーロット・ベニントンが関係しているのかしら?」
思いつくままに吐き出した言葉。
だがそれが功を奏したということは、ミーアの随分わかりやすい表情で分かった。
どうしてそれを――先程口に出した言葉を今度は顔全体で表現しながら、私の顔を覗き込んでいる。
「あれに何かひどい事をされたのでしょう?」
ハンナ嬢が肉体を取り返したかのごとく決めつける。
ミーアとシャーロットがどういう関係かは知らないが、今日の試合出場にシャーロットが絡んでいる事はまず間違いあるまい。
「どう?当たっていて?」
「いや、あの……それは……」
本当に分かりやすい子だ。何かあったのだが立場上シャーロットを売り渡す事は出来ない。そう言っているような表情を浮かべ、そう言っているのと同然にもじもじと居心地悪そうに体を動かす。
そしてもしかしたら私の身体は、蘇ったハンナ嬢が操作しているのかもしれなかった。
「少なくとも、貴女とあれは全く面識がないという訳ではないのでしょう?」
無言は肯定。
「なら、私とあの方との関係についても、何か聞かされているのではなくて?」
こちらも同様の肯定。
席を立つ。彼女にしっかりと近づき、不安げな目を覗き込む。
「はっきり申し上げますわ。あれは義理立てするような相手ではございません」
今度は驚かなかった。
ただ、ごくりと白い喉を動かしたのが分かった。
「考えてもごらんなさい。今日の予選、貴女が出場したのはあれが指図したから。そうですね?貴方自身は元々出場するつもりはなかった」
三度目の肯定。
「自分で貴女を私にぶつけておいて、その後自殺するように仕向ける。いいえ、貴女はきっと生真面目で優しい方なのでしょう。あれが自分に何らかの負い目を感じさせるように仕組んだ。それで貴女はそれで命を捨てるより他に――」
根拠:ハンナ嬢の記憶にあるシャーロットの姿と、抽選会と今日の試合前のシャーロットとこの子の姿。
正直言ってかなり弱い。
だが、全て言い切るより前に再びぶり返したように泣き崩れてしまったミーアによって、それが事実を言い当てていたと確信するに至った。
「私は……っ、私……、ごめんなさい……」
後は聞き取れないただの嗚咽だ。
「おお、よしよし……もう大丈夫。大丈夫ですよ」
可能な限り優しい声。可能な限りソフトな手つきでもう一度抱きしめる。女の身体で良かった。男ならかなり躊躇するし警戒される。
「あ、あの、ハンナ様……」
マルタがおろおろしながら呼びかける。
「あ、ああ。えっと、今日はありがとう。もう大丈夫ですわ。下がって」
メイドはそれぞれ自分の部屋――ここよりは大分質素だが――を与えられており、生徒の世話をしていない時はそこで生活している。当然、夜も仕事が終わればそこに引き上げる。
「あ、はい。……いえ、その事ではなく」
「?」
「ミーア様の部屋の者に伝えた方がよろしいでしょうか?」
言われて気付く。
彼女担当のメイドがどういう人かは知らないが、ミーアが中々戻らないとなれば心配しているだろう。
「そ、そうね。じゃあ最後にそれだけお願いできるかしら」
「畏まりました」
一礼すると、マルタは部屋を辞する――そして数秒後戻ってきた。
「……あの、大変申し訳ないのですが」
「どうかしましたの?」
ちらりと眼鏡の奥の目がミーアを見る。
「ミーア様のお部屋はどちらでしょう?」
――意外とポンコツだなこの人。
「い、いえ……不要です……」
泣きながらもしっかりと聞こえていたのか、洟をすすりながら答えるミーア。
「今日はもう、下がって頂きました」
なんとなくそれが、彼女の死が本気であった証拠のように思えた。誰に見つかるでもなく、一人で確実に死ぬつもりだったと。
「さ、左様でしたか……」
なんとも格好のつかない形となったマルタ。
彼女に気付いているのかいないのか、ミーアはゆっくりと語り始める。
「……私の婚約者の事でございます」
ぽつぽつと、言葉を覚えたてのように単語だけを吐き出すように説明を始める。
自分には田舎の子爵との婚約があるという事。
彼の一族が治めている猫の額ほどの領地は元々貧しい所で、毎年村のどこかの家で身売りや口減らしが行われていた事。
そこで山に手を入れ、小さいながらも製材所を作り、川を使って下流の交易都市までの流通を確保し、林業で村に仕事と収入をもたらしたのがその子爵の一族であるという事。
そしてその一族がベニントン家から借金をしており、シャーロットはそこに目をつけ、私を予選敗退させなければ返済猶予を無効とすると言われて、出場せざるを得なかった事。
「……子爵はとても良き方です」
無理矢理笑おうとしながら、ミーアはそう付け足す。
「お会いしたことは何度かございます。生真面目で誠実な、善良なお方です。私は……あの方とのご縁なら喜んでお受けしたいと……」
まるで楽しかった昔を思い出すように顔をほころばせる――その眼は遠くを見ている。
「あちらの家にご迷惑をかけるような事があれば……、もう私には死んでお詫びをするより他に……」
「お待ちなさい!お待ちなさい!貴女が死んでも何も変わりませんわよ!」
慌てて制止する。このままではもう一度飛びかねない。
「ですが、もう私には……」
「とにかくその……借金は幾らですの?」
聞いてどうなるものでもないが。
「試合前に伺ったお話では300リョーズ程と……」
300リョーズ。日本円で幾らかと言われると難しいが、1リョーズあれば成人一人が一か月生活できると言われていることから、大体14~15万ぐらいだろうか。
その300倍。話に出てきた子爵の家業は決して大きな企業ではない。そこらの中小零細の社長が突然取引先の銀行から明日までにうん千万円耳揃えて返せと言われたらどうなるか。
――生真面目な16歳の少女が死んでお詫びを、という考えに追い込まれるのも無理はないかもしれない。
「うーん……」
何とかしてやりたい。
というか、なんとか自殺を止めたい。
止めないと部屋を出てすぐ屋上に直行しそうだ。
考えろ。何か無いか。
「そうでしたの……」
国語の試験中に教室の掲示物から漢字を探すように辺りを見回す。
何か無いか、何か。
扉、外套用のハンガー、マルタ、さっきまで座っていたイスとテーブル。手紙を書いていた机。あとは――。
「そうですわ!」
自分でも驚くほど声が出た。
机、机だ。
正確にはその中。
いいものがあったじゃないか。
(つづく)
今日はここまで
続きは次回に。
なお、次回は本日20時頃の投稿を予定しております。